神戸小学生惨殺事件の真相 その3
「A少年供述調書」の虚構

【掲載者より このパンフレットは、神戸事件の翌年1998年に、雑誌「文藝春秋」3月号に少年の供述調書なるものが発表されたのを受けて刊行されたものです。原文が縦書きのものを横書きに変えたさい、文章のつながりをわかりよくするため、一部に修正を加えました】

もくじ

※のついている項目は図表です
※カラー口絵 目で見る神戸事件の真相完成しました
はじめに
『文藝春秋』に掲載された「検事調書」の虚構を暴く一一
〈付〉少年の供述書 永野義一(元最高検検事) 「東京新聞」より無断転載

矛盾だらけの稚拙な作文
1. タンク山で靴紐で絞殺
 J君はA少年の誘いについてゆくはずがない
 文藝春秋に掲載された7通の検事調書の概要【検事調書とリンクしています】
 死亡推定時刻が合わない!
 「衣服に泥はなかった!」/着衣に血痕少ない/車内で殺害か【2003年2月21日加筆。記事内容をテキストで入力しました】
  ※当時の新聞記事から
 馬脚をあらわす「靴紐で絞殺」の物語
  ※図「靴紐による絞殺」は作り話だ!

2. 「糸ノコ」で遺体を切断
 少年は父と自転車を交換しビブロスへ向かった!
 首が文句をたれた?!
 局舎の裏では、首を45度に切ることはできない!
 ※溝の上では第2頚椎は切れない
 「黒いビニール袋」!?
 「糸ノコギリ」!?
 ※新聞記事から 「鋭利な刃器で切断」「電動ノコか」
 ※〃      「警察犬を出して捜索したが局舎下には遺体はなかった」
 糸ノコは遺体切断の凶器たりえない!

3. 首を池の淵から自宅へ
 A少年にはアリバイがある!
 家族が死臭に気づかぬはずはない!
 浴室からも天井裏からも血液反応は出ていない!

4. 首を中学校正門に置く
 ※新聞記事から 5時15分から数分間
 奇妙な断定と弁明

 警察が目撃者に証言変更を依頼・・・
5. 一時間半で声明を書く
 自分のことなのに「と思いました」ばかり・・・
6. 三月連続通り魔事件

真相究明の声を広げよう
 事件当日にかんするご両親の証言
 「懲役13年」の筆者はA少年ではない
   A少年はハメラレた?事件発生後8日でA少年逮捕が準備されていた!
 浮き彫りになった「朝日新聞」の役割
 「調書」は少年の取り調べを十分にしていない検事が一方的な筋書きに頼って書き上げたものとしか思えない 安倍治夫弁護士談
 本当に少年が書いたものだろうか 「懲役13年」について国立K大学s教授(文学専攻)に聞く
 遺体は冷凍して切断されたとしか考えられない 元北大法医学講座助手談

あいまいな日本人 神戸事件の問題点 品野実(毎日新聞社終身名誉社員)
「正常と異常の間」にあるのは誰か 酒井博(元大須事件被告)
『文藝春秋』九八年三月号を読んで 浅野健一(同志社大学教授・新聞学専攻)
「神戸小学生殺人事件」通説シナリオヘの疑問 戸田清(長崎大学)
〈A少年〉は果して酒鬼薔薇聖斗か 岡田啓(文芸評論家)
〈当会の声明に見るたたかいの軌跡〉
神戸事件の処分決定を怒りをこめて弾劾する(97年10月18日)
A少年の訴えを圧殺した弁護団を弾劾する(97年11月18日)
Kさん夫妻への卑劣な脅迫行為を弾劾する(97年11月20日)
羽柴弁護士による当会への中傷に抗議する(98年2月6日)
みなさんの調査をぜひ生かしたい---羽柴修弁護士談


はじめに

 神戸児童連続殺傷事件の疑惑をあばきだし全社会的に訴えつづけてきた私たちのたたかいは、いま決定的な局面をむかえています。

 かの『文藝春秋」3月号によるA少年の「検事調書」なるものの掲載、それが少年法の改悪にむけて一気にはずみをつけようという意図のもとに、A少年の「異常さ」と「残虐さ」を印象づけることを狙ってなされたのはあまりにも明白です。私たちは、この『文藝春秋』の暴挙にたいして---その片棒をかついだ立花隆氏にたいしてとともに---怒りをおさえることができません。

 けれども同時に、この「検事調書」なるものは、それ自体において、またこれまでのマスコミ報道=警察発表とのあいだで、あらゆるところに矛盾を露出させているしろものにほかなりません。まさにそれは、リークした者たちの意図とは逆に、神戸事件とA少年逮捕にかんして私たちと多くの心ある人々が訴えつづけてきた疑問の正当性をこそ鮮やかにうきぼりにしているではありませんか。じっさい、私たちのもとにはいま、全国津々浦々から「『文藝春秋」を読んだけど、あれは作り話ですね」とか、「検事が誘導したことがよく分かった」とかという声が続々と寄せられているのです。

 もちろん私たちはひとときも忘れてはいないし、また忘れてはなりません。A少年が今なお東京府中の関東医療少年院において、「一人部屋」という名の“独房”に幽閉されつづけていることを。弁護団が不当きわまりない「家裁決定」に何ひとつとして異議をとなえることもなく抗告も放棄してしまったことのゆえに、彼は一生を台なしにされようとしているのです。またご両親をはじめとする関係者のみなさんはいいようのない苦しみを味あわされているのです。

 すべてのみなさん! そうであるからこそ、いまこそ私たちは「検事調書」に露出している神戸事件の黒い影を徹底的にあばきだし、その真相を白日のもとに明らかにするためにさらにさらに奮闘しようではありませんか。その願いをこめて私たちはここに、パンフレット第3集を発行しお届けします。

 すべてのみなさん! 心をひとつにして頑張りましょう。

神戸事件の真相を究明する会

『文藝春秋』に掲載された「検事調書」の虚構を暴く一一

 二月十日に発売された月刊『文藝春秋』三月号に、神戸事件の犯人とされ関東医療少年院に送りこまれているA少年の「供述調書」なるものが、掲載されました。門外不出のはずの検事調書七通が、「少年A犯罪の全貌」(『文藝春秋』のタイトル)などと銘うって、突如として公表されたのです。

 このことに、私たちはまず驚きました。そして、この驚きは、やがてこみあげる怒りへと変わっていきました。なぜなら、この検事調書は「少年自身の言葉で表現された犯行の事実」(『文藝春秋』のまえがき、「編集部から」)をあきらかにするものであるなどとおし出されているだけでなく、「A少年はサイコパス(異常人格者)かもしれない」「『懲役13年』にいう『絶対零度の狂気』とは少年の冷血性を表現する言葉かもしれない」(立花隆氏)などという宣伝が、大々的に流されはじめたからです。

 調書の公表をきっかけとして、「神戸事件はサイコパスによる猟奇的快楽殺人事件だ」といった大宣伝がくりひろげられつつあることを、私たちは黙って見すごすことはできません。それはあきらかに、国家権力が、A少年を医療少年院に送りこんでもなお広く静かに日本全国に浸透しつつある「真相究明」の声をなんとしてでもおし潰し、少年法の改悪への道をはき清めていくために流しているキャンペーンにほかならないのです。権力はいつでも、自らの都合のよい時に、自らに都合のよいことだけを、国民の間に洪水のように流しこむのです。そしてマスコミは、あいもかわらず、「国民の知る権利」「言論の自由」の美辞麗句のもとに、この権力の意を汲んだ広報活動にいそしんでいるのです。

 だがしかし、透徹した理性をもってこの一連の調書とあい対するならば、じつにこの「供述調書」は、一これを流布するものの意図とは全く逆に--検事のでっちあげた虚構でしかないことが、鮮やかに浮かびあがってくるのです。およそ非現実的なことを書き殴ったバーチャル・リアリティの世界。色もなく音もなく匂いもない、モノクロームの世界。・・・

 実際、私たちのパンフレットを読んで下さった多くの人々、そして「A少年=犯人」説に少しでも疑問を持っている人々は、この調書の虚構を見抜いています。既に当会には、こんな手紙や電話が続々と届いているのです。

 「調書はおかしいことだらけ・・・一番おかしいのは、首を持って歩いて『重い』という言葉が、最後にひとことしか出てこないこと。私は看護婦だから良くわかる。頭はとても重いのです。ビニール袋だって、伸びて破れてしまうはず。絶対におかしい」

 「通常なら目を覆いたくなるような『残虐』シーンのはずなのに、ドロドロしたものが浮かんできません。普通なら、首を取り出してみたものの、腐臭に気分が悪くなるとか、ツメの間に血がはまりこんでいくら洗ってもにおいや色がとれず困ったとか、現実的描写(記憶)が鮮明に残るはずだと思うのですが・・・」

 調書に書かれていることを即「少年自身の言葉で表現された犯行の事実」などと信じこむ愚をおかすことなく、自分自身の職業上・生活上の体験をも想起しつつ、かつ想像力をも遅しくしつつ、調書に書かれていることがはたして真実なのかどうかを見抜いてゆくことが、何よりも大切だと思うのです。

 ところで、「A少年の供述調書」の具体的な検討に入る前に、あらかじめ次の三点を指摘しておきたいと思います。

 まず第一は、『文藝春秋』に掲載されている「A少年の供述調書」は全部で七通ですが、これはすべて検事調書であること、しかもその全部ではなく主要部分であり、かつ付属資料は除かれていることです。昨九七年十月十七日の家裁決定で証拠から排除された警察調書は、ここには一通も含まれていないのです。

 第二は、「供述調書」と名づけられ、「僕は・・・しました」というような表現をとっているとしても、それは決して、A少年の話したことをそのまま記録したものではない、ということです。このことは、一般に容疑者が大人の刑事事件の場合でも同様であり、「供述調書」というものは、検事あるいは警察が容疑者を尋問した内容を後から「本人の供述」という形式にまとめて文章化し、これに署名・捺印させてつくるものにすぎないのです。したがって、検事あるいは警察の言うことに、たとえば本人がうなずいただけでも、それは「私は・・・しました」という表現で調書に書かれてしまうのです。

 第三は、この取り調べは、外界から遮断された密室の中で行われることから、容疑者は特異な精神状況に追いこまれがちであること、とくに少年の場合はそうだということです。『文藝春秋』の調書掲載に寄せて元最高検検事である永野義一氏が書いている「少年の供述書」という一文を掲げます。これを読むと、このことがよくわかります。

少年の供述書
元最高検検事永野義一

 文藝春秋誌に神戸の連続児童殺傷事件の加害少年の調書が掲載されたことが問題とされている。少年法の少年審判非公開の原則と真実の社会事象を報ずる事を使命とする報道機関の責務との相克。その議論はさておき、記事そのものは、少年が事件の本人であることを推知するようなものではなく、少年の今後の更生に影響を及ぼすとは思われない。〔中略〕

 犯罪を犯した多くの少年を調べた検事の経験から言えるのは、少年から真実の供述を得るのはなかなか難しい、ということだ。

 人格形成途上の少年は、心身ともに未熟、自己中心的で心の動揺、振幅が激しく、環境に左右されがち。それが、身柄を拘束されて取り調べを受けた場合、概して追及に対してはもろく迎合しがち。

 取調官の暗示、誘導には簡単に乗ってくる。威嚇的な尋問はもとより、予断、偏見をもっての取り調べは少年の場合絶対に禁物。

 少年の供述のみをもって事件が解明できたと即断するのは危険。〔中略〕

 この文春の記事は、加害少年の調書のみをもって犯罪の全貌がわかるかのような印象を与えかねず、見出し、構成に一工夫ほしかったというのが率直な感想。

〔「東京新聞」2月23日付夕刊のコラム「放射線」より抜粋・無断転載〕

 それでは、七通の検事調書の内容に沿って、以下具体的にその虚構性を暴きだしていきましょう。


矛盾だらけの稚拙な作文

1 タンク山で靴紐で絞殺

供述の概要
5月24日、J君をタンク山に誘い出し、アンテナ基地入口前で靴紐で絞殺。
いったん山を降り、糸ノコと南京錠を万引きし、再び山に戻って
遺体を基地内の局舎床下に運び入れた。
その後、友人たちとの待ち合わせ場所へ行った。

 ……僕は、B君〔J君のこと〕の真後ろからいきなり僕の右腕をB君の首に巻き付け、……力一杯絞め上げました。……
 ……B君を前に倒し、覆い被さって、なおもB君の首を絞め付けました。
 更にB君の腰付近に馬乗りになり、……B君がエビ反りになるような感じで持ち上げて絞め付けました。……
 ……今度はB君を仰向けにし、B君の腹の上に馬乗りになって、両手でB君の首を力任せに絞め付けたのです。……
 ……僕は、ナイフでB君を殺そうと思い、ジーパンのポケットを探しました。
 この時、初めて僕は、ナイフを持ってきていなかったことに気付きました。……
 そこで僕は、……石でB君の頭を叩き割って殺そうと考え……ました。
 ところが、この石は……土の中から動かすことが出来ませんでした。……
 僕は、右手でB君の首を絞め付けながら、左手で……左足の運動靴の紐を少しずつ解いていきました。
 ……僕は、その靴紐を地面に置いて、左手で輪っかを作りました。……
 ……僕は、うつ伏せになったB君の腰付近に馬乗りになり、B君の首に回した靴紐を力一杯両手で引いて持ち上げるようにしました。……
 ……B君の首を絞めながら、B君の顔や頭を両足の踵で蹴ったり、……顔を殴ったりもしました。……
 僕は……その〔靴紐の〕ねじれを解くために、一瞬……靴紐を緩めました。……
 その時、うつ伏せだったB君がコロンと仰向けになりました。……その状態で、……靴紐の両端を、両手で力一杯引きました。……
 それでも、B君が完全に死んだのかどうか分からなかったので、B君の首を絞め付けたままの状態で、靴紐の多分左だったと思いますが、端をケーブルテレビアンテナ施設入口のフェンスであったか桟であったかまでは覚えていませんが、そのどちらかに結び付け、更にB君の首を絞め付けました。
7月5日付一調書

 タンク山のケーブルテレビアンテナ施設の入口前でのJ君殺害の場面が、本人にしかわからない細かな事実をちりばめて、いかにもリアルに描写されているかのようです。だが、本当にそうでしょうか?

J君はA少年の誘いについてゆくはずがない

7月5日付調書によれば、「僕は『向こうの山にカメがいたよ。一緒に見に行こう』といいました」「B君は、嫌がる様子もなく、素直に付いて来た」。だが……

A A少年の父の証言「下の子が優しい子で、J君はそれで遊びに来ていた。上の子(A少年)は話はしないし、いてもいなくても一緒です。だから、上の子が声をかけてもあの子(J君)がついてくるはずがないと思っているんです」

B J君をよく知る住民の話「J君は用心深い性格なので、人に声をかけられても付いていく子供ではない」

C 新聞の報道 (6月14日付「読売新聞」大阪版)

記事写真
【これまでの調べでは、淳君は見知らぬ人から声をかけらても返事をするようなことはなく、無理やり手を取られるなどすれば、大声を上げたという。淳君が最後に目撃された自宅東約七百メートルの北須磨公園前周辺で淳君が抵抗したな声を聞いた人はいない。】

D 「A少年供述調書」「僕自身、B君と親しく話したということはなかったものの、僕の家に遊びに来ていたことから、B君が現在T小学校の六年生だということも知っていました」(7月5日付調書)


『文藝春秋』3月号に掲載された7通の検事調書の概要

調書の日付主な内容
7月5日付【5月24日】J君をタンク山に連れ出して、格闘の末に絞殺。その後、糸ノコギリと南京錠を万引き。死体をアンテナ施設局舎の床下に隠す。
7月7日付【5月24日】殺害後、家に帰るまで。
【5月25日】昼過ぎ、黒のビニール袋2枚、補助カバン、ナイフ1本などを持って、家を出る。アンアナ施設の溝の上付近でビニール袋を下に敷いて糸ノコで首を切断。ナイフで顔に傷をつける。
7月9日付【5月25日】首の切断後、ビニール袋の中の血を飲む。首をビニール袋に入れて入角ノ池へ。途中で小学校の女の人や機動隊と思える人と遭遇。入角ノ池のほとりの木の根本の穴に首を隠す。糸ノコを向畑ノ池に捨てる。
【5月26日昼すぎ】入角ノ池に行って、首を観察。首を自転車の前かごに入れて、家に持ち帰り、風呂場で洗い、天井裏に隠す。
7月10日付【5月26日午後】第1犯行声明の文章を考え、夜、一気に書く。
【5月27日】午前1時-3時の間に2階の窓から降りて中学校の正門に首を置きに行き、また2階の部屋に戻る。
7月13日付【6月3日】第2犯行声明を1時間半で書いて神戸新聞社に送る。死について考えたこと。
7月17日付【全体をとおしての「物証」の確認】クリ刀=龍馬のナイフ3本/金ノコギリ1本(当初糸ノコとされていたものが訂正される)/補助カバン1個/手袋1双/運動靴1足
7月21日付【3月16日】通り魔事件--鉄のハンマーで彩花ちゃんの頭を殴って殺害。龍馬のナイフで別の女の子の腹部を刺す。バモイドオキ神の日記。

死亡推定時刻が合わない!

 まず決定的なことは、これでは、J君の死亡推定時刻と全く合わないことです。

 検事調書が語るあの長い格闘劇を再現したら、おそらくは一時間くらいにはなるはずです。ところが、J君が祖父の家へ行くために自宅を出たのは、J君の母が証言し当時の全ての新聞が報じているように、午後1時30分から35分です。そしてJ君の死亡推定時刻は、午後1時40分頃なのです。J君の遺体を司法解剖した龍野嘉紹教授(神戸大学医学部法医学教室)は、昨年十月九日と十月十四日に、神戸大学生でもある「真相を究明する会」会員に、次のように語ってくれたのです。

「殺されたJ君の胃の中には、昼食べたものがほとんどそのまま残っていた。胃の中のものは時間が経つと十二指腸に行ってしまうのだが、ほとんど消化されずに残っているということは、J君が家から出たのが1時半だから、そのあとすぐ殺されているということだ。1時40分ごろだ」(十月九日)

「私は警察がJ君の家族から聞いてきた昼食の中身と解剖したものを比べて、それが一致した。カレーだけでなく、他のもの、たとえば菜の花とか……。だから出かけてすぐに殺されたと判断したのだ」(十月十四日)

 J君が自宅を出てから殺害されるまで、五分から十分しか時間はありません(ということは、おそらくはJ君は、ワゴン車のようなものにひきずりこまれて、直ちに殺害されたにちがいないのです)。

 調書を読んでいるさなかに、先の龍野教授の言葉を思いおこし、私たちは唖然としました。実に検事は、殺害場面を描き出すにあたり、いかにもリアリズムを装おうとして、とんだ馬脚をあらわしてしまったのです。龍野教授が、すでにこの調書を読まれているとしたら、一体どんな感想を抱かれたのでしょうか。

「衣服に泥はなかった!」

 ところで、殺害当日の五月二十四日午後は、雨が降っていました。アンテナ施設の入口前が雨の日にどんな状態になるかは、カラー口絵で見たとおりです。この場所でこれだけ長時間格闘すれば、当然衣服も靴も泥まみれになるはずです。

 私たちはA少年のお母さんに、「五月二十四日、着ているものは泥で汚れていましたか?」と聞いてみました。するとお母さんは、「洗濯は毎日するが、衣服や靴が泥んこになっていて洗濯したという記憶はありません。五月二十四日、泥はなかったです。そうなんです。おかしいんです。私は前から、警察にも弁護士にも言っているんです。でも、取り上げてくれない」と、はっきり言われたのです。

 なお付け加えておけば、調書では、A少年がJ君を連れてタンク山のアンテナ基地へ向かったルートは、「タンクの下付近を廻りながら、山頂へ向かう獣道を歩いて行きました」となっています。しかし、A少年の逮捕直後の、警察のリーク情報にもとづくマスコミ報道では、タンク横から基地へむかう直登ルートを登ったとされていたのでした。この直登ルートを登れば泥だらけになること必定であり、このことは当時の新聞でも書かれていました。だからこそ、調書では、左回りの獣道を行ったことに変えたにちがいないのです。

【掲載者注 アンテナ基地写真の中の手書きの図にある「粘土質の斜面」が、この「直登ルート」にあたる。粘土質の地肌が剥き出しの急斜面なので滑りやすい】


着衣 少ない血痕
切断後、着せ直す?

神戸市須磨区友が丘、市立多井畑小学校六年土師淳君(11)殺害事件で、通称「竜の山」のケーブルテレビアンテナ基地内に遺棄された淳君の遺体の着衣にほとんど血痕が付着しておらず、靴にも土や草木の断片などがついていないことが、兵庫県警捜査本部(須磨署)の十二日までの調べでわかった。また、頭部には血をふき取ったような形跡があることも新たに判明した。衣服に血痕が少ないのは、服を脱がせて遺体を切断し、その後、着せ直したことなどが考えられ、基地周辺の血液反応がごく微量しか出なかったことも合わせ、捜査本部は、犯人が別の場所で遺体を切断し、アンテナ基地に遺棄した、との見方を強めている。[毎日新聞97年6月2日]

「タンク山」の土付着せず
淳君は先月24日午後1時半ごろ、自宅を出た際、ひも付きの青色布製運動靴をはいていた。遺体の胴体部分は27日、タンク山山頂付近のケーブルテレビのアンテナ基地建物の床下で見つかり、運動靴も脱げた状態で現場で発見された。
捜査本部は、この靴底に付着していた土砂類を入念に採取。タンク山の土砂との比較検討を行ったが、合致しなかったという。
タンク山ふもとからアンテナ基地まで上る道は合計3ルートあるが、いずれもアンテナ基地付近は舗装されていない山道。山道を歩けば、必ず靴底に土砂類が付着する。このため捜査本部は、淳君は遺体となってからアンテナ基地に運ばれたとの見方を強めている。
また、遺体発見前日の26日午前、複数の住民がアンテナ基地周辺を綿密に捜索したが、遺体は発見されなかった。この日は日没までは、県警と住民の捜索隊が周辺に出動していたことから、犯人は26日夜から27日朝にかけて遺体を運んだとの見方が有力になっている。[読売新聞97年6月12日]

淳君 車内で殺害か
神戸市須磨区の市立多井畑小6年、土師淳君の殺人・死体遺棄事件で、市立友が丘中の正門に遺棄されていた淳君の頭部に、微量の繊維片が付着していたことが10日わかった。兵庫県警捜査本部は、淳君が行方不明になった先月24日以降についたものと判断。犯人が淳君の首を絞めて殺害した時か遺体を運んだ際に、何かに接触して付いたとみている。車の布製シートカバーの繊維に似ており、犯人が淳君を車内で殺害した可能性もあり、捜査本部は犯人につながる有力な物証と見て、分析を急いでいる。
調べでは、繊維片は髪に付いていた。中学校の正門周辺からは同様の繊維片は見つかっておらず、捜査本部は、淳君が犯人に拉致されたあと、別の場所で何かに強く押し付けられた際に付着したものとみている。[毎日新聞1997年6月10日]


馬脚をあらわす「靴紐で絞殺」の物語

 さらに検事調書のいう格闘劇が事実だとするならば、当然にもJ君の遺体には首を絞めた手の指の跡だけでなく、靴紐の跡が何本もつくはずです。そういう事実はあるのでしょうか。

 龍野教授は言っています。「ごく細い索状痕、細い線ですよ、ほんとうに細い線が一本だけついていた。そして首の切り口は、ほぼこの線に沿って切られていた」、と。

 この索状痕は、運動靴の紐などによるそれではないのです。たぶんそれは細くて丈夫なロープのようなものであり、犯人どもはJ君を拉致したその直後にこれを用いて彼を絞殺したにちがいありません。そして、まさにこのような一本の細い索状痕が遺体に残っており、そのうえでA少年を犯人にしたてあげなければならなかったからこそ、検事は、靴紐を使っての絞殺という物語を作らざるをえなかったにちがいないのです。

 しかし、いきなり靴紐で絞殺したというのではあまりにも唐突なので、検事は、まず手で・次にはナイフで・さらに石で・そして最終的には靴紐で、という長い長い格闘の物語をひねりだしたのにちがいありません。けれどもこの物語は、至るところで馬脚をあらわすことになっているのです。

 そもそも、誰かを殺すという目的だけが明瞭で、何を用いて殺すのかを全く考えていないこと自体が、きわめて奇妙なのです。手では殺せないので「ナイフで殺そうと思い、ジーパンのポケットを探して」「初めてナイフを持ってきていなかったことに気づいた」などというのは、あきらかに作り話というものです。A少年が持っていたといわれている「龍馬のナイフ」は、さやも含めると二五・五センチもの長さがあります。これが体にぴったりするジーパンのポケットに入っているかどうかは、探すまでもないはずです。


「龍馬のナイフ」は長さが25・5センチメートルあり厚みもある。「ジーパンのポケットを探し」て「初めて持ってきていなかったことに気付いた」〔調書〕などというのは全くおかしい

 それだけではありません。午後4時25分頃にビデオショップ「ビブロス」でA少年と会った複数の友人が、次のように語ったといわれているのです。「……話している最中、〔A少年は〕二十五センチほどの白木のさやに収まった刃物を手にしていた。『ヤクザ映画に出てくるような刃物』だったが、血や泥がついているようには見えなかった」と(「朝日新聞」7月2日付)。

 ところでさらに、この靴紐についての供述には、検事の誘導尋問の“痕跡”が歴然としています。
「〔靴紐の〕端を……施設入口のフェンスであったか桟であったかまでは覚えていません……」(7月5日付調書)。「僕は……その靴紐でB君の首を絞めたのですが、その後、いつ……運動靴に付けたかまでははっきり覚えていません」「〔ビブロスで友人と会った時は〕まだ靴紐は解いたままであり、履いていた左足の運動靴はガバガバの状態でした」「今示された『運動靴』を見ると、右足と左足とでは、靴紐の付け方が違っているのに気付きました」「それで……ことから考えると、その左の靴紐でB君の首を絞めたのだと思います」(7月17日付調書)

 靴紐をフェンスまたは桟のどちらに結んだのかも(フェンスはゆがむはずだ!)、またいつこの紐を靴につけたのかも、何も覚えていないが、「今示されて」「気付く」「ことから考えると」「……と思います」一これは、検事から言われてA少年がやってもいない犯行を無理矢理「供述」させられていることの、端的な表現なのではないでしょうか?

 さらにこの五月二十四日の「J君殺害」物語には、次のように矛盾が山ほどあるのです。

 1 J君が自宅を出たのは午後1時30-35分(母の証言)、A少年がビブロスにあらわれるのが午後4時25-30分(友人の証言)一このかん三時間弱しかない。J君殺害に至るあの格闘だけで一時間かかったとすれば、<J君の誘い出し → 殺害 → 山を降りてコープリビングセンターで「糸ノコ」(金ノコ?)と南京錠二つを万引き → 山に戻り施設入口の南京錠を切断 → 古いアンテナを移動しJ君を局舎床下に運び入れて隠す → 山を降り友人と落ち合う>という全行動をとるのは、私たちの実地検証では時間的に全く無理だということ。

 2 このかん、A少年を目撃した者が誰一人としていないこと。

 3 一時間も格闘している間に、J君がどんな抵抗をしたかなどは全く触れられず、彼の服装さえ「覚えていない」こと。

 4 「右利き」で「無器用な」A少年が、右手でJ君の首を絞めながら、左手で、手袋(内側にゴムのついた黄緑色の軍手のようなもの)をはめたままで靴紐を解き、地面の上で輪っかを作り、さらにフェンスか桟に縛るなどということができるのかということ。

 5 土曜日の人目の多い店内で手提げ袋ひとつ持たず、トレーナー・ジーパン姿であったはずのA少年が、どうやって47センチもある金ノコを万引きできたのか、一言も触れていないこと。

 6 施設入口の南京錠を「糸ノコ(=金ノコ)」で一分位で切った」というだけで、切れば出るはずの彪大な真鍮の粉についてさえ全く言及していないこと。

 7 「体力のない」A少年が四十二キロあるJ君の遺体を施設内の狭い局舎裏にひきずり運んだだけでなく、局舎の床下60センチに「蹴りこむ」などということは、容易ではないこと。等々……。

 検事調書が三流小説以下的な下手な作文でしかないということは、もはやあきらかというべきではないでしょうか。

「靴紐による絞殺」は作り話だ!

「うつ伏せになった」J君に「馬乗りになり」「靴紐を力一杯両手で引いて持ち上げるように」した


「仰向け」になったJ君の「腹の上に馬乗り」になりJ君の首に巻き付けた靴紐を「両手で力一杯」引っぱった


調書のいうように、上のような動きをしたのが事実だとするならば、3ヵ所にヒモ跡がつくはずなのだ。


「左」側の靴紐の「端をケーブルテレビアンテナ施設入口のフェンス」か「桟」かに「結びつけ」J君の「首を絞め付け」た


J君の遺体のヒモの跡は、45度の角度で「1本だけ」上のようについていたのだ。(司法解剖をおこなった神戸大龍野教授)


45度の角度のヒモ跡はJ君よりはるかに大きな人間がつり下げるように絞めないとできないのだ。


靴紐を輪っかにして頭を通すのは無理!

1 “右手でJ君の首を絞め、左手で靴紐を解き、地面に置いて、左手で輪っかをつくった”
A少年は右きき。きき腕ではない左手で、しかも「手袋」をつけたまま、あばれるJ君を片手で押さえながらこのような級密な動作をすることはできない。

2 靴紐は、穴の数によって長さは変わるが、大人用でも長さ945B。
「一重で、強く引けば結び目ができる」ように輪を作ると、ほとんど手で持つ部分はなくなる(写真)。しかも、使用中の靴紐は穴にあたるところが傷んだりしているので思いっきり引っ張ると切れてしまう。


3 格闘している最中に紐をフェンスや桟に結びつけることは難しい。
また結びつけた紐は当然固くしまってほどくのに苦労する。当事者であれば、結びつけた先が「フェンス」か「桟」か覚えていないはずがない。

2「糸ノコ」で遺体を切断

戻る   続く