イスラーム原理主義について

Date: Sat, 15 Sep 2001 03:02:52 +0900

[以下の文章は、あるMLで「イスラーム原理主義について」と題して、MIさんという方が書かれたものです。
 今たいへんに必要な基礎的な事柄をわかりやすくまとめてあるので、MIさんの了解を得て掲載します。
 マスコミの報道をうのみにしていると、イスラム教国に住んでる連中は何をするかわからない、狂信的だ、というふうに、漠然と思いがちで、これはよくないことです。欧州では極右勢力が、外国人(イスラム教国人)排斥を主張して、今問題になっています。極右政党は「文明は世界にひとつしかない」などと絶叫するのです。私たちは、そんな方向に進んではなりません。イスラム教国の民衆を近代的・西欧的なものに反発するようにしむければ、誰より害を被るのは、イスラム教国の女性たちだからです。(papa dadaista)]

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 今回米国で起こったテロ事件に関して、「イスラム原理主義過激派」の「指導者」
である「ウサマ・ビン=ラディン氏」なる人物が「黒幕である」との報道がしきりに
行われています。こうした報道に当たって、「イスラム原理主義」およびその「過激
派」なる用語が一人歩きしているようですので、多少、情報の整理をした方がよいの
ではないかと思います。
 もちろんご存じの方はたくさんいらっしゃるでしょうが、ご容赦下さい。また、別
途解説を加えたり、訂正をして頂ければ幸いです。

(1)イスラームについて

 イスラームはユダヤ教・キリスト教の系譜に連なる一神教であり、7世紀に預言者
ムハンマドによって創設された宗教です。その後数世紀の歴史プロセスの中で、イス
ラームは当時の様々な宗教や習俗、文化と混淆し、かつ法学、哲学へもその幅を広げ
、当時の世界において有力な世界解釈体系の一つとなりました。
 イスラームはしかし、15世紀以降の西欧近代文明の発達と世界の統合の中で、西欧
近代文明・近代思想に対し従属的な地位へと貶められていきます。19世紀後半からは
、西欧帝国主義による世界支配の時代に入っていきますが、イスラームはそこに組み
込まれつつ、これまでとは別の意義を獲得していきます。イギリスやフランスの侵略
にさらされたエジプトでアフガーニーがイスラーム復興の思想を説き、それがエジプ
トの民族主義運動に結びつきます。また、ワッハーブ派が、オスマン朝のもとで腐朽
したイスラーム教の刷新を行い、最終的にはサウド家と結びついてサウディ・アラビ
ア王国を建国していきます。こうした形で、イスラームは西欧の支配に組み込まれつ
つ、それに対する対抗のアイデンティティとしての位置を確保していきます。これが
イスラーム原理主義の起源といってよいでしょう。現在もエジプトに強力な組織をも
つムスリム同胞団などは、この時代に創設されたものです。

(2)民族主義とイスラーム原理主義の相克

 20世紀に入ると、イスラーム世界における西欧に対する自立・独立運動は、イスラ
ーム原理主義とは相対的に別個の、世俗主義の二つの流れを生み出すことになります
。一つは、イスラームを脱し、西欧近代主義をわがものにすることによって、自国を
西欧と並ぶ国民国家にし、それをもって西欧からの独立を達成するという流れで、ト
ルコにおけるムスタファ=ケマルの革命に代表されるものです。
 もう一つは民族解放運動です。イスラームとは相対的に独立したアラブ民族主義思
想によって、植民地の独立や半植民地状態にあった国の完全自立をめざすもので、社
会主義を指向する流れです。アルジェリア民族解放戦線やエジプトのナセル政権、さ
らにはパレスチナ解放運動が典型的なものとして挙げられますが、イドリース王朝を
倒したリビアのカダフィ政権、アラブ復興社会主義をかかげるシリアやイラクの政権
なども、異端ながらこの流れに属するものと言えます。この時代、イスラーム原理主
義はその力を失い、完全に民族主義にとって代わられていました。
 70〜80年代、とくに80年代以降、イスラーム原理主義の流れが再び強大な力を持っ
て復権してくるのは、一つには、こうした二つの世俗主義の流れが、ほぼ破綻したこ
とによるものです。
 エジプトのサダト政権は、ナセルの流れを引き継いでイスラム同胞団を弾圧しなが
ら、政治的には右旋回して、米国のいうままに、パレスチナ解放運動との連帯を放棄
してイスラエルとの和睦に向かいました。シリア・イラクそれぞれの民族社会主義政
権は、腐敗した独裁政権へと変貌しました。アルジェリアは無謀な重工業建設路線が
破綻して事実上経済的に崩壊し、民族主義は思想的頽廃の極に達しました。イスラー
ム原理主義は、それまで西欧からの独立・自立・解放をめざす中心的思想であった民
族主義、社会主義が崩壊し、独立・自立・解放の方向性を支えるイデオロギーたりえ
なくなったときに、それらの代替物として中東地域の民衆の中に根を下ろしはじめた
わけです。

(3)80-90年代以降のイスラーム原理主義の復権

 1979年にイランで革命が起こり、81年にイスラム教シーア派の聖職者による統治体
制が誕生して以来、イスラーム原理主義の波は各国を次々とあらっていきました。ア
フガニスタンでは、ソ連の撤退以降、スンナ派のイスラーム原理主義勢力が支配しま
したが、四分五裂し内戦が継続しています。トルコでは、イスラーム原理主義政党が
議会の多数を占め、一時は内閣を掌握しました。スーダンでは、政権を確保した軍の
指導者が特殊な立場のイスラーム聖職者に導かれることによって、イスラーム原理主
義を標榜する政権へと変貌しました。最も悲惨なのはアルジェリアでした。複数政党
制の選挙で最大多数を確保したイスラーム救国戦線が、原理主義政権の樹立を恐れる
フランスと軍部によるクーデターによって徹底弾圧され分解、虐殺が相次ぐ内戦へと
突入します。
 ここで注意しなければならないのは、イスラーム原理主義というのは、長い歴史と
大きな広がりをもったものであり、当然ながら、そこには様々な思想的系譜があって
、決して単一のものとして評価することは出来ないということです。評論家などのな
かには、リビアのカダフィ政権やイラクのフセイン政権とイスラーム原理主義の区別
すら付いていない人がいますが、前者は世俗主義、後者は宗教主義であり、この二つ
は根本的に対立しあうものです。
 また、アルジェリア内戦において、村落の無差別虐殺作戦を繰り返し数万人の命を
奪った「武装イスラーム集団」はイスラーム原理主義とされ、イスラーム救国戦線と
同一視されることがありますが、現在では、「武装イスラーム集団」はむしろアルジ
ェリアの軍事政権を牛耳る支配的軍人たちとつながり、イスラーム救国戦線側の村を
集中的にねらっていたことが、ほぼ明らかにされつつあります。また、アフガニスタ
ンのタリバーン政権は、イスラームと現地のパシュトゥーン人の風俗習慣とを混淆さ
せた独自の宗教観に基づく勢力であり、イランの現体制とは水と油の関係にあります
。「イスラーム」=「テロ」といった短絡はもちろん、「イスラーム原理主義」=「
テロ」という短絡もすべきではありません。イスラーム原理主義は、各地域において
それが根ざす社会構造、経済状況、イデオロギー状況によって大きな差異をもってい
るのであって、こうした差異を把握しないままに「イスラーム原理主義」の「テロ・
ネットワーク」などといった詐術的言辞に惑わされてしまうと、紛争予防の最も基本
的な処方箋を書くうえでも、大きな誤りを犯すことになります。

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 さて、前説が長くなってしまって申し訳ありません。本題です。

(4)タリバーン政権について

 アフガニスタンは1979年12月、ソ連が侵攻し、軍事的に制圧してカルマル政権を打
ち立てました。この時期は、ポーランドの民主化闘争への弾圧などもあり、米ソ関係
が著しく冷え込んだ時期でした。米国はソ連の侵略と闘うイスラーム戦士たちに対し
て莫大な武器援助を行い、彼らを育て上げました。しかし85年以降米ソ冷戦が終結し
、ソ連がアフガニスタンを撤退するとともに、米国もアフガニスタンから手を引き、
残ったのは様々な勢力に四分五裂して覇権を争うイスラーム原理主義集団や軍閥でし
た。彼らは一応、統一政権を打ち立てますが、長続きせず戦乱がくり返されました。
 そこに登場したのが、パキスタンによって育成されたパシュトゥーン人主体の勢力
、タリバーン(神学生)です。パキスタンは米国の友好国であり、当然、タリバーン
は米国と強いパイプを持っていました。タリバーンはパキスタン国境からアフガニス
タンに浸透するや、旧政権軍を次々と破り、カブールに入城しました。彼らはソ連の
傀儡政権で首班の座にあったナジブッラーをとらえて公開処刑し、町のまん中に彼の
死体を高々と掲げました。
 その後タリバーンがとった政策は途方もないものでした。全ての女性を解雇して家
に閉じこめ、外出の際には顔も含めて全身を覆わなければならない。旧政権軍の側に
まわったウズベク人やハザラ人については、ジェノサイドとすら言える大量虐殺作戦
を繰り広げました。多くのハザラ人が各地に逃亡し、一部の人は日本に逃げてきて難
民申請をしています。(ちなみに、日本に難民申請を行ったハザラ人がすべて受け入
れられているわけではなく、アフガニスタンへの退去強制を宣告された人もいます)
 こうしたタリバーンの思想や行動は、イスラームというよりも、タリバーンを構成
する主要民族であるパシュトゥーン人の習俗をイスラーム教スンナ派(主流派)の教
義に混淆させたものであると言われています。タリバーンや、それ以外の宗教主義勢
力の蛮行については、本メーリングリストでも三輪さんが精力的に投稿されています
が、上記の経緯を見ても分かるように、彼らを養い、武器を山のように提供して、特
に中央アジア地域に、何十年にもわたって続く戦争の種をまいた上で、ソ連がつぶれ
るとさっさと戦線離脱し、タリバーンが支配するに任せたのはアメリカです。タリバ
ーンはアメリカ製の武器で闘っているのです。タリバーンをアフガニスタンの正当な
政権と認めているのはパキスタンとサウディ・アラビアですが、この二国はいずれも
、アメリカの友好国です。ちなみに、日本もタリバーンと深い関係を持っており、仏
像破壊の際には、松浪議員を送り込んで「仏像は壊さないでくれ、移送する金は出す
」などとのたまわせたわけです。

(5)ウサマ・ビン=ラディンに実力はあるか?

 ウサマ・ビン=ラディンも、サウディ・アラビアからアフガニスタンに義勇兵とし
て渡り、米国に育てられたムジャヒディンの一人です。彼はアラブ人で、アフガニス
タンの諸民族とは系統が違いますが、イスラーム教スンナ派であるという点では共通
するといった点、また、以前パキスタンのカラチの聖職者だったタリバーンの最高指
導者オマル師と親交が深いといったことがあり、彼はタリバーン政権にかくまわれて
いるといわれています。
 ウサマとタリバーン政権、両者とも米国と深い関係にありますが、とくにケニア・
タンザニアにおける米国大使館爆破事件以降、米国はタリバーン政権に対して、ウサ
マの引渡を要求しており、タリバーン政権はその取扱いに苦慮してきました。タリバ
ーン政権は、国土の90%を支配していながら正当な政権と認められていないという状
況にあります。いろいろと報道されてはいますが、すくなくともウサマの庇護者たる
タリバーン政権は、少なくともウサマが単独で米国に本来の意味での脅威を与えるよ
うなことができないように締め付けを行ってきたはずです。また、ウサマが「指導者
」としてテロ組織を指導したとのことですが、ウサマ自身はイスラーム聖職者でもな
く、イスラーム教徒を導く立場にいるわけでもありません。資金的にも、海外の資産
を凍結されて既にお金を使い果たしているとの説もあり、どこまで「富豪」の実態が
あるかもわかりません。その意味では、ウサマがフリーハンドでテロ集団を指導し、
ウサマ自身の力によってあのようなテロを遂行したのだとする、現在のメディア主流
の見解には、極めて懐疑的にならざるを得ません。
  
(6)今回のテロについての視点

 今回のテロは、ハイジャックをした飛行機を、乗客もろとも目標物にあて、全員を
巻き添えにして殺害するというものであり、従来の爆弾テロなどと比較しても、大き
な一線を越えたものであるといえます。ドイツの詩人エンツェンスベルガーは「政治
と犯罪」において、19世紀ロシアの社会革命党のテロリストたちをテーマに、要人暗
殺を軸とするテロにおける倫理のあり方について論じましたが、今回のテロは、それ
から百数十年を経てテロリズムが行き着いた最悪の結末であると言わざるを得ません。
 エンツェンスベルガーはしかし、社会革命党のテロリストたちを論じた際に、テロ
リズムを行う組織は、その対象となる国家権力ならびに治安組織と、鏡で映したよう
に似たものとなる、と論じました。逆もまた真なりです。今のところ、真偽は全く不
明ですが、もしウサマの勢力がテロを行ったのだとすれば、あのテロは、アメリカ中
心のグローバリズムの一極構造それ自体の引き写しであるということが出来ると思い
ます。
 私は、世界貿易センターでのテロにより殺害された人々、乗っ取られた飛行機に同
乗していて巻き添えとなった人々に対して、真摯に、哀悼の意を表明します。
 そして、同時に私たちが哀悼しなければならないのは、例えばタリバーン政権によ
る虐殺政策の犠牲となった、そして今もなっている、数多くのハザラ人たちや、アル
ジェリアで独立以降形成された軍を中心とする支配階層による支配構造を維持するた
めに行われたクーデターの後、「イスラーム原理主義」を掲げつつ支配層と結託する
虐殺集団の手によって殺害されてきたアラブ人、ベルベル人たち、さらには、スーダ
ンで「イスラーム原理主義」を標榜する軍政のもとで過酷な戦争政策の犠牲となって
きた南部の黒人たちのことです。同様に「イスラーム原理主義」の犠牲となってきた
彼らに対して、私たちは、ニューヨークやワシントンで死んだ人々と同じ様な追悼を
あらわしてきたでしょうか。おそらく、そうではなかったと思います。米国で死んだ
人々の、恐らく数倍、数十倍の数にのぼるであろう彼らの死は、私たちの多くの目を
かすめもしなかったのではないでしょうか。そして、例えばタリバーンを養成したア
メリカ、アルジェリアで最終的に軍の支配層と結託してクーデターを起こさせたフラ
ンスは、(また、特にアフガニスタンに関して、タリバーンと一定の絆を持つ日本は
)、彼らの死を放置し、そんな死のことは一顧だにせずに、せっせとこれら「原理主
義者」たちと結託し、その支配に手を貸してきたのではないでしょうか。
 来週には、米国による軍事行動がなされる可能性が高くなってきました。
 アフガニスタンに軍事行動がなされればどうなるか。分かりきった話です。「報復
」である以上、アフガニスタンにおいていかなるオルタナティブが可能かといったこ
とは一切鑑みられません。イラクで、そしてセルビアで起こったように、タリバーン
政権は、他国への攻撃力を一切喪失しつつ、国内で少数民族や女性、同性愛者などの
弾圧に汲々とする小支配者として残存することになるでしょう。結果的に、数十年に
わたる戦争で、すでに全土が「世界貿易センター」跡と化しているこの国は、さらな
る戦争により、より厳しく痛めつけられるだけです。
 私たちがしなければならないのは、この期に及んで、この事件の犠牲者たちになり
かわって、何の権利があってか「敵」を指定し、これに「報復」を加えることを企図
するブッシュ政権や、「文明世界」の一員を潜称してそれに追随する国家権力に対し
て、その欺瞞性を暴き出し、報復としての軍事行動を断固として阻止すること、とに
かく戦争を止めるために立ち上がることであろうと思います。

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