なぜ2001年9月11日だったのか?
イマヌエル・ウォーラステイン

 2001年9月11日、全世界が人間的悲劇と壮大なドラマを見、誰もがそれから目をそらすことができなくなってしまった。米国で早朝に4機の民間機がハイジャックされた。ハイジャック犯の人数は各機に4〜5人ずつ。ナイフで武装し、少なくとも各機を乗っ取ったグループのうち1人は飛行機操縦の技術を持っていて(少なくとも1度は飛行機を飛ばしたことがあった)、機を乗っ取ると、パイロットに取って代わり(あるいは殺害し)、自殺の任務へと機を赴かせた。4機のうち3機が目標に命中した。ニューヨーク市の世界貿易センターの2つのタワーとワシントンDCの国防総省である。

 機に積載していた燃料の量と、機をどのくらいの高度でビルに当てればいいかについての技術的知識を持っていたことから、ハイジャッカーは、二つのタワーを完璧に破壊し、ペンタゴンに大きな穴を開けることができた。これまでのところ、おそらく死者は5000人を越え(正確な数字は誰にもわからない)、負傷者や精神的外傷を負った人はこれをはるかに上回るはずである。米国の航空網と金融機関は、少なくとも今週の間はほぼ操業停止状態を余儀なくされ、語られることのない短期および中期の経済的損害がもたらされた。

 この攻撃に関して第一に指摘すべきことは、その大胆さと、めざましい成功である。一団の人間たちが、イデオロギーと、進んで殉教者となる意志とによってむすびつき、世界のどんな秘密特務機関からも妬まれるほどの隠密の作戦に従事したのである。彼らは、米国に入国することに成功し、4機の航空機にナイフを持って乗りおおせ、それらの機が3箇所の空港をほぼ同時に出発し、その全てが北米横断フライトに向う機だったので、大量の燃料を積んでいた。彼らは、その機を乗っ取り、うちの3機が首尾よく目標に到達した。CIAもFBIも米軍情報部も、またその他のいかなる機関も、事前に何も察知せず、このグループの行動を阻止するために何もできなかった。

結果は、我々がテロと呼ぶものの歴史上、最も破壊的な事態だった。これまでになされた殺戮事件で、犠牲者の数が400人を超えたものはない。今しきりに引き合いに出される真珠湾攻撃ですら、一国の軍隊の行なった攻撃であるにもかかわらず、命を落とした人の数は、今回の事件よりはるかに少ないのである。しかも、今回のテロは、合州国国境内で戦闘行為が発生したという点で、南北戦争(1861〜1865年)以来のことである。米国は、それ以後、数多くの大規模な戦争を行なってきた。米西戦争(1898)、第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争(その他の「小規模」な戦争はあげないが)。そして、そのどれにおいても、実際の戦闘は国境の外で行なわれた。戦闘行為がニューヨークとワシントンの町なかで起こったという事実が、今回の攻撃で米国民にとって最大の衝撃だったのである。

そこで大きな問題は、なぜ、ということだ。ほとんど誰もが、このテロの責任はウサマ・ビン・ラーディンにあると言っている。これは妥当な想定のようである。彼は、こうした行為を行なう意向があると言明してきたし、たぶん近いうちに米国当局はこの想定を裏付けるなんらかの証拠を提出するだろうからだ。では、これが正しいものと仮定してみよう。ビン・ラーディンは、米国をこの人目をひく方法で攻撃することで、何を達成したいと思っているのだろうか。そう、これは、米国が世界中、ことに中東で行なっている悪行だとビン・ラーディン(その他の人々も)が見做しているものに対する怒りの表現と復讐として見ることができるだろう。では、ビン・ラーディンは、あのような行為によって、米国政府を説得して政策を変更させることができると考えているのだろうか。私には、彼がそんなことを信じるほどお目出たいとは到底思えない。ブッシュ大統領は今回の攻撃を「戦争行為」と見做すと言ったし、おそらくビン・ラーディンも、もし彼があの攻撃の犯人ならば、同じ考えだろう。戦争というのは、敵に行ないを変えるよう説得するためになされるものではなく、そうすることを強制するためのものである。

そこで、我々はビン・ラーディンの身になって考えてみることにしよう。彼は、あの攻撃によって何を証明したのだろうか。彼が最も明らかに証明したのは、世界唯一の強国である米国、世界でいちばん強力で高度な兵器をもつ米国が、あの攻撃から国民を守ることができなかったということである。これもあくまでビン・ラーディンがあの事件の背後にあると仮定しての話だが、ビン・ラーディンがしようと望んだのは、明らかに、米国が張り子の虎だということを示すことである。そして、彼は、それを何よりも米国民に示したかったのであり、それから世界のすべての人々に示したかったのである。

今では、このことは、ビン・ラーディンにとってと同様に、米国政府にも明白なことである。かくて答はこうなる。ブッシュ大統領は、強力な対応を約束しており、米国の二大政党の政治的選良たちは、なんのためらいもなく、彼に愛国的な賛同を与えた。しかし、我々はここで、米国政府の視点から考えてみよう。彼らには何ができるのだろうか。

いちばん容易なのは、あの攻撃に対する糾弾に外交的支援を得ること、そして、今後行なういかなる反撃をも正当化することである。これこそまさにパウエル国務長官がすると言ったことである。そして、それはその報いを受け取りつつある。NATOは、NATO条約第5条にもとづき、米国に対する軍事的攻撃(今回のテロはそれに該当すると彼らは見做している)があった場合、米国が要請すれば、反撃にはNATO加盟国すべてが支援を与える必要があると言っている。アフガニスタンと北朝鮮まで含めて世界の全ての国の政府が今回の攻撃を非難している。唯一の例外はイラクである。アラブ諸国とイスラム諸国の民衆は米国を支援していないというのは事実であるが、米国はそれを無視しよう。

米国がこの外交的支持を達成し、おそらくそのうちに国連の支持も取りつけるだろうという事実は、ビン・ラーディンにほとんど不安を与えないだろう。外交的支持は、米国民にとっても、物足りないものに思えるはずである。彼らはそれ以上のものを求めるだろう。そして、それ以上ということは、ほとんど不可避に、なんらかの軍事的行動を意味することになる。だが、どんな軍事的行動か。米国空軍は誰に爆弾を落とすのか。ビン・ラーディンがあの攻撃の背後にいるのだとすると、可能な標的は、今後どのような証拠があがってくるかによって、アフガニスタンかイラク、あるいはその両方しかない。そこを爆撃すると、どれだけの損害を与えることになるだろう。半分破壊されてしまっているアフガニスタンでは、そんな破壊をしてもあまり意味はないだろう。また米国は、人命を失わせたくないということも含め、多くの理由から、イラク爆撃を抑制してきた。米国はもしかすると誰かを爆撃するかもしれない。それで、米国民および世界の他の諸国は、米国は恐い国だから攻撃すべきないと納得するだろうか。私は、それはどうも疑わしいと思う。

ことの真相は、米国にできることはあまり多くないということなのだ。CIAは長年カストロを暗殺しようとしてきたが、彼は今も生きている。米国は、ビン・ラーディンを捜して、もう何年にもなるが、彼は捕まっていない。いつの日か、米国の手の者が彼を殺すかもしれず、それで、今回のテロのような特定の作戦は少なくなるかもしれない。それはまた多くの人々を大いに満足させもしよう。しかし、問題はなお手つかずで残ることだろう。

明らかに、なすべき唯一のことは、政治的な何かである。だが、何をするのだ。この点で、米国内(あるいは、さらに広く言って汎西欧的な場)での全ての協調は消え去ってしまう。タカ派は、今回のテロで、シャロン(および現イスラエル政権)の正しさが証明されたと言う。「彼ら」はみなテロリストであり、彼らを扱うには、厳しい反撃をもってせよ、というのである。これは、これまでのところ、シャロンにとって、そんなにうまくはいっていない。なのに、なぜジョージ・W・ブッシュならうまくいくと言えるのか。それに、ブッシュは米国民にそのための犠牲を払わせることができるのか。そんなタカ派のやり方は、きっと高くつくだろう。他方、ハト派は、「交渉」で処理できると主張するのは困難だと見ている。交渉を誰とするのか。また何をめざしてするのか。

おそらく今起こっている事態は、この「戦争」(今週マスコミが呼んでいるところによれば)は、勝つこともできないし、負けることもありえないが、ただ、続くだけだということなのである。この個人の安全の崩壊は、今や米国民を初めて襲いつつあるだろうひとつの現実なのである。それは世界のよその多くの場所では既に現実である。この世界のシステムの渾沌たる動揺の底にひそむ政治的問題は、文明対野蛮などということではない。あるいは、少なくとも、我々が理解しなければならないことは、この戦争の当事者が両側ともに、自分たちは文明的であり、野蛮なのは相手だと考えているということなのである。今進行中の事態の底にひそむ問題は、我々の世界システムの危機であり、後継世界システムとして我々はどんな種類のシステムを作ることになるのかをめぐる闘争なのである(1)。だからといって、問題は、米国人とアフガニスタン人やイスラム教徒あるいは何かほかの者の間のコンテストにはならない。これは、我々が構築したいと望む世界についての異なるさまざまなビジョンの間の争いなのである。2001年9月11日は、多くの人が言っているのに反して、じきに、長期的な衝突の中の小さなエピソードに思えるようになるだろう。この闘争は、長期にわたって続くことになり、この惑星に住む人々の大半にとっては、暗黒の期間となるだろう。

(訳 萩谷 良)

Immanuel Wallerstein
Comment No. 72, Sept. 15, 2001
"September 11, 2001 - Why?"

[ Fernand Braudel Center, Binghamton University]
http://fbc.binghamton.edu/commentr.htm

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