「軍隊を捨てた国」

 『軍隊を捨てた国」(あいファクトリー制作http://www.aifactory.co.jp)を見た。
 日本より一年あとに軍隊を持たないと規定した憲法を自主的に制定した中米のコスタリカを紹介する映画だ。
 平和憲法は日本だけではないのだ。

 コスタリカは、とかく政情不穏なこの地域に和平を実現するため、徹底して外交的手段だけでの働きかけを、時には米国にさからいながら、半世紀、続けてきた。
 一九八七年には大統領がノーベル平和賞を受賞している。
 軍事費を必要としないため、教育と環境保護の水準が高いことでも知られている。

 でも、これは、政治的議論ずくめの硬い映画ではない。
 山本洋子監督は、この国の子どもや女性や普通の市民の魅力を紹介するのに忙しい。
 行儀が悪いくらいでも、誰もが遠慮なく自分の意見を言う小学校や高校の授業。
 お祭のような選挙。支持候補のユニフォームを着て応援に加わる小学生たち。それが奨励されているのだ。
「警察だってうっとうしいのに、軍隊なんてもっといや」と語る主婦たち。
 中学に通う四十歳過ぎの警察官と、くったくのないその家族。
 特産のコーヒーを輸出する生協。工芸品の制作で自分の収入を稼ぐ喜びを語る主婦のグループ・・・
 この映画には、ラテン系文化の解放性、十九世紀末に世界に先駆けて死刑を廃止した国の徹底した民主主義の輝きが、溢れている。吸い込まれるような熱帯雲霧林の自然も魅力。

 現在、日本各地で上映会が行われている。

4月3日付記
 4月2日のTBSラジオ「秋山ちえ子の談話室」でも、コスタリカのこと、そして『軍隊を捨てた国』のことがとりあげられたそうである。
 聴いた人の話では「コスタリカに軍隊がないことに始まって、 コスタリカという国が、世界の平和に積極的にかかわっていること、まで、 とてもわかりやすい内容」だったとのことである。

 こうして、コスタリカのことは日本全体で常識になっていく。

[6月5日付記]
 とにかくまず楽しく見たい映画だと思う。人が満足していていけないことはないのだから。自由とはそういうものなのだから。
 とにかくいま、コスタリカは注目されている。それはとてもいいことだと思う。
 コスタリカとは何か?

 ◇米国の中庭と言われるあの地域で、1949年以来、非武装主義を規定した憲法を維持し(軽装備の国境警備隊 のみ)、積極的中立主義を唱えて、周囲の戦乱の続く諸国に 積極的に和平交渉を呼びかけてきた 「平和の輸出国」「国際的火消し役。

 ◇1871年に死刑を廃止。

 ◇子どもたちに自分の権利と他者の権利を尊重することを主眼とする教育を行っている。(権利の主張ばかりが行きすぎているという言葉が決まり文句になっている日本とのなんという違い)。このことと、死刑廃止は無関係だろうか? 確実に言えることは、死刑を廃止できる社会であって、はじめて、人びとは互いの人権を尊重し、平和を達成することを、偽善でなく、楽しみと期待をもって語れるようになるのだということだ。

 ◇コスタリカの歴代政権は、いずれも護憲政党だ。日本は、「平和憲法」と名づけられた憲法をもちながら(それを世界で唯一などと、大間違いの国粋主義に閉じこもりながら)、改憲を党是とする自民党を半世紀政権党にしてきた。

   ◇地続きの隣国に戦乱が絶えなくとも、そこから攻撃を受けることを恐れない人びとがいて、近隣諸国間の対話こそ大切と考え、国内の人権と教育こそが大切と考えてきた国。

 ◇近隣諸国に対して、差別意識を持たなかった国。難民受け入れ実績を日本と較べればいい。

 ◇戦争は不経済で、損だからやめろと近隣諸国に説いてまわるのが、コスタリカの積極的中立主義だ。
 日本は、戦後一貫して戦争で肥えふとってきた。そして企業競争で過労死という国際語を生んだ。

 ◇積極的中立を唱えたアリアス大統領は、清廉潔白だったにちがいない。日本では、中国との国交回復を自主的に実現した元首相が、米国からの圧力で失脚した。彼は、ロッキードから「ピーナツ」を受け取ったり、列島改造論で悪どい金儲けをして、地価つり上げによって庶民の生活を圧迫するような人物だった。アリアス氏は、米国の圧力も、自分の失脚も恐れる必要がなかったからこそ、ニカラグア侵攻に加担することを拒むことができた。

 先頃コスタリカに日本人のグループが視察旅行に行き、その報告集が発行されました。
 これは、『軍隊を捨てた国」を見る前でも、後でも、ぜひ読むべき文献です。
 現在、残部僅少。商業的出版社からからの出版を検討中です。
[7月17日追記]  コスタリカは米国に軍事基地を提供して隣国ニカラグアが社会主義政権の時代に反政府ゲリラ(右翼)「コントラ」を支援した、という情報を流す人たちが、左翼にも、右翼にもいる。
 左翼でこういうデマを流す人は、流血の悲劇で、反動的権力との対決が盛り上がるのを見たいのか。そうだとすれば、平和憲法を守れなどと言うのは偽善ではないか。こういう人たちの心情は、オール・オア・ナッシングの発想が抜けない。レーニンは、「一歩後退二歩前進」と言ったものだ。実際に政治にたずさわる人は、そういう発想が不可欠だろう。
 左翼の論客、それもラテン・アメリカに造詣が深いとされる人たちは、一度も、憲法論争で「コスタリカを見よ」と言ったことがないが、もしもっと以前に、この人たちがコスタリカを故意に無視しなかったなら、いまごろ、あいファクトリーの映画が出てくる必要もなかっただろう。
 右翼がコスタリカについてデマを流すのは、おそらく多くの場合、平和などはないと信じたいからだろう。ひたすら悪魔的な心情と言ってよく、貧民のために決起した2・26事件の将校などとは比ぶべくもない。
 コスタリカが米国の軍事基地を置いたことは、一度もない。 

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