少年法が「改正」され、いまは「教育改革」なるものが、いちばん教育を語ってはならないような人物たちによって推進されています。
「このごろの子どもは危ない」
「キレる」から、その対策が少年法であり、教育改革なんだという。
こんなことを、あなたは信じられますか?
先の首相の森さんは、水産高校の訓練船が沈没させられても平気でゴルフを続けて「あれは事故だ、危機管理ではない」と言い、KSDも機密費問題も責任はとらず、株の低落もどこ吹く風と政権にしがみついていました、自分を「ガード下から拾った子どものように言うな」などと発言したり、ノルウェー国王のレセプションをサボったり(「神の国」発言はいわずもがな )・・・
その人物が、「教育改革」と語ったとは、なんたる滑稽さ、僭越さ・・・
あるいは、外国人排斥の音頭をとり、精神遅滞者に人格なんてあるのかと言い放ち、スイス・ダボスの経済会議でも中国敵視の言動を隠そうともしなかった、あの都知事。
「三国人」を敵視するように子どもたちを敵視する彼は、戸塚ヨットスクール支援者の先頭に立っています。
揃いも揃ってグロテスクな彼らこそ、あの歳になっても情緒障害(人に対する共感能力が著しく損なわれているために社会的関係に問題を抱えているのですから)がちっとも治らない、不良老年ではありませんか。
そんな人たちに、子どもを教育する資格なんかあるわけはない。処罰などもってのほか。これはわかりきったことです。
彼らに「あなたは少年院や刑務所に入れば治るのか」と聞いてやりたいものです。
そこへ今度は、森氏のあとをついだ小泉首相。
80%の支持率だそうですから、呆れます。
福祉は国民の権利ではないなどという憲法違反のことを平気でのたまい、不良債権の最終処理で発生する失業数も国会で正確に答えられない竹中平蔵財政経済相、官房長官の機密費ばくろ発言をしながら、そんなことは「忘れた」と答弁する塩川財務相、塩せんべいを割ってるような声でお行儀のわるいオダブツ発言などのあげく、議会での議員の発言時間を限るように議長に電話する田中外相など、ひと昔前ならとっくにクビ、内閣不信任案可決モノだったはずの閣僚ばかりが揃った小泉内閣です。
これが「教育」ですか?
欧州諸国からさえ批判を浴びる米国中心の経済の全世界への押しつけであるグローバリゼーションに歩を揃え、中小企業の大量倒産も大量失業も福祉切り捨てもよしとする「聖域なき改革」。これも欧州諸国から疑問と批判の声のあがるミサイル防衛計画への協力。右寄り<<逆恨み史観>>の教科書を是認して、近隣諸国の声に耳をふさぎ、それら諸国の当然の抗議を「内政干渉」と誹謗し、あまつさえ政治力と金力で全国に強制的に広げようとする歴史教科書検定。国民の権利を狭め、戦争への道を進む憲法改正。
このような小泉内閣こそ、人に対してなんの同情心もなく、横暴、傲慢で鈍感な人間像の手本です。それが「教育改革」???・・・政府の方針にあわない教師はクビを切り、子どもには現場が迷惑するような点取り目的の不純な「奉仕活動」義務化(強制ボランティア!! )を柱とする、子どもの自由の抑圧。このような状況の中での飛び級自由化は、傲慢で視野がメダカみたいに上にばかり(そしてアメリカの方にばかり)限られた偏った人間を増産することでしょう。
今、日本中で行なわれている、労働者に対するイジメ(リストラ、サービス残業、白木屋魚民でやられたような一方的な給与奪取や不当配転、JRで行われマスコミもデタラメな報道で積極的に手を貸している国労弾圧。そして、子どもたちが楽しむビデオゲームを作るセガで行なわれている隔離部屋!!)。
これが大人の実態なら、子どもが人に対する共感や思いやりの欠けた人間になっても決しておかしくありません。
あなたの知っている誰かがひどい間違いをしているとします。
「あなたは間違っている」と非難して、その人を殴って、人里離れた小屋にでも閉じ込めると、その人は正しい人になってあなたと再会するのでしょうか?
こんなに人間に対して無理解な考え方が、どうしてまかり通るのでしょう?
第一に、それは復讐こそ正義だという観念が人の心から抜けないからです。
しかし、復讐は決して、よい人間を作り出すことはできません。
それは、犯罪者をいよいよ悪くする一方、犯罪者を居丈高に非難する人々をも、偏狭な卑しい人間にしてしまうからです。
今の時代に厳罰主義が唱えられる大きな理由は、グローバリゼーションにより世界じゅうが根本から混乱している今、その世界をとりしきっている人たち(権力者、つまりは資本家と政治家と軍人)が、人々が不満をもって騒ぎ出したら困る、押さえつけることができるように、万全の準備をしておかなくちゃ、と考えていることです。
また、人は、とほうもなく自惚れ強いため、悪いことをするのはヨソの子、自分の子は関係ないと思い、子どもを少年院に入れる話など、よそごとだと思って聞いていられるからです。
法律を作る政治家たちなどにいたっては、たとえ自分の子どもが麻薬をやろうと、人殺しをしようと、レイプをしようと、腕のいい弁護士を雇うなど、金と地位の力を頼めばなんとかできると思っています。
だから、どんなに自分の息子が不良でも、平気で、不良は厳罰処分にしろ、なんて言えるのです。
こういうのを、階級差別というのです。
ところで、親が子どもを信じないのであれば、子どもも親を信じないでしょう。
だから、子どもに信じられたかったら、親がまず子どもを信じたほうがいいのです。
では、親はどうしたら子どもを信じることができるでしょうか?
子どもをほんとうにその子自身でいさせること、言い換えれば、子どもにほんとうに自由に生きてもらうこと。
これこそが最良の解決策ではないでしょうか。
世界の平和を達成するには少しでも多くの国が日本の憲法第9条やコスタリカの憲法第12条を見習うことが望ましいように、私たちは、子どもよ自由に生きてくれ、いつもありのままのお前自身でいろ、というのが何よりなのです。
子どもとのいい関係は、ここから結果的に生まれます。
これに反対するガリガリ亡者のような人たちが、自分たちのイデオロギーの正しさを論証したことがあったでしょうか?
曽野綾子だの高村薫だの林道義などという人たちの言うことを真に受ける人たちは、ほんとうに彼らが言うように、今の日本の子どもは「自由が行きすぎている」のか考えるべきです。
いたるところに、自由とはほどとおい日本の子どもが見られるのではありませんか。自由があらゆる面で抑圧され、奉仕活動の義務まで押しつけられる子どもたちの中で、一部の「才能のある子」だけが(なんのための才能? グローバリゼーションと戦争と環境や人間性の破壊のための??)特殊な自由を享受する(ほんとうに彼らは自由を感じるんだろうか?)飛び級制度なんて、それこそ欧米との条件の違いを無視した猿真似じゃないでしょうか。
結局は、砂糖の味はなめなければわかりません。
まず、子どもの自由を尊重する心がけをもつと、それによって、見える真実が見えてくるのです。
傲慢な人間のフシアナみたいな目にまで、何もかもが飛び込んでくるわけでないのです。
あらゆることはそうではないでしょうか。
大切なものは目に見えない、と、サンテクジュペリの「星の王子様」は強調します。
でも、これはウソです。
見るべきものは見えているが、見る者にしか見えない、と言うべきではないでしょうか。
でないと、あらゆる平凡な事柄が、とんでもない神秘になってしまうでしょう。
たとえば、レイプされる女性の嫌悪と怒りは、目に見えていますが、見ない者には見えません。
子どもの屈辱と怒りも。
・・・帽子の絵は帽子に見えればいいのです。あれが象をこなしているうわばみだなんて、たんなるオトナだましです。
さて、前置きが長くなりました。
このように、国連子どもの権利委員会からも厳しく批判される日本の、きわめて階級差別的かつ子ども差別的な世の中のカラ騒ぎの中で、決まって引き合いに出されるのが、神戸事件(児童連続殺傷事件)です。
神戸事件は、今の日本を覆う階級差別・子ども差別の原点と言っていいのです。
でも、あの事件がほんとうに、あの「酒鬼薔薇」と呼ばれる少年Aの行った犯罪であったのか。人々のうちに、これに確信をもって答えられる人がいるでしょうか?
それどころか、少年Aは犯人ではなく、彼を医療少年院に送り込んだ神戸家裁の判決は冤罪であるとの主張こそが、理にかなったものなのです。
それにもとづいて、少年Aに再審を行うことを求める運動が続けられていることは、まだあまり知られていません。
このホームページは、この運動(少年Aに対する人身保護を請求する運動、および警察・検察の不正を告発する運動)に、会員として加わっている私が、個人的メッセージとして作成しました。
あの事件が寃罪であることを、少しでも多くの方に認識していただき、上記のような運動が、地味に、しかし着実に進められていることを知っていただくとともに、一人でも多くの方の参加と支援をお願いすることが、このホームページの目的です。
少しでも多くの方に、あの事件の実相を説明し、あの事件が今の日本でもつ意味をご理解いただいたうえで、私たちの運動にご協力いただきたいと願っています。
papa dadaista
2001年3月17日/7月3日改訂
追加)[政権などが交代するごとに、この頁の前セツが付け加わることでしょう]
セクハラ朕太郎都痴辞は、宮崎港のマリーナ完成記念式典に招待されて行ったのに、記者団から「公務出張でヨットレースに参加することに批判の声もあるが」と質問されると、<<「私は来てくれというから来た。ついでにヨットに乗るのがどこが悪いのか」などとまくしたてたあと「君ら(記者)が悪い。帰る」と吐き捨て会場を立ち去った。>> (毎日7/9 )。そして宮崎県がなだめるのも聞かずに東京に帰ってしまいました。こういうのをキレル老人と言い、キレル少年よりずっとタチがわるい。