日本人の抑圧迎合意識

 ---私たちはアタマの中が江戸時代である

[以下は、「逆よい子」の前段として、お読みください。]

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 日本人はね、というセリフを乱発する日本人は、たくさんいます。
 こういうセリフは、気持よく聞けないものです。
 いくら「狭い島国」(ほんとうは立派な中規模以上の国土ですが)だからといって、それを全部見渡したかのような、このセリフの傲慢さはどうでしょう。しかも、「自分だけは別だがね」と言いたげな、排他的、差別的なさげすみの心根が見えすくではありませんか。

 でも、歴史の上で、何度も大きな類例が見られたら、やっぱり国民性なのかな、という気にはなります。また、そういうことが繰り返されることで、それが宿命であるかのようなムードも醸し出されるわけです。

 日本人の、反人権性、もしくは権利抑圧迎合性向がそれではないか、と思うのは、私だけでしょうか?

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 誰ひとり、広いうちに住めるようになったわけでも、通勤時間が短縮されたわけでも、教育費が減ったのでもないのに、GDPと、「貯蓄」(いったい誰が持っているのか)だけが、世界トップの、そんな国のために、営々と働き、その国を代表する「大企業」のために、大半が中小企業で働く人々が、karoshiという国際語を生むまでに、必死で競争に明け暮れ、あげくは、不景気を推進するばかりで誰のためになるのかわからない改革を、ばかの一つ覚えで叫ぶ二世か三世の政治家に八割の支持を与えていたというのは、やはり、あまりに間尺に合わない話です。
 それでも、ゼネストも起こらないし、暴動もありません。そんなにみんな満足しているのでしょうか? 

 70年代から90年代にかけての、コメの輸入の自由化。
 私たちの生活を本当に圧迫しているのは、地価と教育費であるのに、それには手のつけようがないものだから、どんなに食べても家計を圧迫するわけでもないコメの生産者を、世界一怠け者の、ずるい連中であるかのように、マスコミと経済評論家(総合商社のひもつきか?)の尻馬に乗って、一斉に攻撃した結果です。
 ビル・トッテン氏をはじめ、何人かの人は、日本を食糧の面から支配してやろうという穀物メジャーの意をていした米国政府の戦後一貫した遠大な企みがあると指摘しており、それには説得力があります。
 そんな米国の企みに乗った人たちは、しかも、日本がコメ輸入を増やせば、アフリカなどの米食国がタイのような米作国家から輸入ができなくなって、困るなどということは、話題にしませんでした。

 そして今回(2004年4月)の、イラク人質バッシング。そして、2度目の小泉訪朝後に起きた拉致被害者家族バッシング(同5月)。

 人質事件での日本人の異常性は、爆笑問題の太田 光さんが「TVブロス」に書いた「従順」という文章に、見事に指摘されています。(以下の引用は原文をかなり短縮したものです)

イラク人質事件を通じて私が感じたのは、日本人のじれったいほど従順な国民性である。家族は記者会見でしきりと謝罪をしていた。それを見ていて私は、はたして家族がそこまで謝罪する必要があるのだろうかと疑問を感じていた。自衛隊の撤退が人質解放の条件であるならば、それを国家に要求することは家族として当然の事ではないのか。国家がその国民を守るのは当然の義務である。それに小泉総理は犯人からの脅迫状が届いた早い時点で、自衛隊は撤退しないという方針をはっきりと表明していた。普通、国内で人質事件が起きた場合、犯人の要求をいきなりつっぱねるなどという危険なことを警察がするだろうか。今回それほど急いで犯人の要求を拒否してみせたのは、そういった日本の姿勢をアメリカや国際社会にアピールするためである。国際的な信頼を得ることと、人間の命とどっちが大切なのか。私が人質の家族だったらそう言って泣き叫んだだろう。しかしもしあの家族がそんなことを主張したとしたら、世間からの猛反発を食らうだろう。私は、なんてこの国の国民は聞き分けが良いのだろうと思う。政府は家族に撤退拒否の言い訳をする必要すらない。またそんな日本はアメリカにとって、なんて都合の良い国だろうか。

§
 日本の歴史を見れば、誰でも知っている、日本独特の奇習があります。ひとつは切腹です。平安時代に始まったようです。
 平安時代に武士という人殺し稼業が出てきたこと自体は、日本独自と言うにはあたりませんが、切腹という作法は、いかにも奇異です。

(戦いに負けた武人が自殺することなら、他国にもいろいろあったにせよ、こうも様式化したというのは、ほかに例がないのではないでしょうか? 菓子ひとつひとつがセロファンみたいなもので包装され、野菜や魚はみんなスチロールのパックに入り、レジのお姉さんが客の買ったものを買い物袋に入れることまでやってくれるという、みょうに整って行き届きすぎ、形にこだわる文化の源流でしょう。)

 軍国主義とひとつの言葉で呼ばれていても、西洋の軍国主義者は、生きて虜囚の辱めを受けず、などとは言いません。私は、みだりに日本の独自性を唱えることを好まないのですが(*)、ここに、切腹の伝統を感じるのは、おそらくまちがいではないはずです。韓国にくわしいある知人の話を信用するなら、韓国社会では、政治的転向者に対して日本より寛容なのだそうです。

(*日本独自などと自惚れるのは、きちんと国際比較をしてからにすべきです。せいぜいアメリカ(それも一部の州くらい)の例と比較しても無意味です。いい例が、「日本だけ」だといわれる不戦の憲法第9条で、コスタリカの例を知らないから、そんなことが言えるのです。(ある人が「自分は文化に関しては国粋主義だ」というから、「どんな文化?」と聞いたら、「書道など」と答えました。書道や納豆や豆腐は中国原産です。我々の国粋主義は、この種のたんなる無知の産物が少なくありません)。)

 万葉集だか風土記に真間の手児名(ままのてこな)という女性が出てきます。おおぜいの男にほれられた女が、誰か一人を選べば他の人達に申し訳ないからといって、水に飛び込んで死ぬ、という話です。男の勝手な幻想、とはいえ、そのなかでもこれはとくに奇異でしょう。変なのは、むしろ、こんな話をもてはやす文化です。万葉集には山部赤人と高橋虫麻呂により、2首、手児名伝説に材料をとった歌があるそうです。実在の人物かどうか定かではありませんが、女性にこんなことをさせて、それを賛えるとは、なんたる不埒でしょうか。強者の酔狂に弱者を引っ張り込んで犠牲にしているのです。いじめの淵源、ここに見たり、といったところ。
 遠慮を美徳とし、肝心の当人の生きる権利を否定してしまうというところに、小泉訪朝後の横田滋・早紀江ご夫妻に対する「首相への感謝の念がない(=感謝の強制。朝起き会か生長の家のような)」「拉致問題で騒ぐと北朝鮮がミサイルを発射するから迷惑(=風が吹けば桶屋が儲かる)」といった不条理かつグロテスクなバッシングにつながる「伝統」を見ることは、まちがいではないでしょう。これが日本的であることを、誰が否定できますか? かの宮沢賢治の『ヨタカの星』も、こうした「伝統」と無縁ではなく、うかうかと肯定できるものではありません。

 江戸時代とは、たとえば五人組による連座制などというものもあったほどで、それが日本人の精神におよぼしたマイナスの影響は決して軽く見ることはできないでしょう。日本独自のネガティブさのうえに、さらに江戸幕府の体制が重なって、どうしようもないほど「日本的」なものになってしまったのではないかと思われます。
 まわりで守っているしきたりや、「場」などというものに、がんじがらめになってしまい、自分は自分、とは言えなくなってしまうのです。

 小林秀雄のあるエッセイで読んだのですが、中世の説話で、ある武士が都落ちをするので、仲間が送別会を開いて飲んでいるうちに、一人が、こいつがいなくなるのは残念だ、気持のしるしに俺はもとどりを切る、と言って、もとどりを切ると、ほかの武士も、俺も切ると言って切った。ところが、俺はもとどりでは済まさない、腹を切るぞ、と言って、腹を切ってみせる者が出てきた。すると、ほかのみなも、俺も切る、俺も切ると言って、みんな死んでしまった、なんていう、めちゃくちゃな話もあります。どうせ小林秀雄ですが、贋作をでっち上げる度胸はなかろうから、信用しておきます。
 この説話からは、見栄っ張りの勇ましがりと、仲間外れになりたくないという一念の恐ろしさが感じられます。ただそれだけで自分の命も捨てるなんて、ばかばかしい、と言いきれるなら、合理的ですが、イッキ飲みで死人まで出るというのは、同じことではないでしょうか。「場」という言葉は、げに抑圧的なものです。

 二君に仕えずなどという武士のモラルは、戦国時代にはありませんでした。関ケ原の戦いでは、親子兄弟が東軍と西軍について、負けたものを助ける用意をしていたのです。第二次大戦の頃の華僑が、一家のなかに共産党と国民党がいて、一緒に仲よく付き合っていた、というのと同じことです。自民党の改憲派は家族を大事になどと言いますが、その家族は、こうした中国人の逞しい家族主義とは似ても似つかない、権力に迎合するだけのものです。

 この忌わしき右顧左眄とヒラメのように上にばかり目をやるヘキは、江戸時代以上に、明治維新で東京というものができたとき、一挙に強まったのではないか、と、思います。なにしろ、地方から出てきた田舎者の寄せ集めです(私の子どもの頃には、まだ、人の出身地を尋ねるとき「君のイナカはどこだい」と尋ねるなどということが、失礼とされずに、行われていたものです)。ものごとの作法は万事、自分の故郷で覚えたものでは通用しないから、周りを見て習い覚えたにちがいない。横ならび志向の元祖は東京かもしれません。だとすると、ムラの論理などという言葉は、完全に正しいのかどうか。
 このような人たちが近代化を支えたホワイトカラーだったことは、大いなる不幸というべきでしょう。なぜなら、そのとき一番手っ取り早いモデルになったのは、地方の農民や漁民や町民のしきたりではなくて、きっと、武家の作法だっただろうからです。人間は上昇志向をもつとき、上の階級を真似するものであり、しかも、武士の文化はおそらく、いちばん全国で共通するものを持っていたと考えられるからです。

 (武士の文化が比較的全国で共通していただろうというのは、参勤交代という、これまた皇国独自万邦無比の奇習があったからです。江戸詰めなどというのは、さぞ大変な経済的負担だっただろうに、おそらく大名は社交などの楽しみもあって、一切反抗しなかったのでしょう。負担は農民に行き、農民は暴動を起こすにも、太閤の刀狩以来、ろくな武装もできなかったが、それでも一揆は繰り返しあったわけです)

 日本独自の奇習として、さらに一つ忘れてならないのは、江戸時代後半から今に至るまで続いていて、しかも戦後再び発生件数が増えたという、親子心中です。
 80年代には、これは、「日本人は子どもを所有物視して、独立した人格として認めていないからだ」と、西欧諸国からつよく批判されたものなのですが、なんでこんな風習が続いているのでしょう。

 同じ頃、日本人はうさぎ小屋に住んでいるなどと言われたこともそうですが、こういう西洋からの批評は、大いに歓迎すべきです。ただ、「日本人は子どもを自分の所有物視するから平気で命を奪う」という西洋人などによる非難は、結論的にはその通りなのですが、ダイレクトすぎて実感にそぐわないものです。
 この問題がさかんに欧米で話題になったころ、西洋人とこの話をしていて、「日本人は社会を信じていないからではないか」と言ったら、怪訝な顔をされたことがありました。子どもを残していくには、社会はあまりに冷たい、恐ろしいところだ、と、日本の親は思うのではないか、と、そのときは思ったのです。しかし、同様なことは西洋の親も、インドやフィリピンの親も思わないわけではないでしょう。

 切腹は、自殺の制度化・様式化という点、きわめて奇異なもので、しかも負けたら自殺、というのですから、落ち延びて捲土重来を期すというわけにはいかず、その意味で、ずいぶん短気な作法のような気がします。同様に、自分の死後に子どもがどうなるかを考えたとき、万にひとつの望みがあるなら、とにかく生きていろ、と考えるより、どうせ親なし子は世間で生きてはいけないと決めてしまうのだとすると、これも短気なことでしょう。

 いずれにしても、親は子どもの生命を自分の思いで左右してしまっている、という結論は変わりないのですが、このような速断を下してしまうところに、日本人の弱さ、もろさを感じることはできないでしょうか。真間の手児名や、ヨタカの星が示しているのも、同様の脆さであり、それは生きるうえで心の糧となるべきものではないのです。

 織豊政権時代に来日した宣教師ルイス・フロイスがその時の見聞録『ヨーロッパ文化と日本文化』(岩波文庫)に書いていたように、もともとは西洋人のほうが、子どもを「鞭でしつける」のに対し、日本では、「大人に対するように、ものごとの理非を説いて聞かせて、しつける」という伝統がありました。子どもに理屈は通じない、という教育観、人間観は、安土桃山時代よりあとに生まれたものかもしれません。元来、太平洋ののんびりとした、女性がのびのびと暮らせる島嶼地域などから流れてきた民族の子孫である日本人は、決して子どもを粗末にはしなかったはずなのです。

 ほんとうに素朴な人は、あるいはほんとうに素朴な社会に生きる人は子殺しはしないでしょう。子殺しというのは、人間不信の現れだと見るほかないのではないでしょうか。これが江戸時代から現れたのは、まさに、都市化の始まりとともに、一人の女性が子を養っていくことすらままならぬような経済が始まってしまい、人間不信が芽生えたことの反映だと考えられます。

 親子心中について、今の私の知識で言えることは、この程度です。

§
 ユングの分析心理学というのがあります。フロイトの精神分析と混同されますが、フロイトが徹底的唯物論者であったのに対し、ユング派は宗教的、ないし神秘主義的傾向をもっています。このユング派で強調されるのが、母性は子どもを所有物視し、飲み込んでしまうものだ、という、母性をバケモノ化した見方です。

 日本でのこの母性バッシングの嚆矢となったのが、河合隼雄の『母性社会日本の病理』ですが、勝手な連想を連ねた詐術に等しい、無責任な随筆のようなあの本を、インテリは、さも優れた日本文化論のように思い込んで読んだのです。 ()
 それを受けて登場したのが、同じユング心理学輸入業者でも河合より後発の林道義で、『父性の復権』はミリオンセラーとなりましたが、各頁ごとに嘘か間違いの見つかる、「女性差別の復権」のマニフェストです。これを、永田町や霞ヶ関あたりのファロクラットたちがむさぼり読んでもてはやしたのは、グロテスクというほかありません。林は今や、生長の家の雑誌に毎号書く身分です。
 河合は、こんな人間のための露払いをつとめたあげく、文化庁長官として官製の新修身教科書である『心のノート』の編集に携わりました。

 しかし、日本独自のメンタリティというのがあるとして、それが先にあげたようなものなのだとすると、どうでしょうか。

 切腹は、武士のメンタリティの産物です。
 また、総じて女性的・母性的とされる東洋でも他に親子心中の行われる国はない。ならば、それを母性社会の問題として扱うのは妥当性を欠くのではないでしょうか?
 このように、日本独自のものを母性という概念で片づけることは、大いにその妥当性を疑われなければならないのです(河合の本で、アジアのほかの国の文化を扱ったものなど、ないでしょう)。

「母性」と「日本」と「病理」で三題噺を作りたければ、「日本社会における母性の病理」(母性を病んだものにしてしまう日本の特殊性)と言うべきではないでしょうか。
 要するに河合は、日本社会の独特の特性はどこから生まれるかが問題だというのに、それは日本社会の特性があるからです、と答えているだけではないかと思います。これは、単なる循環論でしかないのですが、「母性社会」と言い替えると、何か解明、もしくは分析、されたような気がする、という、ありふれた錯覚であり、詐術に等しいものです。

 こういうものが流行し、「集合的無意識」などという言葉がやたらに定着することには、気味悪さを感じざるを得ません。それは、特定集団が伝統的にもってきた社会と意識のあり方が各個人の本質まで決める、しかも、当人の意識のおよばないところで決めている、と断定するのです。心理学的全体主義といってもいい(2)。

[河合や、あるいは林道義などが切腹、真間の手児名の入水伝説、親子心中を取り上げているわけではありませんが、ここでは「日本独自」のものの実例をあげ、それをユング派の発想では説明できないことを指摘しているのだということを、お断りしておきます]。

 神戸事件のとき、この種のオカルト的な発想にふらふらと参ってしまう人たちが、文化人、ジャーナリストの中におおぜいいて、少年をモンスターに仕上げてはしゃいだことを思うと、つくづく、「無意識」の仮説をいいかげんにふりまわしたくないものだと思わずにはいられません。

§
 凶悪事件が起こり、容疑者が逮捕・拘留されると、それを週刊新潮、週刊文春、読売新聞、産経新聞、フジテレビ、日本テレビ・・・といった反人権メディアが好んで餌食にします。まだ犯人と決まりもしないうちから、名前、住所、家族構成等々のプライバシーは暴かれ、国民全体が憎んで糾弾して村八分にすべき極悪人である、という決めつけ方をされます。
 そのとき悲惨なのが、その家族です。そして、よく起こるのが、父親などが自殺してしまうというケースです。

 これも日本独自の奇習です。こういう素地があるから、イラクの人質や横田ご夫妻が不当な迫害を受けるのです。

 以前、ジャーナリストの下村健一さんが米国から伝えてくれた話では、米国では、たとえば少年が凶悪事件を起こした場合、その親が「うちの子はそんなことをしていません」と言っても、非難されない、ばかりでなく、その親のもとには、元不良少年の親から「うちの子もワルだったけれど、今は立派に立ち直っている、どうか元気を出してください」という、励ましや慰めの手紙がどっさり来るんだそうです。じつに人情味があるし、建設的ではありませんか。

  同様なことを、評論家の柄谷行人さんも、韓国について確認しています。
 1995年に、沖縄で米兵が少女をレイプする事件が起こったとき、米兵の母親が来日して、「うちの子はそんなことをしない、これは謀略ではないか」という発言をすると、日本のマスコミは、ふてぶてしい女だ、と非難を浴びせたものです。あるいは過激派が事件を起こすと、その父親が会社をやめるという例もあります。それに疑問を覚えた柄谷さんは、韓国の評論家に尋ねてみたのでした。すると、韓国でも親が子をかばうことは非難の対象にならない、との返事だったそうです。

 柄谷さんは、日本と同じ儒教の国だから、同様なのかと思っていたので、韓国でも親が子をかばっていいのかと、驚いたようです。しかし、『論語』を見るかぎり、韓国人のほうが儒教に忠実だと言っていいのです。

 葉公(しょうこう)が孔子に語った「わたしの村には正直な正しい者がいて、自分の父が羊を盗んだとき、それを役所に通報しました」。
 孔子は言った「私の故郷では、そんなことをする者を正しいとは言いません。父は子をかばう、子は父をかばう。正しいことというのは、その中にあるのです」 論語子路編18章

 自然な人間性に反した道徳や法律の押しつけはよくない、という姿勢を、ここに読み取ることは、まちがいではないはずです。(なにしろ、「論語」と言う本は、「仁」(人に対して思いやりをもつ人格者の徳、とでも言うのでしょう)が最大のテーマですから)。(3)

「海外でも拉致問題解決への協力をお願いしましたが、海外で観じるのは、『人の温かみ』です」(横田早紀江さん サンデー毎日2004年6月03日号掲載のインタビューで)

§
 以上のような例を見ていると、西洋に比べて女性的ないし母性的とされる東洋の中でも、さらに特殊な、「日本独自」の一貫したものがあり、それは、特に、江戸時代以降、グロテスクなまでに極端な非合理きわまるものへと形成されたのではないかと思えてきます。明治以後、我々は、それが日本の万古不易の伝統だと思い込まされてきたのではないでしょうか。(4)

 こんな文化や「規範」を、大事にすべきでしょうか? 
 教育基本法の「改正」、憲法の「改正」によって推進されるのは、まさにこうした「規範」と「伝統」なのです。もしそうでないなら、日本独自のもの、などと言わず、世界のどことも同じものを提唱するはずです(世界各国の文化はそれぞれ違うなどという人は、文化の独自性ということを取り違えているのです。孤立の方向に向かう、またその社会の成員の権利を抑圧する方向に向かうようなら、そんな独自性は改めたほうがいいに決まっているではありませんか)。
 ならば「反日」のどこがいけないのでしょう? 「日本的」といえば、私たちは反射的に、はずかしいことだと思っているではありませんか。それだからこそ、冒頭にも言ったように「日本人はね」などという、おおかた単なる知ったかぶりでしかない無責任な放言が、もっともらしく聞こえたりもするのです。
 自分の権利を大事にしない者は、それと同じ権利を他者から奪うことになるのだ、という、ドイツの法学者イェーリングの『権利のための闘争』に出てくる有名な言葉を、甲山事件被告だった山田悦子さんの手記で読んだことがあります。そのようにして権利を踏みにじられる他者が、特に、弱い立場の人(人びと)である場合、事態はきわめて深刻になります。日本に「独自の」伝統があるとすれば、この、弱者に対する酷薄さが、その主なひとつであることを、私たちは、忘れてはならないと思います。

[2004.5.3 6.1加筆修正 6.5再加筆]

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1 ユング心理学は、日本では河合隼雄と林道義が大手販売元です。もとは、秋山さと子さんが輸入代理店の観があったのですが、大金をかけてジュネーヴのユング研究所で資格を取ってきた河合が、秋山さんを誹謗しながら、株を奪い、さらに後発の林はこの河合に喧嘩を売り、河合はつとめてとりあわない、といった状況のようです。教育改革諮問委員会に顔を連ね、さらには文化庁長官として文部科学省の道徳教育副読本『心のノート』の監修までやっていることでわかる通り、また、例えばその著書を読んでも分かるとおりの、河合隼雄です。
 彼は『母性社会日本の病理』によって、精神分析という狭い関心範囲を超え、一般の話題にのぼるようになったと記憶します---日本人は日本人論が好きですから---。そして、それが、母性バッシングの先駆けとなったのです。[戻る]

2 かつて、女性は性行為の強要を望んでいるという邪説が永年まかり通っていたことは、無意識あるいは下意識という言葉が害悪を発揮した典型的な例です。女性は「そんなのいやよ」と言うのですが、そんなのは口だけだろう、女性は「意識ではそう思っていても、下意識ではあべこべだ」などと言われたからです。ここには、当人の意向を無視して、他の者が、その当人について語る権利を奪ってしまう、という、民主主義にとって最も悪質有害な構図があります。民主主義を語る人は、あらゆることについて、当人を尊重すること、および、人の行為の正当性・不当性を論じるにあたって権力関係を配慮することが欠かせません(それは古代にすでに新約聖書マルコ伝が示したことです)。こんな「無意識」の濫用に終止符を打ったウーマンリブの功績は永久に賛えられるべきでしょう。[戻る]

3「武士道」が儒教を否定した、というのも、このことに係わりがあるのかもしれません。武士道ならぬ士道でも、仁などはどうでもよくなり、忠孝ばかりが強調されました。[戻る]

4 だから、上野千鶴子さんのように、「『うちの親は封建的で性については堅苦しい』という学生に、『その封建的というのを近代的と言い直しなさい』と言うのです」などと言うのには、私は反対です。日本の近代は、たとえばフランスの近代やイギリスの近代のように革命による王制の廃止や国王に法律(マグナ・カルタ、つまり「憲法」です。憲法とは権力者の横暴を防ぐためのもので、国民に義務を負わせるためのものではありません)を押しつけるという歴史を経ず、「富国強兵」のためのものだったのであり、そのとき、本来民衆のものでなかった武士的な規範が強烈に刷り込まれたはずです(だから、性について堅苦しくなる。民衆は、二夫にまみえずなどとは言いませんでした。父なし子は当たり前だったのです)。つまりそれは、近代と言いながら、じつは封建制文化の強化、完成だったと言ってもいい。上野さんが前近代を再評価するのは、百姓町民のレベルのことではないでしょうか。[戻る]
 

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