補充書
平成14年(つ)第4号 付審判請求事件
補充書
2003年3月10日
神戸地方裁判所第2刑事部 御中
記
目次
【文中の下線は掲載者によるものです】
はじめに検察官は、本件告発事件を「不起訴」とした。請求人らとしては、本件が、なぜ不起訴とされたのかその理由について全く知り得ない状況にある。そこで、請求人らは、検察官の不起訴裁定理由書および意見書の開示を受け、本件不起訴処分の理由を確認した上で、検察官の不起訴処分の理由の誤りと問題点について、追って詳細に明らかにしていきたいと考えている。
以下では、これに先立ち、被疑者らが、付審判請求書記載の「犯罪事実(審判に付する事実)」の犯罪を犯したことは明白であること等ついて、さしあたりの補充をしておく。
上記1の一連の事実は何を意味するか。
(1) 本件捜査の対象となったJ君殺害・死体遺棄事件は、犯行の残虐と怪奇性、更には神戸新聞社に郵送された声明文の挑戦性など日本中を震憾させた重大事件である。いたいけなJ君の切り落とされた頭部と遺体が発見された当初から、警察と検察と捜査を協力すべき事件であり、検察が警察を指揮して捜査が行われたのである。その端的な現れは、前記5]の事実である。
一般に、警察が単独で捜査を開始した事件では、検察が捜査に登場するのは、事件が警察から送致されてからである。ところが本件捜査では、検察は送検以前に捜査に登場する。検察官は、警察官が偽計によって少年の自白調書を作成した直後に警察の取調室で少年を取調べて自白調書を作成しているのである。普通考えられないことである。それが行われたのは、本件は警察・検察の合同捜査であり、検察が指揮権を行使していたからである。
(2) 前記1]の事実は少年を犯人と睨んで少年の逮捕を狙っていたことを示す。この時点ではむろん少年を犯人と疑うに足りる相当な証拠はない。しかし少年が犯人であるとの予断だけは持っていたから、逮捕状取得の疎明資料とするために、少年の筆跡鑑定を科捜研に依頼したのである。しかも注目すべきは、それをしたのは、神戸新聞社に犯人の声明文が郵送された翌日だということである。捜査の進展をまたずに、翌日直ちにそれをしたのである。少年に対する予断、狙い、執着の深さが現れている。見込み捜査の典型である。
(3) 捜査官憲は科捜研の鑑定に絶大な期待を寄せていたであろう。ところが鑑定結果は期待に反するものであった。「同一人の筆跡と判断するのは困難である」という鑑定書が証拠では、逮捕状の請求が却下されこそすれ、請求が容れられることは考えられない。このことは逮捕状取得の期待が裏切られただけでなく、予断に基づくこれまでの捜査方針と方法の見直しを根本的に迫るものであった。そこであらゆる具体的可能性を公正に模索するために、検察の指揮の下に、検察・警察の合同捜査会議が急速ひらかれた、と推定するのが良識というものであろう。しかし、それは、あらゆる具体的可能性を公正に模索するためではなく、裏切られた期待を立て直すためのものであった。偽計によって自白させるための体制が組織的に計画され実行されることになるのである。それが前記3]、4]の事実である。
刑証法198条1項但書は「被疑者は、逮捕又は勾留されている場合を除いては、出頭を拒み、又は出頭後、何時でも退去することができる」と定める。任意捜査だから当然のことで出頭拒否も退去も自由にできる。これは無条件である。捜査官に退去の理由を告げる必要もなければ、捜査官の了解を得る必要もない。もし、A少年を連行する際、被疑者として取調べるからだと告げたならば、A少年が犯人とは夢思っていなかった両親は当然その理由を訊いたであろうし、連行を認めたとしても、わが子に対してどのような取調べが行われるか親として当然案じられることであるから、取調べに対する立会を求めたであろう。立会を認めれば、親の目の前でその子を騙すことはできない。まして騙して自白させることはできない。だから父と母と子をそれぞれ別の場所に切り離し、警察の監視下に置いて、親が子を案じて会わせてくれといっても、なだめすかして会うことができないような体制をとったのである。A少年を完全に警察の管理下に置いて、事実上強制捜査としての、しかも強制捜査としても不法な取調べを行ったのである。
現在は、成人の取調べの場合でさえ弁護人は、国際的に当然の道理として立会を求める。まして少年の場合は精神の発達が未熟であり、大人の言動によって敏感に影響され、おびえ、騙され、供述を誘導され易い【掲載者注 「神戸小学生惨殺事件の真相3」の永野義一元最高検検事の記事参照】のであるから、取調べに際しては、保護者その他適切と認められる者の立会の下に行うのが当然である。警察庁制定の「少年警察活動要綱」も同旨のことを定める。A少年の場合、警察は全く反対のやり方をとった。しかも組織的にそうした。そして偽計という違憲・違法・不正極まる手段で自白させたのである。
A少年に対する偽計による取調べは、取調官個人の思いつきや悪だくみによって偶発的に行われたのでなく、官憲の計画的・組織的な体制下で行われたものである。
(4) 4]の事実のとおり、A少年は、筆跡鑑定書を偽り告げられ、A少年は絶望して自白した。お前の字は犯人の筆跡と同じだ、鑑定書がある、物証があると言われ、14歳の少年がいかにして身の証しを立てることができよう。助けを求めようにも、官憲の策略によって両親から完全に隔離されているのだ。A少年は14歳である。このように偽計によって絶望に陥れられた心理は深刻である。絶望は死に至る病であるというコトバがあるが、捜査の場合、犯人の同一性やアリバイという決定的な問題に関する偽計は、取調べを受ける者を絶望に至らせる陥穿である。
後で詳述するとおり松川事件では、赤間被疑者の取調官武田巡査部長が、同被疑者のアリバイとなる同人の祖母の供述調書の内容を「勧進帳読み」をして欺き絶望に陥れた。A少年に対する偽計自白の場合、取調官は家裁の審理の際、偽証してこれを否定したが、たまたま所持していた取調ベメモの呈示を求められ、それによって真相が明るみに出たのであった(本上前掲書)。
(5) その後5]、6]の方向に偽計捜査が展開され、7]のように送検されるが、少年は検察官の取調べの最初から最後まで、8]のように騙されたことを知らされず、騙されっ放しの状態にあった。少年をこのような心理状態に陥れ、その心理状態を維持させたのは、検察の指揮下における警察・検察の合同捜査、組織的・計画的な偽計体制にほかならない。
3 偽計による取調べ かかる捜査体制の下で行われた本件に関するA少年の自白が取調警察官の偽計によって作り出されたものであることは、神戸家庭裁判所も認めるところである。その決定は次のとおり述べている(なお、以下は本上前掲書による。決定要旨については、注2参照)。 「兵庫県警本部科学捜査研究所は、須磨警察署長からの平成9年6月5日付依頼により、犯行声明文等と少年の中学校での作文の筆跡を比較検査した結果、8つの類似点、5つの相違点があるとして、結論的には、類似した筆跡個性が比較的多く含まれているが、同一人の筆跡か否かを判断することは困難である旨の検査回答書を同月27日提出した。このように、上記決定要旨は、物的証拠はあるのかとのA少年の問いに取調べの警察官は声明文のカラーコピーを見せるなどして、筆跡鑑定によって声明文と少年の筆跡が一致しているかのように説明したこと、つまり動かぬ証拠があると嘘をついてだましたこと等々の諸点を指摘して、A少年の自白が取調警察官の偽計によって作り出されたものであることを認めているものである。
「事件は一応解決を見たが、いまだに私には釈然としない問題が残っている。それはいわゆる少年Aの逮捕後、少年Aが小学校5年生の時に書いたという文集の筆跡を見せられたのだが、確かに共通点はあるものの、それが折れクギのような字ではなく、丸みを帯びた、幾分消極的とも思える優しい字で書かれていたのである。このように、声明文については、筆跡という面のみからしても、専門家でさえ、「たやすくは同一筆跡とはしがたい」ものであり、「既に私の即時の判断力を超える境地」にあるものであり、「学理的に精密に考研されなくてはならない」と指摘されるほどのものである。上記取調警察官の、「この 声明文が君が書いたものであることは分かっている。素人にも分かる」などという言動が極めて違法なものであることは、かかる指摘からも明らかと言うべきである。
(3) 声明文の文章力
ア 声明文については筆跡とともに更に重要な問題がある。その文章力である。その文章は非常に高度なものであって、当時14歳の中学3年生のA少年の書けるようなものでなかった(注4参照)。文章力、使われている用字・用語、修辞(レトリック)、文章の長短・切り方・続け方、文章の論理的構成力、文章の思想性と構想力。これらは並々ならぬものがあって、普通に読み書きできるほどの人は、その文章力に目を見張ったであろう。文章の専門家、文章を業とするほどの人はなおさらのことである。
イ 倒えば、評論家として著名な立花隆氏は次のように書いている。
「ここで問題なのは、あの犯行声明文を書いて投函したのは本当に犯人だろうかということである。実は私は、そこに強い疑いを持っている。あの声明文はなかなかの文章である。現役の大学生のレポートを相当読んでいる人間として断言できるが、あれだけの文章が書ける人間は、大学生にもそうはいない。語法には若干の問題があるが、ほとんど正しい。レトリックも使いこなしている。そして何より文章が論理的に展開されている。ある主張をするときには、その前後に理由づけをちゃんとつけ加えている。普通の人が長めの文章を書くと、このような論理的展開ができなくて、支離滅裂の文章になる。語法もレトリックもおかしいところだらけになる。最初の死体の首につけられていた、短い手紙は、そういう支離滅裂の文章の典型である。あの内容からいっても書き方からいっても、知性の輝きが全くうかがえない、暴走族レベルの文章である。しかし、今回の声明文はちがう。これは暴走族レベルの人間に書ける文章ではない。」これは6月28日付『週刊現代』に「土師淳君殺人事件に残された『2つの声明文』の謎を解く」と題して掲載されたものである(同書49頁)。従って上記日付より数日前に執筆・発刊されたものである。A少年が偽計自白によって逮捕され、警察がA少年逮捕を公表したのは6月28日であるから、A少年が犯人であるとの予断偏見なしに書かれたものである。そういう予断偏見なしに見たから、東大の客員教授として多くの東大生の文章に接した体験のある立花氏は、「あれだけの文章を書ける人間は大学生にもそうはいない」と断言できたのである。
立花氏はこの文章を次のように結んでいる。「こういう事件の捜査は、まず、一切の先入観を捨ててかかって、虚心に事実と確実にわかっていることだけを積み上げていくと同時に、あらゆる可能性に目くばりを忘れないことが大切なのである」。
一切の先入観を捨ててかかって虚心に事実とわかるのは、ここでは、「あれだけの文章が書ける人間は、大学生にもそうはいない」ということである。中学生で、国語の評価が2で、それなりの幼稚素朴な文章しか書けないA君の文章と見るのはほとんど不可能ということである。(立花氏は、ここでは、A少年逮捕前で先入観なしに見ることができたが、A少年逮捕後は、A少年犯人説のとりことなって、自白調書作成経緯の違憲・違法性を省みることもせず、「文藝03.6.4春秋」にA少年の検事調書を掲載させる露払いをするという重大な過ちを犯した。)
ウ 更に付言しておくと、家族論や犯罪論の研究で知られる芹沢俊介氏は、『正論』8月号掲載の「『酒鬼薔薇聖斗』という精神の決壊」という論文の中で、「声明文」について、次のように述べている。
「文体の特徴から読み取れる限り挑戦状の書き手の知能はかなり高いと思う。例を引きながらその理由を述べてみよう。エ そして、何より、最も少年の身近でその文章力について知っている、事件当時A少年が通う中学校校長であった岩田信義氏は、この点について次のように述べている(岩田信義・「校長は見た!酒鬼薔薇事件の『深層』」・五月書房・103頁以下)。
「◆筆者はAか?
オ 要するに「声明文」は、その筆跡と文章力の両面から、A少年と犯行(非行)を結びつけるものではなく、逆に否定するものであった。にもかかわらず、兵庫県警と神戸地検は、こともあろうにこの「声明文」を利用した偽計によって、A少年の自白を追求したのである。
(4) 弁護人(付添人)の体験から
ア 弁護人本上博丈弁護士の手記 「弁護人は、逮捕翌目の97年6月29日の第一回接見以来7月25日までの家裁送致まで、交代で連日接見を行い、かつ詳細な接見メモを作成していた。第一回の接見メモに『任意同行のとき、警察に、声明文の筆跡鑑定があると言って聞かれたので、自白した』、6月30日の第二回の接見メモに『5月事件については"物的証拠があるならみせてください"と言ったところ、筆跡鑑定書(の一部)を見せられた。君が犯人でないとしても、少なくとも声明文は君が書いたことに間違いないと言われた。それで、5月事件についても認めた。5月事件について見せられた物証はこの鑑定書だけ』との記載があり、少年の自供経過に関する有力な証拠となった。取調警察官は筆跡鑑定書(の一部)すなわち神戸新聞社に送られてきた声明文をチラツカせ、偽計によって自白させながら、家裁の審判廷では偽証によってその事実を隠蔽しようとしたのである。
イ 弁護人野口善國弁護士の手記
弁護団長だった野口善國弁護士は『それでも少年を罰しますか』(共同通信社)50頁に次のとおり述べている。 「7月末に証拠書類の謄写が終わると、少年の言っていた筆跡鑑定に相当する科学捜査研究所の検査回答書では、『類似した筆跡個性が比較的多く含まれているが、同一人の筆跡か否かを判断することは困難である』と記載されていることがわかった。8月初めに面会した弁護団員がそのことを伝えると、少年は珍しく感情をあらわにし、『警察にだまされた』と怒ったという。そのとき少年は涙まで見せたとのことであった。よほどくやしかったのであろう。弁護国も、それまでは筆跡の同一性を認める鑑定があるかもしれないと思っていた。鑑定結果がそうでなかったことは意外であったし、少年が珍しく感情をあらわにしたこと自体も意外であった。」ここまでくれば少年の自白が取調警察官の偽計による産物であることは何人もを認めざるを得ないところである。
ウ 少年の弁護人らによる上記二つの手記によって次の諸事実が判明する。
1) 1997年(以下同年)6月28日取調警察官が筆跡鑑定書の内容を偽り、神戸新聞社に送られてきた声明文の筆跡が少年の筆跡と一致しているかのように説明して少年を欺いたこと。
2) 少年は事件が家裁に送致され(7月25日)、8月初め弁護人から筆跡鑑定書の内容を伝えられるまで自分が欺かれていることを知らなかったこと。
3) 少年は欺かれたことを知って、「珍しく感情をあらわにし、『警察にだまされた』」と涙を流して怒ったこと。
4) 弁護団も7月末に家裁に送致された証拠書類の謄写が終わり、この中にあった筆跡鑑定書の内容を知るまでは、取調警察官が言ったように鑑定は筆跡の同一性を認めるものであり、鑑定結果がそうでなかったことは意外だったこと。少年が珍しく感情をあらわにしたことも意外だったこと。
上記4)は特殊的にも一般的にも事実認定における自白の危険性、怖ろしさを示す深刻な事実である。弁護団は、取調警察官が少年の筆跡が声明文の筆跡と一致しているという物的証拠があると説明しその結果少年が自白した、という事実は、第一回の面接の際少年から聞いて知っていた。しかし、その説明が嘘であるとは知らなかった。いや、思いもしなかった。警察がそのような偽計を弄するとは想像の外にあったし、「私たちはこのような大事件を自白したにしてはあまりに落ちつきすぎているので、少年が何か夢でも見ているのではないかと思ったほどであった」と野口弁護士は書いている(前掲書22頁)。そして筆跡の同一性を認める鑑定があるかもしれないと思っていたのである。自白を裏づける客観的証拠がなくても、自白したという事実自体が、経験を積んだ弁護士をも深く惑わせるのである。
もし少年が、自白調書作成前または作成直後に取調警察官から、筆跡が同一だという証拠があるというのはウソだと告げられたならば、少年は必ずや自白せず、まして署名押印を拒んだであろう。検察官から真実を告げられたならば、少年は絶望虚脱の状況から醒めて、弁護人らが「このような大事件を自白したにしてはあまりに落ちつきすぎているので、少年が何か夢でも見ているのではないかと思った」という事態もなく、弁護人から真相を告げられたとき、「少年は珍しく感情をあらわにし『警察にだまされた』と(涙まで流して)怒った」ような事態もなかったであろう。 偽計による取調べが被疑者の心理にいかに深刻な影響を及ぽすものであるか、警察がいかに常識を絶する不正を企むものであるか、松川事件の赤間自白の例と対比してその意味を明らかにする。 (1) あえて説明するまでもないと思うが、松川事件は1949年8月17日未明、東北本線松川駅付近で列車が転覆させられて機関士、助士3名が死亡させられた事件である。当時、政府、マスコミの宣伝によってアカの事件と広く信じられ、国鉄労働組合福島支部組合員10名、松川にあった東芝労働組合の組合員10名(内1名は本部からのオルグ)が共犯者として逮捕・起訴された。一審福島地裁では全員有罪、内5名死刑、二審仙台高裁では3名無罪、17名有罪、内4名死刑、三審最高裁でドレフュス事件、サッコ・ヴァンセッティ事件を凌ぐ世界裁判史上最大というべき裁判闘争が展開され、検察は隠匿していた決定的アリバイ(「諏訪メモ」)を法廷に提出せざるをえなくなり、有罪判決が破棄され、仙台高裁に差し戻された。差戻審では裁判長の勧告もあって検察官は手持証拠「全部」を法廷に提出せざるをえなくなり、それが決め手となって全員無罪の判決が下された。検察官の上告は最高裁で棄却され、全員無罪の判決が確定したのである。 (2) この冤罪事件のキッカケとして作り上げられたのが、19歳の線路工夫赤間少年の自白、いわゆる赤間自白である。当時国鉄だけでも約10万名もの首切りが強行され、彼も首を切られた1人だったが、警察は「チンピラ不良」だった赤間少年に目をつけ、あれやこれやの策を弄して警察の筋書きどおりの自白をさせた。有名な赤間自白である。
「赤間自白なくしては松川事件は存在しない」と差戻審判決は書いている。 「赤間自白は本件検挙の端緒を作り、松川事件の骨格を形成した。赤間自白は松川事件の大綱を伝えると共に実行行為の決め手であり、15日国鉄側謀議の決め手でもある。いな、事件全体の決め手である。まこと、赤間自白は、自白の系譜からみれば、まさに、アダムとイヴである。赤間自白から次々と他の自白が生まれていった。赤間自白なくしては、松川事件をかたちづくる総ての自白は生まれて来なかったであろう。赤間自白は、自白のみによって構成されている松川事件の構造からみれば、文字どおり、扇のカナメである。そのカナメが崩れれば、松川事件は全体が崩壊する。」(3) 差戻審がこのように松川事件の構造における位置と重要性を指摘した赤間自白はどのようにして作られたか。 先ず別件逮捕である。警察は国鉄組合員で「チンピラ不良」だった赤間少年に目をつけ、仲直りずみの1年前の友人とのケンカを口実に暴行容疑で逮捕した。狙いは列車転覆事件の自白である。 警察は赤間少年を警察の留置場(代用監獄)に拘禁した上弁護人の接見を妨害し、赤間少年を孤立させ、一切の情報と救援を遮断した。そして、お前は8月16日の晩、今夜列車転覆があると予言したろうと迫り、また、女友達とのデートを強姦事件に仕立てて、列車転覆事件ではお前の果たした役割は芝居の幕引き程度のものだから、自白すればすぐ保釈され刑も執行猶予になるが、転覆事件をあくまでも否認するなら強姦罪で網走の刑務所に送り、一生氷漬けにしてやる、と脅した。そして「共産党員の組合幹部の連中は、自分達のことは棚に上げて、赤間がやったと罪を全部お前にかぶせようとしているぞ」と、共産党員の組合幹部が関係していると思わせ、彼らに対する偏見と反感と憎しみを挑発して自白の筋書きを示唆した。 心身共に疲れ果てていた赤間少年はそれを真に受け取調官の言いなりに自白する寸前まで追い込まれたが、最後の一線で辛うじて耐えた。彼を支えた最後の一線とは、祖母ミナヘの信頼であり、ミナが自分のアリバイを知っているという事実だった。 赤間少年は、両親が戦時中旧満州で暮らしていた関係で祖母ミナの手で育てられたおばあちゃん子である。彼は事件当夜12時頃から1時頃の間に帰宅してミナと同じ部屋で寝ている。その夜は近くの虚空蔵さんのお祭りがあって、親戚の12歳の女の子悦子ら3人の子が泊まりに来て祖母と寝ていた。赤間少年は逮捕直後取調べにあたった武田巡査部長に対し、「私はその晩12時頃家に帰ったが、その際お婆さんが遊びに来た親戚の悦子ら3人を小用に起こし、悦子が寝床に戻って寝てから、その髪の毛を引っ張った」と弁解した。このことは武田部長も認めている。これは赤間少年のアリバイとなる事実であり、自白させるにはこれを覆さなければならない。武田巡査部長は、部下の土屋巡査にミナの供述調書を作らせた。そして赤間少年に対し、お前のお婆さんはお前がいつ帰ったかしらないといっているとその調書を読んで聞かせ、捺印部分を見せて祖母ミナの調書に間違いないと思わせた。武田巡査部長が読んだ内容は、赤間少年がその晩いつ帰ったか知らないというものであった。調書の捺印は祖母のものに間違いなかった。武田巡査部長は捺印部分だけ示して供述記載内容は見せなかった。最後の頼みとするお婆ちゃんさえそう言っているとすれば、警察の代用監獄に拘禁されて孤立無援の赤間少年はどのようにして身の証を立てることができよう。彼は絶望した。そして取調官の言いなりに自白した。 祖母ミナは一審で証人として逮捕直後の赤間少年の弁解を裏付ける証言をしたが、山本諌検事はそれを否定するために自分が作成したミナの供述調書を法廷に提出した。内容は武田巡査部長が読み聞かせた内容と同旨のものである。一、二審では、ミナに対するこの検事調書は、武田巡査部長が赤間少年に読み聞かせた、土屋巡査作成のミナの供述調書と同じ内容のものとされた。 (4) ところがそうでなかったのである。差戻審になって裁判長の勧告もあって初めて法廷に現れた証拠の中に土屋刑事作成のミナ調書があった。それには、自分の記憶としては、勝美(赤間少年のこと)は16日の晩は12時から1時頃帰ってきたように思うと書かれていたのである。武田巡査部長は肝心の部分を隠し内容を偽って読み聞かせ、赤間少年を絶望に陥れて自白を作り上げたのである。この事実は動かすことができない。山本検事はその経緯を知りながら赤間少年の弁解を否定する供述調書を作り上げ、法廷に提出し、口を拭って20名の被告全員に有罪の論告をし、5名の被告に死刑を求刑したのである。検察庁法第3条は検察官の地位を「公益の代表者」と規定するが、「公益の代表者」のやることとはこういうことであろうか。 差戻審判決は書いている。
「従来、赤間自白の真実性を確認せしめる有力重要な資料とされた『赤間ミナ9・26山本調書』によって肯定された、ミナが16日夜勝美がいつ帰ったかわからなかったという事実は、今や完全に崩壊し去ったのである。そこには見解の相違や水掛け論を容れる余地はないであろう。しかも、武田部長の『赤間ミナの警察調書』の勧進帳読みにより、絶望に陥った赤間に、真犯人はここにありと大喝し、自白内容の合理性など考えないと自ら認めている自信過剰型ともいうべき捜査のベテラン玉川警視の前にたやすく自白したのである。」 「仮面をかぶった『赤間ミナの警察調書』の勧進帳読みは、実に赤間自白の決定打となったのである。しかるにその『赤間ミナの警察調書』の仮面をぬいで出現した『赤間ミナ9・17土屋調書』は実に赤間自白の真実性に対する疑問への直接の決定打となったのである。赤間自白の出発駅から、一挙に、赤間自白の終着駅へ。赤間が自白する直接の契機となった『赤間ミナ9・17土屋調書』は、はからずも、赤間アリバイの成立の直接の転機となったのである。まこと、赤間目白の実態を物語るものといえよう。」(5) 捜査と裁判における権力犯罪の虚実のドラマが如実に現れている。A少年の自白の場合となんと似ていることか。 再度指摘しよう。本件A少年の場合は、筆跡鑑定書を偽り告げられ、A少年は絶望して自白した。お前の字は犯人の筆跡と同じだ、鑑定書がある、物証があると言われ、14歳の少年がいかにして身の証しを立てることができよう。助けを求めようにも、官憲の策略によって両親から完全に隔離されているのだ。赤間少年の場合は19歳だったが、A少年は14歳である。このように偽計によって絶望に陥れられた心理は赤間少年の場合より更に深刻であろう。絶望は死に至る病であるというコトバがあるが、捜査の場合、犯人との同一性やアリバイという決定的な問題に関する偽計は、取調べを受ける者を絶望に至らせる陥穽である。それ自体人権侵害であるばかりでなく、偽りの自白を生み裁判を誤らせる怖るべき契機となる。 赤間少年の場合は、取調官の偽計によってアリバイ消滅という絶望に陥れられた。A少年の場合は、取調官の偽計によって、犯人と同一という絶望に陥れられた。偽計による取調べは、家裁決定要旨もいうように、もとより違法なものである。最高裁判決(最大判昭和45年11月25日刊集24-12 最判昭和58年7月12日刊集37-6伊藤正巳意見参照)もいうように憲法38条に反する違憲なものである。特に見逃せないのは、本件偽計捜査の特質である。その狙いと手口は、絶望に陥れて自白させることであった。松川判決の表現をかりれば、「自白の決定打」を与えることであった。赤間自白の場合とそっくりの偽計が逮捕される前から組織的・計画的 【原文 傍点】に両親との接触を絶って行われたのである。 より悪質なのは、A少年を犯人として追及する捜査方針を見直して是正すべき重大な証拠(筆跡鑑定書)が現れたのに、見直しも反省もせず、逆にこれを利用し、A少年を欺いて自白に追い込む偽計捜査の方針が直ちに組織的計画的に実行されたことである。A少年に対する偽計による自白強要は、違憲・違法にして、かつ、著しく正義に反する犯罪である。 なお、赤間自白の場合、武田巡査部長の「勧進帳読み」を、山本検事は自らの作成した赤間ミナ調書によってごまかしおおせようとした。A少年に対する偽計自白の場合も、取調官は家裁の審理の際、偽証してこれを否定したが、たまたま所持していた取調ベメモの呈示を求められ、それによって真相が明るみに出たのであった(『季刊刑事弁護』No.14「神戸事件の自白排除事例」付添人本上博丈弁護士)。 (1) 偽計による取調べの違法性について ア 偽計による取調べは違法か この点について、大阪高裁昭和42年5月19日判決(判例時報503号81頁)は、「単に偽計を用いたという理由のみで違法視すべきではない」としたが、上記4で既述したとおり、偽計による取調べが違法なものであることは、同高裁判決を破棄した最高裁判決(昭和45年11月25日・刑集24巻12号1670頁)からも明白である。同判決は、判断の冒頭に、捜査手続においても適正手続の原則(due p「ocess)の働くことを明言し、これに基づき、捜査官が偽計を用いて被疑者をだまし自白を獲得するような尋聞方法は違法であることを力強く宣言しているものである(最高裁判所判例解説刑事篇昭和45年度49・412頁)。(注5) 前述したとおり、犯人の同一性という決定的な問題に関する偽計は、取調べを受ける者を絶望に至らせる陥穿である。本件取調警察官らは、少年を、両親から完全に隔離りしたうえ(注3)、この決定的問題について偽計したものである。このようにして、少年を追いつめ、絶望させ、泣きながら自白させ、自白調書に署名押印させたものである。そして、かかる偽計捜査が如何に少年を絶望させ心理的強制するものであったかは、前記1 (2) 8]の事実からも容易に窺えるところである。それは、憲法31条、38条に反する自白の強要にほかならない。 取調警察官の偽計捜査がこのようなものであると判明した以上、自白調書は証拠能力がないだけでなく、取調警察官らの自白の強要行為は、それ自体が職権濫用罪(刑法第193条)にあたる犯罪行為というべきである。 イ 本件偽計による取調べは、違法、違憲なものである。 (2) 令状逮捕と特別公務員職権濫用罪の成立について 逮捕状に基づけば逮捕は違法とならないか。 警察官らによる本件逮捕は裁判官の発した逮捕状に基づいている。その逮捕状は取調警察官作成の前記自白調書に基づいたものである。そこで前記自白調書に基づいて逮捕状を取得した行為は違法ではないか、その逮捕状に基づく本件逮捕は違法ではないか、ということが問題になる。そして刑証法第199条第1項は、「裁判官のあらかじめ発する逮捕状によりこれを逮捕することができる」と定めているから、裁判官の発する逮捕状に基づく逮捕は刑証法第199条1項に反せず、違法ではないといえるか、という問題が基本にある。これらの問題について、類似の事案・判例と対比し、その異同を明らかにして、事理を明らかにする。
ア 別件逮捕との異同
逮捕状は、犯罪事実を特定し裁判官の事前審査が要請される(憲法33条)のであるから別件逮捕は憲法上の要請を回避し、令状主義の存在理由をなみするものである。最高裁判例に関していえば、(最判昭59・7・12刑集37・6・791)の伊藤正巳裁判官の補足意見が、問題の所在を適切に衝いた適正な判断というべきである。
本件少年事件の場合はより悪質である。逮捕状による逮捕以前の、逮捕状取得方法においてすでに違憲・違法なのである。別件の逮捕状に籍口した;状主義の潜脱どころか、本件の逮捕状を詐取した令状主義の潜脱なのである。 イ 逮捕状取得方法と逮捕の違憲・違法 この点において、本件と極めて類似する事案について大阪高裁判決(昭和63年4月22日判タ680号)は次のように判示している。
「警察官において、客の供述調書の一部または全部を捏造した行為は、虚偽公文書作成罪を構成する犯罪行為であり、さらに、これらその一部または全部が犯罪行為によって作られ、かっ、その多くが架空人名義の供述調書を主たる疎明資料として、○○に対する捜索差押許可状あるいはホステス及び共犯者の逮捕状を請求して、その発布を得たのは、まさに令状の詐取ともいうべきもので右各令状の執行は違法というほかない。」 「逮捕状請求の主たる証拠である客の供述調書には、いずれも取調べ警察官により捏造された虚偽の部分があるうえ、F (石田聴名義)の供述調書は、警察官において事前に白紙の供述調書用紙に架空人名義の署名、指印を貰っておいたものを利用して作成し、その後読み聞けもしていないものであり、また、G以外の供述調書はいずれも架空人名義であって、供述内容のうち、客が○○でホステスから受けた接待の内容についてはその供述どおり録取されているとしても、右の各供述調書は到底証拠として許容することはできず、これらを除けば逮捕状の請求が認められなかったことは明らかであるので、右の逮捕状による逮捕は違法というほかない。」同判例の場合と本件の場合とは次の諸点で本質的に共通する。 1] 逮捕状請求の疎明資料が取調警察官の犯罪行為によって作られたものであること。 2] これを除けば逮捕状の請求が認められなかったことが明らかであること。 3] 逮捕状請求の際、その資料が犯罪行為によって作られた事実を裁判官に秘匿していた 4] 右は逮捕状の詐取というべきもので、右逮捕状による逮捕は違法というほかないこと。 また、比較的最近の事案では、福岡高裁判決(平成7年8月30日刊タ907号)が、「逮捕状請求の主要証拠である覚せい剤、その差押調書、鑑定嘱託書、鑑定書等がその証拠能力を否定されるべきものであることは前叙のとおりであり、これらを除けば逮捕状の請求が認められなかったことは明らかであるので、右逮捕状による逮捕は違法であるといわなければならない。」旨の判示をしている。 (3) 検察官の責任について ア 本件偽計行為を直接実行したのは警察官であるから、検察官に犯罪は成立しないといえるであろうか。 イ 前記2で既述したとおり、A少年に対する偽計による取調べは、取調官個人の思いつきや悪だくみによって偶発的に行われたのでなく、官憲の計画的・組織的な体制下で行われたものである。検察官は、本件偽計行為を直接実行したものではないとしても、少年は検察官の取調べの最初から最後まで、騙されたことを知らされず、騙されっ放しの状態にあったものであり、少年をこのような心理状態に陥れ、その心理状態を維持させたのは、検察の指揮下における警察・検察の合同捜査、組織的・計画的な偽計体制にほかならない。 検察官は、共謀共同正犯として、特別公務員職権濫用罪の責任を免れない。(注6) (4) 結論 以上述べたところから明らかなように、少年をして自白調書に署名押印させたことは犯罪を構成するものであり、また、自白調書に基づいて少年を逮捕したことも犯罪を構成するものである。検察官もその責任を免れない。偽計によって少年を自白させ、自白調書を作成し、自白調書に基づいて裁判官の逮捕状を詐取し、その逮捕状に基づいて少年を逮捕した警察官・検察官の行為は特別公務員職権濫用罪(刑法第194条)を構成する。 本件偽計捜査の違法性は重大であり、そこに情状酌量を認める余地はない。 予断・偏見にとらわれた偽計捜査の結果は誤らざるをえない。A少年が犯人との証拠はない。A少年は冤罪ではないか。A少年有罪を前提に、捜査官憲が偽計を弄して自白させた事実を、「ドロを吐かせたからいいではないか」とか、「目的が手段を正当化する」というような俗論によって裁判の理念たる真実と人権を踏みにじらせてはならない、と信じる。 (1) 自白内容の不自然・不合理 ア 1997年5月24日、A少年は「人を殺したいという欲望から、殺すのに適当な人間を探すために」昼過ぎ項自宅を出たら、J君と会った。「J君ならば、僕よりも小さいので殺せる」と思い、よく知っている「タンク山」の頂上付近にあるケーブルテレビアンテナ施設の入口前付近のところに連れ込んで・いきなりJ君を絞め殺そうと手を尽くしたが、なかなか死なない。そこで「僕は、ナイフでJ君を殺そうと思い、右手でJ君の首を絞め付けながら、左手で僕がはいていたジーパンのポケットを探しました。この時、初めて僕は、ナイフを持ってきていなかったことに気付きました」と7月5日付調書の第6項にある。A少年は、ナイフを「大体家を出る時には持ち歩いていた」のである(7月7日付調書第5項)。当初、絞殺を考えていたにしても、「人を殺したいという欲望から、殺すのに適当な人間を探すために」出かけたというのに、その日に限ってナイフを持っていなかったというのはおかしいではないか。自白によれば、現にナイフの使用を迫られだというのだ。 イ 自白によれば、殺人場所は、「タンク山山頂付近にあるケーブルテレビアンテナ施設」の入口前付近で、ここは小さな空地になっており、人も通り、A少年のよく知っている場所である。アンテナ施設は、フェンスに囲まれ、その施設の入口には、南京錠がかかっていて中に入ることができない。むろん、殺害した死体を、入口前の人の通る空地から中に運び込んで隠すこともできない。その辺りをよく知っているA少年が、フェンスの入口の南京錠を壊さなければ施設の中に入れないことを知らないはずがない。ところがA少年は南京錠を壊す道具を用意していなかったというのである。そこで、「僕は、南京錠を壊すための糸ノコギリと付け替える南京錠を手に人れるにはL(注・店名)に行けば、手に入るだろうと考えました。」「『L』に行けば、何でも売っていると知っていたので、『L』で糸ノコギリと南京錠を万引きすることにしました」(7月5日付調書第7項)。これではまるで蒲焼屋の亭主が、客が来てから鰻をとりにゆくようなものではないか。しかも、その店はA少年のよく出人りする店で、同級生仲間と万引きしたこともあり警備員にも顔を知られている。新品の糸ノコギリと南京錠を、入れ物もないのにどのようにして盗み去ることができるのか。糸ノコギリを腹のところに入れて持って行くとかさばって疑われるおそれがある(7月5日付調書第10項)。万引きは危険極まりないカケだ。見つかったら万事窮すである。 なぜこんな危険を犯すのか。「そのままケーブルテレビアンテナ施設の出、入口前に死体を放置しておくと、すぐ死体が発見されてしまうと思ったのです」と自白にはある(7月5日付調書第7項)。それでアンテナ施設内の建物の床下に死体を隠すために、人口の南京錠を壊す糸ノコギリを万引きしに出かけたというわけだ。ちょっと考えればわかることだが、危険を犯し、時間をかけて運よく万引きに成功して戻ってきたとしても、その間に死体が発見されていないという保証はどこにもない。ないどころか、「死体を放置しておくと、すぐに死体が発見されてしまうと思った」ほどの場所なのだ。死体が発見された現場にノコノコ戻って来たら忽ち犯人と疑われること必定である。真犯人ならこんな危険で愚かなことをするわけがない。直ぐその場から立去って逃げればいいのだ(この時点では首を切り取ることなどまったく念頭になかったことになっている)。 ウ 自白によると、A少年はその日、夜中に目覚め、糸ノコギリがあることを思いだし、それで人間の首を切ってみたいという衝動にかられたという。翌25日昼過ぎ頃J君の首を切るために家を山た。血を現場に残さないように黒色のビニールのゴミ袋を2つ持ち、ケーブルテレビアンテナ施設の局舎の床下に隠していたJ君の遺体を引っ張り出し、血がこぼれないように黒いビニール袋の口を開けて敷いて、糸ノコギリで首を切り、地面の上に置いて鑑賞し、「ビニール袋の中に溜まったJ君の血を」「ビニール袋の口を僕の口のところまで持ってきて、口一杯分の血を飲」んだ(7月9日付調書)。 この日は、J君が行方不明になった翌日である。J君を捜し出すために、警察はもちろん、学校の先生、PTAの親達、自警団、自治会の人々などで、付近一帯に大がかりな捜索が行われている。タンク山は市街地に囲まれた小さな山だが、子供が迷い込めば出られなくなりそうな所だから、J君捜索のため人々がタンク山に入った。警察は朝の十時頃警察犬を連れてここに出動している。J君の家はタンク山の南西麓にあるから、一夜明けても行方がつかめないということになると、タンク山のその日の様子がこのようになるだろうと、この辺の地理を熟知するA少年にはすぐわかったはずだ。 こんな状況の中で昼過ぎ頃、午後1時から3時までの間に自宅を出てタンク山の中に入り込み、J君の頭部を切断し、それを鑑賞し、更にナイフで両目や口を切り裂き、ビニール袋に溜まったJ君の血を口一杯飲むということを、誰にも気づかれずに実行できるだろうか。J君の首を切ろうと思いついたとしても、当日のタンク山は、実行を断念せざるをえない状況だったのである。 エ 自白では、A少年はそれから付近の入角ノ池の畔に行ってJ君の首を至近距離から鑑賞した後、穴にJ君の首をビニールの袋ごと隠し、更に向畑ノ池に行ってその中に糸ノコギリを投げ捨て、タンク山の下の近くに置いていた自転車に乗って家に帰った、という。 翌5月26日、A少年は昼過ぎ頃に家を出て、入角ノ池の畔からJ君の首を家に持ち帰ったことになっている。家に帰ったときは、誰もいなかった。A少年はすぐ風呂場でビニール袋からJ君の首を出しタライの中に入れ、タライの中に立てて置いたJ君の首にホースで水をかけて頭や顔や首の切り口を丁寧に洗った。風呂場にあったタオルでJ君の顔や頭の毛を拭き、髪の毛を洗面所にあったクシかブラシでとかしてやった。その後J君の首を入れていたビニール袋とその袋に入れていたJ君の血を入れたビニール袋を風呂場で洗い、J君の首を入れていたビニール袋に再びJ君の首を入れ、2階のA少年の部屋の天井裏に隠した。その間は誰の邪魔も入らなかった(7月9日付調書)。 誰の邪魔が入らなかったにしても、いつ家人が帰ってくるかわからない。家人が帰って来たらどうするか、犯行が直ちに暴露するだろう。家人が帰って来なかったのは、僥倖中の僥倖だったにしても、いつ帰って来るかわからない、その間の不安は深刻なものがあったはずだ。その不安が全く調書に現れていない。家人が帰ってくれば風呂場の異様な屍臭に気づかぬはずはない。5月下旬の梅雨先の蒸す気候の中に殺害後2日を経た遺体の首である。ホースの水で洗い流したとしてもその異臭は容易にとれるものではない。あやしまれなければおかしい。その不安も調書に現れていない。これらのことはA少年にその体験も事実もないことを示している。 (2) 客観的証拠について 自白調書を裏づけるきめてとなるような客観的証拠はない。早い話が、自白の中で犯行後A少年が辿ったという道筋や、首を切断したとされる「糸ノコギリ」ないし「金ノコギリ」や、犯行時A少年が身につけていたとされる衣服などから、被害者J少年の血痕が発見されたという事実があるだろうか。むろん、J君の首が置かれていた中学校の正門前と、首を切られた遺体が隠されていたアンテナ施設付近は別だ。ここでJ君の血痕が発見されても、J君が殺害され首を切られたという証拠とはなっても、A少年が犯人だという証拠にはならない。 そもそもA少年が本件の犯人であるとの客観的証拠はなかったのである。少年の自白調書が作成された6月28日の時点では、筆跡鑑定書が最高の証拠価値を持った証拠だったというのであるから、指紋の同定もない。少年を犯人と同定できる指紋の鑑定書もありえない。少年の作文・感想文と被害者の口に入れられていた文書及び声明文はすでに入手していたのであるからその比較・鑑定はやりえたはずである。 犯人と結びつく客観的証拠とされるものが2つある。A少年が書いたとされる2つの文書---神戸新聞社に送られた「声明文」と「懲役13年」という文書である(注4参照)。前者は筆跡と文章力の両面からA少年が書いたものとは考えられない。東大の客員教授だった体験から立花隆氏も認めるように、「はっきりいって、これだけの文章を書ける人間は、大学生でも、そうはいない」。後者はなおのことである。2つの客観的証拠は、自白を裏づけるどころか、A少年と無縁であることを示している。だからこそ、検察・警察は「証拠の女王」たる「自白」を得るべく、なりふり構わぬ手にでた。それが、筆跡鑑定を用いての本件偽計捜査にほかならない。 (3) 自白はA少年のシロの証拠である自白に変化や矛盾がないか、それが合理に説明されているか、このことは自白内容の真否を判断する上で不可欠の要件である。A少年の自白には、肝心要の点に、どうしようもない変化と矛盾がある。頭部切断の凶器とされる「糸ノコギリ」から「金ノコギリ」への変化と矛盾である。その合理的説明がないばかりか、自白が逆にシロの証拠であることを示している。「糸ノコギリ」が登場するのは、5月24日にJ少年を殺害した後、遺体をフェンスで囲まれたテレビアンテナ施設内に隠すために、L店から万引きして施設入口の南京錠のツルを切って壊したという時と、その夜自室で目覚めた特に、J少年の首を切ってみたい衝動にかられ、翌25日昼過ぎ頃家を出て、施設内に隠しておいたJ少年の遺体を引き出して首を切ったという時である。 検事調書を見ると、7月5日、7日、9日付の調書には、「糸ノコギリ」となっている。ところが7月17日付の調書では「金ノコギリ」と変わるのである。どうして変化したか。この変化にはどういう意味があるのか。 7月6日、警察が「糸ノコギリ」を捨てたと自白にある向畑ノ池を捜索した。そして「金ノコギリ」を発見した。「糸ノコギリ」でなく「金ノコギリ」である。両者は形も大きさも刃の巾も違う。だからこそ名称も違うのであって、刃の巾は「糸ノコギリ」は2ミリ程度、文字どおり糸のような刃である。「金ノコギリ」の刃の巾は12ミリもある。「糸ノコギリ」と呼べたものではない。
「糸ノコギリ」を捨てたという場所を大捜索して出て来たのが「金ノコギリ」だったから調書を変えざるをえない。しかし、変えると自白の真否が問題になる。なんとかして自白を裏づける物証が出現したような、しかもA少年の自白で初めて発見された「秘密の暴露」であるかのような、もっともらしい理屈をつけなくてはならない。向畑ノ池を捜索した翌日の7月7日付調書にはまだ「糸ノコギリ」とある。「ノコの刃が細かった」とあるからまさに「糸ノコギリ」である。7月9日付調書でも「糸ノコギリ」となっている。やっと7月17力付調書で「金ノコギリ」と変わるのである。「金ノコギリ」の発見から「金ノコギリ」と表現を変えるまでに手間どったのは、自白の「糸ノコギリ」、と捜索で出てきた「金ノコギリ」を同定できず、つじつまを合わせるのに苦心したからであろう。もともと違うものを同じだとするのは不可能なはずだが、警察と検察は不可能を可能とする調書作成技術をしばしば発揮する。7月17日付調書には、「今示された『金ノコギリ』は、向畑ノ池から発見されたというものですが、僕がJ君の首を切断するのに使ったノコギリに間違いありません。このノコギリのことを、僕は、これまで糸ノコギリと言って話してきました」とある。苦心の作文だが真実はごまかし切れるものではない。
7月7日付調書には、「僕は、横たわったJ君の右側に中腰か片膝を着いたかまでははっきり覚えていませんが、持っていた糸ノコギリの柄と先の曲がっている部分をそれぞれ持ち、一気に左右に2回切りました。すると、肉が引っ掛かったというような感じではなく、ノコの刃が細かったせいか、スムーズに切れ、切りロが見えました。それで、僕は、この糸ノコギリで、人間の肉が切れるのだと確認し、更に、左手でJ君のおでこを押さえながら、右手で首を切っていきました」とある。
ここに「肉」というコトバが2度使われていることに注意されたい。糸ノコギリで2同左右に切ったというのは、皮膚と、せいぜい皮膚に接着する表層部の肉である。「切りロが見えました」という程度の表層部の肉である。「それで、僕は、この糸ノコギリで人間の肉が切れるのだ」とある肉とは、人間の首の内部全体のイメージである。「確認し」とあるのは、試し切りした表層部と内部の肉が同質で、糸ノコギリで同様に「スムーズに」切れるというイメージである。このイメージは人間の首の内部の実態と違う。人間の首の内部は、皮膚に接着する部分と違って、均一性の組織ではない。骨があるのはもちろんだが、食道もあれば気管もあり、頚動脈、静脈などの血管、いろいろな神経、筋肉、靭帯など、種類の違う組織が入りまじっていて、神経や靱帯などの索条物が糸ノコギリの刃にひっかかって、チョットやソットで切れるものではない。調書には、誰でも気がつく骨を除けば、これらのことが出ていないことに注意されたい。このことはA少年がJ少年の首を切った経験がないことを示している。糸ノコギリで人間の首を切ることが不可能か至難であるというだけでなく、A少年がJ少年の首を切った経験と事実がないことを示している。「僕は、この糸ノコギリで、人間の肉が切れるのだと確認し、更に、左手でJ君のおでこを押さえながら、右手で首を切っていきました」という検事調書の記載は、検事によるA少年の幻想の表現にほかならない。 自白は普通クロの証拠と見られているが、A少年の自白は、犯行の体験と事実がないことを示すシロの証拠であることを自ら物語っているのである。なお、自白がシロの証拠であることを自ら物語る場合について、自白分析の多くの実績をもつ法心理学者である浜田寿美男教授は、次のように指摘されている。 「無実の人が悩みに悩んでみずから『犯人になって』想像で語った自白には、その自白内容自体の中に、その当人が事件のことを知らないという徴候が現れる。それは非体験者の想像の限界を露呈した結果である」(岩波新書「自白の心理学」)。これを「秘密の暴露」との対比で「無知の暴露」と名づけられた【同書】。まさに、本件検事調書の記載はA少年の「無知の暴露」を示すものに他ならない。しかも、「秘密の暴露」とされたものが、実は「無知の暴露」に他ならなかったのである。
(4) 非行事実がなかったことを認め得ることが明らかな新たな資料
--内藤道興氏の回答
はじめに
この矛盾は、A少年が、自らが体験していない事実を述べたがゆえに生じたものという以外に合理的に説明することは決してできないものである。
「回答」に照らせば、A少年の「自白」は、A少年が本件の犯人であることを否定する証拠以外の何ものでもないことが明白になる。
以下具体的に指摘することにする。
なお、内藤道興氏は、昭和23年北海道大学医学専門部を卒業以来、一貫して法医学を専門とし、爾来1300余件の死体解剖、1200余件の検視・検案に従事し、さらに、裁判所等からの委嘱で70件に及ぶ鑑定の経験(最近ではいわゆる「山形マット事件」の鑑定で有名である。)のある法医学の権威であり、その内容の信用性は著しい。【同内容のものはすでに、「ご紹介」への回答として付されていたもの をアップしましたが、今回「付審判請求書」に転記に際し、若干誤記訂正と表記変更を行なった部分があるので、内容的には重複しますが、以下再度アップします。】
以上の点のみからも、被疑者らが、付審判請求書に記載の「犯罪事実」(審判に付する事実)の犯罪を犯したことは明白であり、また、そこに情状酌量を認める余地もないことも明らかである。
さしあたり、以上について付審判請求書を補充する。検察官が本件を不起訴としたことの、さらなる具体的な批判については、検察官の不起訴裁定理由書および意見書の開示を受け、本件不起訴処分の理由を確認した上で、追って個別的、具体的に明らかにしていくこととする。
【以上で本文は終了しました。以下、注のみです。しばらくお待ちください】
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