神戸事件A少年付添人(弁護士)が明らかにした神戸家裁決定(判決)の実相

神戸事件の自白排除事例
偽計による自白


本上博丈 弁護士
(季刊刑事弁護第14号 1998年夏)

 九七年の神戸少年事件が、その事件そのものや報道のあり方などをめぐって大きな問題を投げかけたことは周知のとおりである。私は逮捕直後から弁護人、家裁送致後は付添人の一人として活動したが、本誌特集の趣旨に従って、本事件における証拠排除の問題について報告する。

送致事実と家裁決定

 送致事実としては、1、九七年二月一〇日小学六年の女児を殴打した傷害事件、2、同日小学六年の女児を殴打した暴行事件(1、2を併せて二月事件という)、3、同年三月一六日小学四年の女児を殴打した殺人事件、4、同日小学三年の女児を刺した殺人未遂事件(3、4を併せて三月事件という)、5、同年五月二四日小学六年の男児を絞殺した殺人事件、6、翌二五日から二七日にかけての同男児の死体損壊・遺棄事件(5、6を併せて五月事件という)の六件であった。
 送致事実そのものに対しては、少年・付添人らは、三月事件の殺意のみを争い、その余は認めた。九七年一〇月一七日の家裁決定は、三月事件について確定的殺意を排して未必の殺意としたほかは、送致事実どおりの非行事実を認定し、医療少年院送致の決定をした。

証拠排除申立てに対する判断

 付添人らは五月事件に関する証拠のうち、最初の自白調書である司法警察員に対する供述調書(第一次的証拠)は、極めて不相当な任意同行下において黙秘権を告知せず、偽計その他任意性に疑いのある状況で自白が獲得されたものであるとして、その後の司法警察員または検察官に対する供述調書、勾留質問調書、少年の自白を前提として得られた証拠物およびその証拠物に対する鑑定書等の説明文書や証拠物の写真(第二次的証拠)は、いずれも任意性の回復がなされていない反覆自白もしくは毒樹の果実であるとして、これらすべての排除を申し立てた。
 これに対し、家裁決定は次のように述べて、第一次的証拠および第二次的証拠のうち司法警察員に対する供述調書全部を排除したが、その余の第二次的証拠は排除の理由がないとした。少し長くなるが、この部分の審判書を引用する。
「兵庫県警本部科学捜査研究所は、須磨警察署長からの平成九年六月五日付依頼により、犯行声明文等と少年の中学校での作文の筆跡を比較検査した結果、八つの類似点、五つの相違点があるとして、結論的には、類似した筆跡個性が比較的多く含まれているが、同一人の筆跡か否かを判断することは困難である旨の検査回答書を同月二七日提出した。
 同月二八日午前八時前、少年は警察本部の取調窒へ任意同行され、取調官とその補助者の二名の警察官から一連の事件について取調べを受けた。
 二月事件と三月事件については、多少の沈黙の後簡単に自白したが、五月事件については、少年は取調官に対し黙秘権はあるのですかと尋ね、あるという返事を聞くと、二〇分も黙秘を続けた。取調官が疑惑を指摘しながら種々追及すると、物的証拠はあるのですかと尋ねた。
 集めた全ての状況証拠の中で筆跡鑑定は最も高い位置にあったところ、科学捜査研究所の判定は前述のとおりであったため、逮捕状も請求できず、任意調べにおける被疑者の自白が最後の頼りであった。
 そうすると、少年の問いに対して筆跡鑑定のことを述べるのであれば、検査回答書を示し、五項目の相違点もあるが、八項目の類似点があり、君が書いたものではないかと尋ねるのが公正である。しかるに、取調官は、少年の問いに対し、物的証拠はここにあると言って、机の上の捜査資料のファイルをパラパラとめくって、声明文のカラーコピー等を見せ、『この声明文が君が書いた字であることは分かっている。素人にも分かる』と言い、あたかも筆跡鑑定により、声明文の筆跡が少年の筆跡と一致しているとの結果がでているかのように騙し、その結果、少年は、物的証拠(=筆跡鑑定)があるのならやむをえないと考え、自白した。
 取調官がこのように少年を騙したことは、もとより違法であり、同一取調官に対する少年の五月事件についての供述調書全部(合計一五通)を、刑事訴訟規則二〇七条により本件保護事件の証拠から排除する。
 他方、検察官は、少年に対し、『言いたくなければ言わなくてもよいのは勿論、警察で言ったからといって事実と違うことは言わなくてもよい』と明確に告げてから少年の供述を求めているから、毒樹の果実の理論の適用はない。従って、少年の検察官に対する供述調書(及びその中で触れられている証拠物〕は証拠排除の理由がない」(若干要約)。

立証活動

 (1)弁纏人は、逮捕翌日の九七年六月二九日の第一回接見以来七月二五日までの家裁送致まで、交代で連日接見を行い、かつ詳細な接見メモを作成していた。第一回目の撞見メモに「任意同行のとき、警察に、声明文の筆跡鑑定があると言って聞かれたので、自白した」、六月三〇日の第二回目の接見メモに「五月事件については『物的証拠があるなら見せてください』と言ったところ、筆跡鑑定書(の一部)を見せられた。君が犯人でないとしても、少なくとも声明文は君が書いたことに間違いないと言われた。それで、五月事件についても認めた。五月事件について見せられた物証はこの鑑定書だけ」との記載があり、少年の自供経過に関する有力な証拠となった
 少年の逮捕前にマスコミがさまざま報道していた犯人像と少年とがあまりにかけ離れ、また捜査機関が代用監獄での身柄拘束に固執し裁判所もこれを是認するなかで、弁護人としては、捜査活動の適正さに必然的に重大な関心をもたざるをえず、自供経過についての少年の供述の確保と家裁送致直後のこのような観点からの記録の点検につながったと思われる。
 その結果、家裁送致がら一〇日後の八月四日に第一回審判があったが(鑑定留置決定〕、その時点で付添人の意見陳述として「少年が最初に逮捕された六月二八日に、捜査機関によって少年の最初の自白が獲得された過程には、捜査機関による偽計等違法もしくは不当な方法によって自白が獲得された疑いがある」旨の指摘をすることができた。
 (2)少年事件においては、刑事訴訟の場合と異なって、基本的には家裁へ捜査記録全部が送致され、それを付添人が閲覧謄写できることは、伝聞法則の適用がたい[原文ママ]という点では問題があるものの、捜査過程の洗い直しにとっては相当有用である。本件の場合、問題となった科学捜査研究所の六月二七日付け検査報告書を早期に発見することができたし、任意同行時にはその検査報告書以外には少年と犯人とを結びつけるさしたる証拠がなかったことも明らかにすることができた。仮に刑事訴訟であったなら、検察官がその検査報告書を証拠請求することはないであろうし、証拠開示請求によって提出させることも極めて困難だったのではないかと思われる。
 (3)人証としては、少年本人のほか、任意同行時の状況について父母、ならびに取調担当の警察官およびそれに立会した警察官の尋問を行った。事柄の性格上、任意同行の当初から逮捕までの約一二時問に及ぶ詳細な経過を尋問する必要があったが、審判官がこの点につき、少年に対しては約一時間半、取調警察官に対しては約二時間半、立会警察官に対しては約一時間半という長時間に及ぶ尋問を一日で行うことを許されたことには敬意を表したい。
 警察サイドの尋問対策を想定して召喚過程で召喚の目的等が警察に伝わらないよう配慮されたい旨家裁に申し入.れていたが、どういうわけか、報道機関を通じて付添人の問題意識が相当具体的に漏れていた節があって尋問は難航したが(本件ではほかにも、報道機関に関連して不可思議なことが山ほどあった〕、具体的かつ詳細に聞いていくことと、立会警察官をも尋問したことで、言い繕いの矛盾や不自然さを浮き出たせることはある程度できたのではないかと思う。また取調警察官に対する尋問のなかで、捜査当時に作成していた取調ベメモを持参していることが判明し、それを開示させたところ、少年の自供経過に関して、自身の証言とは異なり、むしろ少年の供述に符合する記載があることが見つかるという一幕もあった。

家裁の判断に対する評価

 非行事実は認定しながら、取調警察官による偽計はあくまで違法であるとして、五月事件についての同警察官に対する供述調書全部を排除したことは、虚偽排除よりも違法排除を重視したのであろうか。任意同行当日の、取調警察官に対する自白後逮捕前に同じ取調室で行われた検事調べについては、検察官が「言いたくなければ言わなくてもよいのは勿論、警察で言ったからといって事実と違うことはいわなくてもよい」と明確に告げていたことをもって毒樹の果実理論の適用はないとして検察官に対する供述調書の証拠能力はすべて認める一方で、取調警察官に対する供述調書はその検事調ぺ後の分も排除したのは、偽計という違法が取調警察官に対してのみ属人的に付着し、その違法が最後まで払拭されることはなかったという考え方ぐらいしか説明のしようがないように思われる。検察官の右告知は検事調ぺそれ自体の適法性確保という点では意l味があったかもしれないが、取調警察官の偽計による心理的強制(自分と犯人とを結びつける筆跡鑑定書という科学的証拠があるとの錯誤状態)からの回復という点では、前提事実である筆跡鑑定結果の不存在という真実を教えられない限りありえず、検察官の右告知がそのような意義を有するとはとうてい考えられないからである。少年が真実を知って右錯誤から回復したのは、家裁送致後付添人から六月二七日付け検査回答書の内容を教えられた時であった
 家裁決定は、取調警察官の偽計は違法であるとしたが、前記のとおり、任意性にはまったく触れておらず、この点は極めて不可解である。それまでは黙秘ないし否認していた少年が、取調警察官から、実際には存在しない筆跡鑑定の結果(科学的証拠)が存在すると虚偽の事実を告げられるや自白したというのだから、任意性に疑いがあることは明らかであり、しかも、検案官の右告知も右偽計による少年の錯誤状態を何ら払拭するものではないから、当初の取調べで生じた任意性を疑うべき事情はその後も少年が真実を知らされるまで一貫して継続していたと見るほかないはずである。最判昭五八・七・一二刑集三七巻六号七九一頁の伊藤正巳裁判官補足意見によれば、少なくとも少年の供述調書については、証拠収集の主体にかかわらず、すべて排除されるべきであったと考える。

最後に

 最後に、少年審判手続における違法収集証拠排除についての問題意識を若干述べておきたい。
 刑罰権の存否の確認とその適用を目的とする刑事訴訟手続においては、裁判所が中立の第三者の立場にあることを前提として違法捜査の抑止と司法の廉潔性の保持という政策的目的を根拠とする排除論が確立されているが、少年審判手続においては、国家が後見的に非行少年の健全育成を図るという目的との関係で、裁判所は、第三者的立場にとどまらず、当事者としてその目的の正当性を回復・維持するという政策的目的も考慮しなければならないと思われる。後見的に少年の健全育成を図ろうとする国家が、その前提たる捜査段階で少年の人権侵害を敢行し(捜査機関)これを咎めない(裁判所)ことは、人権侵害そのものによって少年の健全育成を阻害するという意味で明らかな自己矛盾であるばかりか、少年の審判への信頼を失墜させ、その目的を大きく傷つけることになるからである。
 他方で、やはり非行少年の健全育成を図るという目的からすれば、客観的に存在した非行事実はそれとして的確に認定されることもまた不可欠であるから、たとえば収集過程で違法があったとしてもそれ自体が傷つくことはない証拠物を、それが認定を左右するような場合にまで排除し、結果として非行事実なし故の不処分とすることが適切なのかという疑念も拭えない。あるいは、刑事訴訟手続における弁護人としてであれぱ、証拠関係からみて被告人に公判廷での黙秘を勧めるべきと考えられるようなケースにおいて、それが少年審判手続における付添人としても同じでよいのか、はたまた審判廷では真実を語るよう勧めるべきなのか、たいへん悩ましい。
 結局のところ、「健全育成」というタームをどこまで深めて具体化することができるか、ということなのであろうか。(ほんじょう・ひろたけ/神戸弁護士会〕

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