井垣さん、大丈夫?

 7月21日、アムネスティ・インターナショナル主催の「『少年を裁く』とは?」というセミナーがあり、A少年有罪判決を出した神戸家裁判事、井垣康弘氏が来て講演をするというので、皇居北の丸公園の科学技術館サイエンスホールに行ってきました。
 警察・検察の不正を告発する告発人から井垣判事に連絡をとろうとしているのですが、判事は回答をいっさい拒否しています。
 こういう機会にでも質問してみなければ、連絡のチャンスはありません。
 開場時間に会場に着くと、もうロビーで神戸事件の真相を究明する会のKさんが来ていて井垣さんに質問をしていました。
 横に警察・検察の不正の告発を支援する会のNさんの姿もあります。
 しかし、井垣さんの口からは「その話はしたくありません」「そういう質問には答えたくない」という言葉が繰り返し出るだけでした。
 Nさんが後藤昌次郎さんのパンフを見せたところ、「それはみなファイルしてあります」との答。
「ご感想は?」と質問すると「その話は今はできません」というのでした。
「今は」というのは、ことによると、いつか話してくれるということなのでしょうか?
 このセミナーでは話したくないということなのか、2001年は時期的にまずいが、何年かしたら、ということなのか・・

 私は、質疑応答の時間が来たら次のことは質問するつもりで、ホールに入りました。

 1) 家裁決定では、警察の供述調書は偽計にもとづくものだとの理由で証拠から排除したのに、同じ警察の偽計を利用した自白である検察調書をなぜ証拠採用したのか[*寃罪問題の心理の研究にかけては第一人者として、法と心理学会の中心人物となっている浜田寿美男氏の近著『自白の心理学』(岩波新書)を見ると、裁判官が警察のとった自白を証拠から排除していながら、同じ内容の検事調書を証拠として採用するという矛盾したやり方をしたために寃罪を生んでしまった例は神戸事件ばかりではないことがわかります(仁保事件 同書117頁、141頁)。(警官=プロレタリア、検察=ホワイトカラー、といった階級的偏見が働くのか?)。]<

 2) 井垣さんは少年院にA少年を見舞いに行っていて、少年の精神状態が改善されていると言っているが、どういう根拠にもとづいているのか。

 3) 警察・検察の不正を告発する告発人をはじめ、A少年の寃罪を主張する人々からの面会の要請を断り、問い合わせにも答えないのはなぜか。

◆   ◆   ◆
 セミナーは、まず井垣氏が1時間の講演を行なったあと、法政二高の生徒4人と井垣氏の質疑応答が1時間というプログラムでした。
 司会者から、フロアとの質疑応答はなくすと告げられました。
 質問を用意したのは無駄になりました。
 法政二高の生徒たちも、授業で少年法を学んだので、この日にはきちんと質問を用意してきたのでしたが、井垣氏はなぜか当日になって、自分の扱ったある少年裁判の例を前半の講演で語るから、それをもとにして生徒たちがその場で思いついた質問をするという形式にしてほしいと希望したというのでした。

 その講演そのものも、奇妙なものでした。
 井垣さんが実際に手がけた事例は、一人の少年を四人の少年が遊び半分で酷い殺し方をしてしまった事件で、改正少年法のおかげで、被害者のお父さんが審判廷に出てきて加害少年たちにじかに語りかけることができ、それを聞いた主犯格の少年が泣いて詫びたという、それ自体は、修復的司法の、日本では先駆的な例であり、興味深い話ではありましたが、それだけを話して、それでおしまいというのには、首をかしげました。

 少年法の改悪に対するマスコミの対応は、昨年の前半までは「ちかごろ少年の凶悪犯罪が増えた。少年法が犯罪少年を甘やかすからだ」と言うデタラメなものでした。
 それが、昨年後半になってから、この説を覆すような論調が目立ち始めました。(マスコミは、この間まで小泉改革とはしゃいでいたのに、いまや「小泉不況」だ、「『骨太の方針』とやらで痛みを押しつけられてはかなわない」、と遅ればせに多少正常な感覚を取り戻しています。少年法も、まったく同じパターンです)。
 井垣さんは、このころからしきりにマスコミに登場するようになりました。
 言うまでもなく「神戸事件の裁判官」として。
 そのときは改正に疑義を唱えるというスタンスでした。
 この日の講演が、少年法改正で被害者の親などが法廷で発言できるようになったのはいいことだ、というだけの内容だったのは、なにかズレた印象を受けます。
 少なくともそれでは、少年法を語るというには、あまりに一面的ではないでしょうか。

 高校生4人とのディスカッションも、考えてみると、時間の不足もあるとはいえ、散漫で低調な印象でした。
 高校生たちの質問が、講演と無関係に各自少年法について考えた事柄をとりあげたときのほうが活発だったのは当然です。
 しかし、それに対する井垣さんの対応は、聞いていて首をかしげるような点がいくつか見られました。
「更正というのはどういうことを意味するのか」という質問に対して「更正と言ってもいろいろあります。もっと具体的に」と聞き返していたのは、わけがわかりません。こういう聞き返し方は、高校生に対して失礼ではないかと思うのです。
 当然のことながら、神戸事件に関する質問も出ました。
「土師守さんの手記を読んでどう思いましたか」という質問でした。
 井垣さんの答は、「あの事件では、山下彩花ちゃんのお母さんの手記、A少年の父母の手記も出され、お三方とも何一つ隠そうとせず、気持をストレートに書いていて、凄いと思った」と言うものでした。
 つまり、このWさんという高校生が「具体的」に、土師守さんの手記という本について聞いているのに、三冊の本に話を拡散させ、「具体的」内容など抜きに、勝手に感動を述べているのです。
 そして、その内容は、なにも家裁の判事でなくても語れることです。
 続けて井垣さんは「家裁では、加害少年の生い立ちは非常に詳しく調べるが、被害者については調べないので、あの本を読んで初めて知ったことが多い」と述べました。
 これも彩花ちゃんの本と区別なし。
「私の書棚にはあの三冊の本が並んでいます。毎朝その本にお早うと言っているんです。少年Aと彩花ちゃんにお早うと言っています」。
 井垣さんがあちこちで繰り返す情緒的な告白です。
 さすがに気持がとがめたのか「こんなのじゃ答になってないかもしれないけど」と付け加えたのは、まさに語るに落ちるというものでしょう。
 どうもこの人は、神戸事件についてあんまりつっこんだ話はしたくないのではないかと思えてなりません。
 彩花ちゃんのお母さん、山下京子さんの手記『彩花へ 生きる力をありがとう』と土師守さんの『淳』を、井垣さんは医療少年院に差し入れ、現在A少年は繰り返しそれを読んでいると思う、のだそうであります。

 ここで、たまりかねたKさんが「井垣さんの答は、A少年有罪を前提にしたものでしかない」とフロアから批判の声をあげました。
 井垣さんは何も答えません。
 主催者側からの制止があり、Kさんはいったん沈黙しました。
 私は、場内の人たちに「また、どこかの変な団体が騒いでる」なんて思われても困るということが気になって躊躇したので黙っていましたが、このとき、会場のうしろのほうから、誰だか知りませんが「喋らせないからいけないんだ」と、何度も抗議してくれた人もいたのは、ありがたいことでした。

 高校生からは、法廷で少年法の改正を意識するのはどんなときか、という重要な点をついた質問も出されました。
 このときの井垣さんの答の中で「右から左に逆送はしない」とか「刑というのは復讐ではなく、更正させるためのもの。三年間刑務所に入れるより、少年院で二年間教育するほうが大事だ」と言っていたのは納得しましたが、「厳罰化も意味はある。軽い犯罪の場合、厳罰化されれば、やらなくなる」としか答えなかったのは、奇妙でした。
 そもそも少年法の改悪は、少年の凶悪犯罪をなくすためだとされてきたのですから、ほんとうに言うべきことは、凶悪犯罪は厳罰化では減らせないということであるはずですが、それは言わないのです。
 これは、井垣判事のスタンスが少年法「改正」前と後でズレていることを示すものなのでしょうか、それともこの日の井垣さんは、よほど調子が悪かったのか、前夜飲みすぎでもしたのか・・・ディスカッションの仕方を直前になって変更してしまったのも、それと関係がないのかどうか・・・ま、憶測はこのくらいにしておきますが。
 ここで司会者がセミナー終了を告げたので、Nさんが「さっきのWさんの質問に井垣さんは答えていません」と指摘しました。
 主催者側の場内整理係(?)が来て制止しました。
 Kさん、そしてうしろの誰かさんも井垣さんに批判をぶつけます。
 私も「井垣さん、いつまで逃げるつもりですか」と言いました。  これはステージの井垣さんにハッキリ聞こえ、さすがに顔色を変えていました。
 自分で出した判決について堂々と語らず、話合いも質問も逃げてまわるような裁判官を講師に呼んだ主催者も見識を問われるのではないでしょうか。

 この日のセミナーは、現職判事と高校生が少年法について考えることが目的なので、神戸事件のことがメインでないのは当然です。
 だから、私たちの行動が変則的だと非難されるのもやむを得ません。
 しかし、井垣氏は神戸事件があったからこそ注目されて、あちこちで話をしている人物です。
 その当人がこれまで、自分が判決を下しておきながら、それについての質問すら回答を拒んできたからこそ、こういう「変則的」事態が起こるのです。
 しかも、井垣氏は高校生たちに誠意をもって答えているとは思えません。
 そこに神戸事件に関して井垣氏が内心に抱えているうしろめたさがないと言いきれるでしょうか。

 私は、単純に井垣さんの対応を責めるつもりはありません。
 むしろ、あの人はどこかの筋に脅されて操られているのではないかとさえ思います。
 少年法「改正」前後から、異様にマスコミに露出している井垣さんを、その筋が注目しないはずはありません。
 そこで、神戸事件について、少年法について、言っていいことといけないことが、井垣さんに伝えられた・・・そんなシナリオが思い浮かぶのです。

 この日のセミナー参加者は100人くらいではなかったかと思いますが、高校生が目立ち、大人は比較的少数でした。
 そんな中でも5人くらいの大人の人が、私たちの話を熱心に聞いてくれ、また高校生でも4人の人たちが話を聞いてくれて、Kさんの用意した究明する会のパンフや、Nさんの持っていた後藤昌次郎さんのパンフを買ってくれたのは、ありがたい収穫でした。
 私達が竹橋のホームについたとき、後ろから声をかけてくれた司法試験受験中だという若い女性もいました。
 こういうふうにして、私達の運動はじわじわと広がっていくのです。
「ぼくは、聴き手が二、三人しかいないところでも、聴いてくれる人がいれば出かけて行って話したよ」と、後藤昌次郎さんが松川事件当時のことを語っておられたのを思い出しました。

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