神戸小学生惨殺事件の真相 その1

権力の恐るべき犯罪----神戸小学生惨殺事件の真相

目次

※のついている項目は図表です
はじめに
神戸事件の経過
正門に頭部を置いたのはA少年ではない!
矛盾だらけの殺害・遺体切断の筋書き
警察発表の「物証」にはこれだけの疑惑がある
※こんなに変わった犯人像と手口(少年逮捕前と後のマスコミの右往左往ぶり)
「犯行声明」を書いたのはA少年とは別人だ!
権力の陰謀一神戸事件の背後に潜むもの
マスコミの批判精神はどこへ?
知識人諸氏の奮起を期待する
河野義行氏からのメッセージ
浅野健一氏からのメッセージ
解放新聞大阪版もえん罪の危険性を指摘
※友が丘中学正門
※友が丘地図と中学校周囲の地図
※アンテナ基地の写真と見取り図
安本教授の指摘する筆跡の違い
/犯行声明と手紙の筆跡
特定のパソコンのフォントを使用・・・


はじめに
   ---現地調査を終えて
 日本全国を揺るがした神戸小学生惨殺事件は、警察が一人の少年を逮捕し7月25日に家裁へ送致したことにより、いま、ひとつの幕がひき降ろされようとしています。
 だが、「一四歳の中学生の単独犯行」というのは、はたして本当なのでしょうか?
 私たち「神戸事件の真相を究明する会」は、現地におもむき、長い時間をかけて調査を行ってきました。そこで驚くべき事実が、次々に浮かびあがってきたのです。
 5月27日の午前1〜2時に頭部を中学校正門に置いたという少年の「自供」とは全く違って、犯人は午前5時頃から6時40分頃まで現場にとどまり頭部の置き場所をかえていた事実。アンテナ基地の管理者が、胴体部発見の直前に基地を視察していた事実。……
 連日タンク山では、行方不明になった淳君を探すための捜索が行われており、その真っただなかで「供述」通りに誰にもみられずに四回も山を往復したり遺体を切断したりすることは、絶対に不可能であること。……
 現地に行って色んな人々の声を聞くなかで、また自分の目で見、自分の足で歩いてみるなかで、私たちははっきりと確信したのです---少年は犯人ではありえない。警察が何の物証もないままに少年を逮捕し、彼の「供述」なるもののあとづけ捜査によって「凶器が見つかった」と称しているのは、まさに冤罪でっちあげの手口そのものではないか、と。
 私たちは、労働者・学生・知識人のみなさんに、腹の底からの怒りをこめて訴えます。神戸事件の裏側にあるドス黒い権力犯罪を直視しよう、と。そしてジャーナリストの方々には、警察発表への盲信を拭いさり今こそ批判精神をよみがえらせよう、と。
 真実はひとつ---私たちは神戸事件の真相を徹底的に究明していく決意です。
       神戸小学生惨殺事件の真相を究明する会


神戸事件の経過
1997年
5月24日13時30分淳君が「祖父の家にでかける」と自宅を出る
20時50分淳君の家族が須磨署に捜索願い。捜索開始。
5月25日10時00分警察、さらにPTA役員と自治会役員らが捜索
5月26日10時00分須磨署が公開捜査。自治会・PTAなどが大々的に捜索
5月27日06時40分友が丘中学校正門前で遺体の頭部を発見
15時00分タンク山ケーブルアンテナ基地内で遺体の胴体部発見
6月04日11時00分神戸新聞社に「犯行声明」が届く(投函は6月3日)
6月28日兵庫県警がA少年を「任意同行」。少年の自宅を家宅捜索
19時05分A少年を逮捕
7月06分13時40分「向畑ノ池」の捜索開始。県警「金のこぎり」を発見」と発表
7月08日午後10日間の拘留延長決定。「池の捜索で金のこぎりを発見」と発表
7月15日午前2月10日と3月16日の連続通り魔事件の容疑者として再逮捕
7月25日淳君殺害事件と二件の連続通り魔事件の計三件を一括で家裁送致


正門に頭部を置いたのはA少年ではない!

 5月27日早朝、神戸市立友が丘中学校の正門前で、消息を断っていた土師淳君の切断された頭部が発見された。
 「義務教育と義務教育を生み出した社会」への「復讐」----神戸新聞社に送付された「犯行声明」において、犯人はこの残虐な行為の目的をこのように言いあらわした。
 だがいったい、だれが、いつ、淳君の頭部を友が丘中学校正門前に置き去りにしたのか?
 本当にA少年がおこなったのか?
 報道されているA少年の「自供」によれば、A少年は26日に頭部をタンク山から自宅に持ち込み、27日の午前0時に起き出して、午後1時から2時にかけてこれを学校正門に置いた---母親の自転車で校門前まで運び、いったんは校門の白壁の上に置こうとしたが、安定が悪く落ちてしまうため校門鉄製門扉の中央に置き、その後自宅に帰った---ということになっている。

頭部は三回置き直された!

友が丘中学正門

 だが、われわれの聞き取り調査によって、このような「自供」とはまったく食い違う決定的な事実が浮かびあがってきたのだ。
 「ここよ、ここにあるのを見たのよ」「こっち(鉄製扉中央)じゃなくて、こっちだったよ。東を向いてな、ここにあったよ」
 27日5時30分頃に中学校正門前を散歩していて頭部を目撃した友が丘7丁目に住むおばあさん(83)は、われわれの聞き取り調査に応じて、正門の写真の上で場所を示しながらこのように明言した。もう一人の老婦人と二人で三メートルほどのところまで近づいて頭部を見た彼女は「まさか本物とは思わなかった」そうであるが、位置は間違いなく校名プレートの真下だったというのだ。
 ところが、おばあさんから約1時間後の6時30分頃に友が丘中学に配達しに行った新聞配達員のOさん(49)は、鉄製扉の向かって左側にそれが置かれてあるのを目撃している。
 「真ん中で見たゆう人もおるようだけんど、ぼくが見たのはここですわ。気味悪い作り物や思ったんですけどな、ここに、あっち(東)を向いてな、あったんですわ」
 Oさんはわれわれの前でその位置を実際に示しながらこのように明言した。
 そしてさらに10分後の27日6時40分に頭部を発見し警察に通報した友が丘中学の用務員の方は、鉄製扉の中央に立ち地面を指さして
 「ここ、このコンクリートの繋ぎ目のところに正面、東を向いてきちんと置いてありました」とわれわれに断言した。
 以上三人の目撃証言からすれば、27日朝5字30分頃から6時40分までの間に、頭部は少なくとも違う三カ所に置き直されていたことになる。

犯人は午後6時40分頃まで校門付近にいた!

 「元気そうな赤い顔色でな、口に紙が、竹の筒のようにな、丸くしてな、入れられていたよ」
 ところが、6時30分に目撃した新聞配達員の方は
 「紙はな、名刺くらいの大きさでな、こういうふうに(と、口の前で手を横にして)くわえていたんですわ」
と断言したのである。
 たんに頭部の置場所が変えられていただけではなく、「第一犯行声明」が書かれた紙片も形を変えて入れ直されていたのだ。おそらく犯人はより確実に「犯行声明」が発見されるように,正門前を通行する人々の様子を監視しながら執拗に何回も首を置き直したのにちがいない。そして犯人は、6時40分頃までは間違いなく現場周辺にいたのである。
 もはや明らかであろう。27日の午前1時から2時にかけて正門鉄製扉中央に頭部を置いて自宅に戻ったというA少年の「自供」なるものは、犯人の実際の動向とはおよそ掛け離れた架空のものでしかないということが!
 そもそも、A少年宅は、母親がいつも5時に起床し、遅くとも6時頃までには家人を起こして朝食をとるのだという。このことからしてもA少年が6時30分すぎまで友が丘中学校正門付近にとどまっていたはずがないのだ。
 しかも、われわれが現地で調査したところ、最初に頭部が置かれていた正門の壁は一九八センチの高さがあった。そして実際に実験したみた結果、この壁の上に一六〇センチあまりのA少年が頭部を置くことはとうてい無理であることも、わかったのだ。

真犯人は目撃されている!

5頁上図/友が丘中学周辺道路図

5頁下図/友が丘全体地図

 「黒いブルーバードが停まっていたのと、黒っぽい服の男がうずくまっているのを見た」
 「あれが犯人だと思います。あの少年なんかじゃないですよ。会社の人もみんなおかしいといってます」
 27日五時頃に不審な車と人間を目撃した運送会社の運転手Bさんは、われわれが後日学校正門前で行った早朝一斉聞き取り調査に応じてこのように明言した。
27日当日Bさんは、正門前の敷地に黒のブルーバード(窓に目隠しシール)が乗り入れるようにして停車していたのを目撃〔5頁上図のまる4〕、いぶかしく思いながら通り抜けたところ、さらに北側通用門のところに丸く膨らんだ黒のポリ袋をもった男が隠れるように植え込みにしゃがみ込んでいるのを目撃した〔5頁上図のまる5〕。そして、頭部発見のニュースを聞いて「あれが犯人だ」と直観したのだという。
 このBさんが見た黒いゴミ袋を持った(現在の住民は青いゴミ袋を使っており黒いゴミ袋は使っていない)黒っぽい服の男は、4時半頃に、中学校北側幹線道路の車道の真ん中を西方向に向かって歩いていたのも目撃されている〔5頁上図のまる3〕。この男は多くの人々に何度も目撃されているのである。
 またBさんが見た黒いブルーバードは、同時間帯にここを通ったタクシードライバーCさんら多くの人々が目撃している。早朝の時間帯に正門敷地内どころか付近の路上に車が停車していることじたいがきわめて希であり、この黒のブルーバードは非常に奇異だったというのである。
 それだけではない。Bさんは、遺体発見の前前日の25日の午後5時頃に、北側通用門のところから正門方向を監視するように見ていた一八〇センチほどの長身の男とそれよりやや低めの男の二人連れを目撃したという。
 これは犯行の下調べであったにちがいないのだ。

犯人目撃の決定的情報は闇に葬られた!

 だが、このような決定的な目撃情報はやみに葬られてしまった。
 早朝の聞き取り調査を受けてBさんの会社を訪問したところ、Bさんの会社の役員は
 「捜査に協力しようと思ったのに逆に犯人扱いされた。」「警察でもマスコミでもない怪しい人間が徘徊するようになった」「怖い」
 「これ以上、危険なところに(Bさんを)巻き込ませたくない」
と、強く訴えるように何度も繰り返した。
 また、Cさんも同様に
 「警察に口止めされている」「あのことはもう思い出したくない」
と、切実に述べたのである。
 彼らは、一様になにものかに怯えた様子であった。
 兵庫県警捜査本部が、目撃者に口止めをおこなったことはあきらかであった。いや口止めだけではない。目撃者の現在の様子からして、なにものかによる脅迫さえもが繰りかえされているにちがいないのである。
 そして、県警は、6月30日になって、淳君が消息を断ってから遺体が発見されるまでのあいだだけ目撃されている黒いゴミ袋を持った男や、黒のブルーバードについて、「事件と無関係」と発表した。
 こうして、決定的な目撃証言が闇に葬り去られたのだ。

 「マスコミであれほど騒がれていたのに、黒いごみ袋の男については警察は一度も聞き込みに来なかった」
 ある南落合地区の住民はわれわれにこのように語った。警察の捜査への不信感は根深い。だからこそ、付近の住民は、A少年の逮捕後も警戒体制を解かず、いまも連日自力で巡回警備を続けているのである。


矛盾だらけの殺害・遺体切断の筋書き

 5月27日午後3時頃、早朝の頭部発見につづいて、竜の山(通称タンク山)にあるケーブルテレビのアンテナ基地の床下から、淳君の胴体部分が機動隊員によって発見された。そして、現場の発見状況からして淳君殺害・遺体切断の現場は別の場所とする報道がなされた。ところが6月中旬になると、これとはまったく逆に、タンク山が殺害・遺体切断の現場であるとする説が流布されるようになった。
 現在では、A少年の「自供」と称して、次のような筋書きが描かれている。---24日午後A少年は「むしゃくしゃしていた。誰でもいいから殺してやろう」と思いたち、淳君を山に誘い込み、山中で首を絞めて殺害。いったんアンテナ基地の近くの窪地に遺体を隠す。「遺体を切ってみよう」と思いつき、下山して金ノコと南京錠を万引き。道具をもってまた山に登り、遺体を基地内にひきいれて隠した。翌24日午後、同基地内のコンクリート部分で遺体を切断。胴体部分は床下に隠し、頭部は草むらに放置した。道具一式を持って下山し向畑ノ池に捨てた。翌26日夜、タンク山に頭部を取りに行き、自宅に持ち帰り屋根裏に隠した後、浴室で洗った。そして翌27日未明に学校へ出かけた、---と。〔ただ、あとで述べるように、淳君を山に誘った時刻、殺害の時刻、遺体を基地内に引き入れた日時、などについて、各紙の報道は今日でも大きく食いちがったままである。〕
 だがこのような筋書きはあまりにも非現実的なものである。われわれは、捜査本部発表を根本からくつがえす数々の決定的証言をえたのだ。

遺体発見直前、管理者が現場を見ていた!

 われわれ調査団は、神戸市開発管理事業団ケーブルテレビ課の家田祥生事業係長に会って話を聞いた。
 彼は5月27日の胴体部分発見の直前の午後1時半頃に、新人職員の研修のため、7人でアンテナ基地に行っていたのである。
 彼は入口の南京錠があかないので、鍵を間違えて持ってきてしまったと思ったという。しかし、基地内に入れなかっただけに、より入念にフェンス越しに中を見たのである。その彼が言った。
「その時、何かいつもと変わったことは全然気付かなかったですね」
「遺体の一部とか、靴とか、血痕とか、そういうものは何も見ませんでした」
「匂いとかも気付かなかったですね。・・・金ノコの切り屑とかも気付かなかったです」
 遺体切断の場所とされている基地内のコンクリート部分は目の前三メートルほどの所である。

7頁/アンテナ基地写真・見取り図

「自供」のとおりA少年が淳君の遺体をここに運び込みコンクリートの上で切断したのなら、たとえ遺体は床下に隠されていて見えなかったとしても、相当の血のりが残っていたはずであり、家田係長らの目にとまらないはずがないのである。
 また、今年の暑い5月末の気候のもとで殺害後三日が経っている切断された遺体が屍臭を漂わせないはずがないのである(5月24日=22.5度、25日=21度、26日=22度、27日=20.7度と、この四日間のこの地方の最高気温は---神戸気象台の記録によると---いずれも20度を上まわっている)
 その前日の26日も同様である。PTAの捜索でケーブル基地まで行った友が丘8丁目の主婦3人は異口同音に「フェンス越しに中を見たけど気になるものは何もなかった」と語っている。
 淳君の遺体を切断した場所が基地内のコンクリートの上などということは、絶対にありえないのだ。

捜索のまっただ中で遺体の切断ができるのか?

 そもそもA少年がその日の午後にアンテナ基地で遺体を切断したとされている25日は、淳君の大がかりな公開捜査が行なわれており、タンク山には午前中から警察犬を連れた警官や住民が入っていた。
「タンクの脇から迂回して登っていくと薮の中を警察犬を連れた鑑識のような格好をした人が捜索をしていた」
 友が丘8丁目に住むSさんはこのようにわれわれに語った。
 しかも、淳君の通う多井畑小学校の先生たちやPTAの役員も付近を捜索していた。さらに日曜日ということもあり散歩で山に入る人々もかなりいたという。
 このような大がかりな捜索のまっただ中で、警察犬まで出動している中で、しかもまっ昼間に、だれにも目撃されることもなく、南京錠を切断し、40キロあまりの淳君の遺体を運び入れ(一人で?)遮蔽物のないアンテナ基地のコンクリート部分でそれを切断するなどということが、どうしてできるというのであろうか。
 明らかに、遺体の切断場所はアンテナ基地以外の別の場所なのである。
 このように警察のいうA少年によるタンク山での淳君殺害・遺体切断の筋書きは矛盾だらけなのだ。
 ところで、今回の事件が殺人・遺体切断・遺棄という大事件であるにもかかわらず、警察は、淳君殺害の時刻、南京錠を切断して遺体を基地に運び入れた日時、遺体を切断した時刻などを、今なお明確にし公表することをしていない。
 だから警察のリークにすがるにすぎないマスコミ各紙の報道の内容もまっぷたつの有様なのである。たとえば「読売」「産経」は、「24日は遺体は草むらに置きっ放し。25日に南京錠を切り遺体を基地内に運び入れて切断」と報道し、「毎日」「東京」および「共同通信」は、「24日に殺害後鍵と金ノコを手に入れ、再び山に戻って基地内に遺体を入れ、25日に切断」と報道する、というように。
 なぜ警察は、事件の詳細をあきらかにしようとしないのか? その理由はおそらくこうである。
 24日の午後2時20分頃に北須磨公園で淳君が目撃されていること。また同日午後4時30分頃にA少年と友人がレンタルビデオ・ショップで会っている事実があること。これらのことからすると、警察は、「24日は殺害しただけ。南京錠を切り遺体を基地内に入れて切断したのは25日」という筋書きを描くしかなかった。
 しかし他方、25日の午前中には警察犬まで出動して“山狩り”のような捜索が行なわれており、基地のすぐ近くまで行った警察犬と警官が、草むらに放置された淳君の遺体を発見できなかったとするのは、いかにも無理がある。そこで警察は、「A少年は24日中に南京錠と金ノコを手に入れ、再び山に入って基地内の床下に遺体を隠した」というストーリーを作らざるをえなくなったのである。---24日の一日だけでA少年が、山を二往復し、<淳君殺害---南京錠を切る道具と新しい錠の万引き---錠の切断と遺体の基地への運び入れ>のすべてを行ったことにするために、公園付近での淳君目撃の情報は握り潰し、また殺害の時間も司法解剖結果ギリギリの午後二時頃にまで早めて。
 そして「A少年の思いつき的な単独犯行」というストーリーを捏造するのに四苦八苦しているからこそ、A少年の家庭裁判所への送致にあたって検察が公表した「事件の経緯」では、殺害・遺体切断・遺棄などのすべてにわたって「午前」「午後」「未明」などの大雑把な表現でゴマかさざるをえなかった、というわけなのだ。
 “あちらを立てればこちらが立たず”---A少年を犯人に仕立て上げるために、嘘八百を並べ立てデタラメな事件の筋書きを描いてきた警察は、しかしそうすることによって完全に自縄自縛となってしまっているのだ。

   
警察発表の「物証」にはこれだけの疑惑がある

しどろもどろの県警の逮捕後記者会見

 6月28日、兵庫県警は小学生惨殺事件の犯人としてA少年を逮捕した。捜査本部はこれに前後して数回にわたって少年宅の家宅捜索をおこなった。そしてマスコミを使って、少年の犯行を印象づけるために、数多くの「押収物」が発見されたかのようなキャンペーンをはりめぐらせた。
 しかし、捜査本部が公式に確認した押収物は逮捕時の記者会見で記者にその「刃渡りは何センチか」と聞かれてしどろもどろになったナイフだけである。
 あきらかに捜査本部は6月28日の時点では、少年の「犯行」を裏付ける物証が何一つないことがみえみえだったのであり、このことにいらだちを感じていた。にもかかわらず、彼らは、あたかも少年の「自供」が信用に足るものであるかのように押し出すために必死になりはじめたのである。それが、マスコミを使った情報操作なのである。
 まず少年の逮捕の根拠とされている凶器のナイフについてである。
 まず「サバイバルナイフを含む三から四本、そのうち一本からルミノール反応がでた』(『週刊文春』7月10日号)という報道がされた。このナイフについては、その後「サバイバルナイフなどの血液反応を調べたがいずれも淳君事件と無関係だった」(『東京新聞』7月5日)という報道がされた。そしてこんどは、この報道を打ち消すかのように、 さらに「自宅から押収した大型ナイフに付着した血痕が淳くんと同じO型と分かり、県捜査本部は淳くん遺体切断に使われた凶器と断定した」という報道がなされた。
 このナイフの血痕と同様にうやむやにされた押収物なるものは次のものである。
 1 「第二犯行声明文」の封筒の裏側についていた赤いビニールテープ。犯行声明文と同じ文言が書かれた下書き用のとみられるワープロ用紙(「毎日新聞」6月29日)。
 2 「遺体切断時に浴びた血のついた衣類を押収、犯行当日はこの衣類を着ていたことを認める自供をした」(「毎日新聞」7月4日)
 3 さらに「13日の金曜日」をはじめとするホラーヒデオと、ゾデアック事件に関するしょせき、『わが闘争』をはじめとするナチズムの本など。(各紙)
 このことは少年の自宅へのたび重なる捜索にもかかわらず、少年の犯行とこじつけうる「物的証拠」といえるものがまったく押収できないなかで、捜査本部はあたかも少年の犯行であることを示す「物証」があるかのような情報操作に四苦八苦していたことを示しているのである。

金ノコは凶器ではない

 少年の逮捕。九日間にわたる須磨警察署内の密室での取り調べ。にもかかわらず「自供」を裏付ける証拠を何一つ公けにすることができなかった捜査本部は、7月6日、テレビカメラや新聞記者を並べて、向畑ノ池の捜索を大々的に繰り広げた。少年が遺体切断後、(イ)犯行に使った金ノコと (ロ)アンテナ基地入り口にあった古い南京錠と (ハ)掛け変えた南京錠の鍵をこの池に捨てたという「自供」があったなどといいながら。
 そして、兵庫県警は7月6日にテレビカメラの放列の前で向畑ノ池から金ノコを引き上げてみせた。マスコミは遺体を切断したのは金ノコであると大々的に報道した。捜査本部は少年の「自供」どおりの金ノコが発見されたなどとキャンペーンし、それをもって少年の「供述」の信頼性が実証されたかのような情報操作をおこなったのである。
 もちろん、捜査本部はこれについての評価を正式には明らかにしてはいない。これはいったいなぜなのか?
 それは、捜査本部が正式にコメントしたのならばこの金ノコが犯行に実際に使われたものかどうかを立証しなければならなくなるからである。すなわち当然にもこの金ノコに被害者の血痕が、そして加害者の指紋がついていることを証明せざるをえなくなるからである。
 さらにこの金ノコで南京錠を切ったのであれば、南京錠のしんちゅうの金属屑が付着しているはずである。いやそもそも、金ノコで南京錠を切るさいにアンテナ基地の入り口地面のうえに撒き散らされる金属屑がまったく発見されていないのはどうしたことなのか? この金ノコで首を切れば刃の間に残ったしんちゅう粉は遺体に付着しているはずではないか? なぜこのような科学的鑑定がなにひとつ発表されないのか? このようにつぎつぎと湧きあがる疑問に警察は答えなければならなくなる。しかし、この数々の疑問にかれらはまったく答えられないのだ。
 このことを明らかにすることができないからこそ彼らはこの金ノコが、少年の犯行に使われた凶器であると発表できないのである。

◆こんなに変わった犯人像と手口◆
【犯人像】
年齢 黒いポリ袋を持った
三-四〇歳代の男
→ 一四歳の中学生
人数 車を使用した複数犯→ 単独犯
【犯行の手口・凶器】
計画的な犯行→ 衝動的場当たり的犯行
殺しのプロの手口→ 「切ってみよう」と思いついて
電動ノコギリで切断→ ナイフと金ノコ
【犯行の場所】
殺害 タンク山以外の別の場所→ アンテナ基地近く(五月二四日)
遺体切断 アンテナ基地以外、
胴体部のみ運び込む
→ 基地のコンクリートの上
  (五月二五日)
【頭部遺棄】
時間 神戸新聞配達員がみていないと証言した五時一〇分以降→ 五月二七日午前O時に起きだし
  午前一時から三時の間に
場所 壁の上から校門プレートの下、さらに鉄製門扉の中央に → コンクリートの壁の上に置こうとしたが落下、鉄製門扉の中央に置く。その後移動なし
【南京錠の切断】
大型のボルトクリッパーを使用→ 金ノコを使用
連休前に交換→ 殺人の後に万引きして交換
【犯行声明文の投函場所】
神戸西局管轄内のポストと断定(消印に戸または中と読める一字がある) →菅の台の郵便局前のポスト(須磨北周の集配で消印は須磨北)
【動機】
「義務教育と社会への復讐」 →少年に体罰をおこなった学校への恨み
 →ホラーマニア
  →祖母の死を契機に死に関心

ナイフと金ノコでは遺体のような切断面はできない

 捜査本部の対応は金ノコ発見にまつわる異常さだけではない。犯人が残していった他の物的証拠との関連からしても、この少年の逮捕後に新たに発見された凶器なるものは決して犯行に使われたものではないことは明らかであった。
 遺体の切断面は当初の報道では次のようにいわれていた。
 遺体解剖をおこなった神戸大学の法医学の教授の所見は「鋭利な刃器で切断」と報道されていた。またこの遺体の切断面をみた捜査関係者は「ギザギザになることなく、一様に切断されている」ことから、「電動のこぎりを使った過去の事件の切断面と酷似していた」といっていると報道された(「毎日新聞」5月29日夕刊)。
 また他の捜査関係者のはなしとして「首は第二頸椎のほぼ真ん中を真一文字に切断されていました。切断にさいしては失敗のあとがない。何のためらいもなく、ズブッと一気に切ったんでしょうね」といわれていた。(『週刊文春』6月12日号)
 このようにいわれていたことからして、遺体を切断したときに使った凶器だと強弁されているナイフと金ノコによっては、あのような切断面はできるはずもない。このことを確信した私たちは小学生の遺体解剖をおこなった神戸大の法医学教室をたずねた。
 わたしたちの「切断面から使った凶器はわかるはずでしょう」という質問にたいして、
「わたしは一般論をいうだけですから」、といいながらU助教授は口を開いた。
「あくまでどのような刃器でできたのかというのは推定でしかないから、この傷はこの凶器でできますかという質問にこたえられても、どんな凶器だという質問にはこたえられない」と。
 そして、「ギザギザではなく、一様であった(「毎日新聞」6月28日朝刊)といわれている小学生の遺体の切断面がナイフや金ノコをつかってできるはずがないでしょう」というわたしたちの質問にたいして、U助教授はつぎのように語った。
「押したらだめです、引くだけ。このあたり(首)は皮膚と筋肉なんだから鋭い刃物で思い切ってさっと引く、そうすれば切断面はきれいにいく、これが無理だったら当然ギザギザになる。骨は鋸で切れる。しかし人間の首を切るのを練習しているわけじゃないから当然切断面はギザギザになる」と。
 U助教授は、ギザギザにならない一様な切断面をつくるような遺体の切断は一定の長さの刃渡りの鋭い刃物をつかった経験をつんだ人間の冷静な犯行以外にはないということを問わずがたりにしめしたのであった。

南京錠がなぜ発見されなかったのか?

 金ノコと一緒に、切断したアンテナ基地の南京錠と取り替えた新しい南京錠の鍵のふたつを池に捨てたと少年が供述したとされていた。しかし、古い南京錠と新しい南京錠のカギを発見できないまま、突然、捜査本部は池の捜索を打ち切った(7月13日)。
 民家10軒分ぐらいの面積の小さな池を8日間大々的に捜索してもなお発見できないということは奇妙なことである。しかも池に投げ込んだとされる三つの物証のうちたったひとつだけ発見して、「これで立件は可能と判断した」などといいながら捜査をうちきることは、まったくもって奇怪なことである。
 では何故、このような奇怪なことを、捜査本部は行なわざるをえなかったのか。
 それは、もし古い南京錠を池から発見したならば、南京錠のその切断面から金ノコではなく、ボルト・クリッパーで切断したことが歴然としてしまう可能性があるからである。しかも、新しい南京錠にスリカエてさもさもスタイルでこれを「物証」として押しだしたならば、ケーブルTVの管理事務所で所有している南京錠のキイと合致しないことで、このスリカエが発覚してしまうからである。だからこそ捜査本部はこの池の捜索を、古い南京錠と新しい南京錠のカギを発見しないまま終らせざるをえなかったのである。
 これは少年が犯人ではないということのひとつの証拠なのである。
 ちなみに、われわれが調査したところ、向畑ノ池のまわりに縄張りが張られ警官が配備されたのは、なんと捜索開始(七月六日)前日の夜八時になってからであり、凶器を「池に捨てたと少年が自供」という報道が流された七月一日以降も、池は「立入禁止」にされることもなかったのである。向畑ノ池を捜索する警察の"真意"が「供述通りの凶器発見」劇を大々的に演出することにこそあったということを、右のことは示しているのだ。

犯行声明の投函場所を示す消印を抹殺

 権力は物証の捏造を公然と行ってさえいる。捜査本部は当初、神戸西郵便局内のポストで投函されたとしていた「第二犯行声明」の投函場所を、その後菅の台郵便局の前のポストであると流しはじめた。
 神戸西局と判断された理由は、犯行声明が入っていた封書には、集配局名を示す消印の一字が入っており、「戸」もしくは「中」と判読されるということからであった。また封書を目撃した局の職員の証言などからも、神戸西局と断定されていたのである。しかも目撃されたその郵便物の集配の時間帯から、投函場所は西局のあるその近くのポストから投函されたとまで推論されていた。
 みずから発表してきたこのような物証や証言がまったくなかったかのようによそおいながら、捜査本部は投函場所についての見解を菅の台郵便局と変更しなければならなかった。
 それはいったいなぜなのか?
 A少年が神戸西郵便局管内のポストにいくためには、直線でも10キロの距離を往復しなければならないのであり、警察はこのことを立証せざるをえないからである。電車で往復するとしても一時間以上の時間が必要になる。このような時間的余裕が6月3日当日のA少年にはなかったに違いない。だから逮捕直後は友人に投函を頼んだなどという警察情報が流されていたのである。
 捜査本部はA少年を犯人に仕立てあげるために、すでにあきらかになっている物証や目撃証言をさえも次々と覆し、闇に葬り去ったのだ。

 A少年を犯人ときめつけてみせる警察権力の理由づけは、"小学生惨殺に使用した凶器がA少年の自供した通りの場所から見つかった"という、ただこの一点にすぎない。
けれども、池から仰々しくひきあげられた金ノコが実際に犯行に使われたという証拠などはどこにもなく、スリカエのきかない南京錠だけは出てこない。またもしもA少年が犯人であるとするならば当然持っているはずのものは、何も見つかってはいない。そして犯人が別人であることを示す物証は次々にもみ消されでいっている。……
 もはやあきらかではないか---何の物証もないままにA少年を逮捕し、この少年の「自供」通りに「物証が出た」から「A少年が犯人」とうそぶいている警察権力のこの手口こそは、まさに冤罪でっちあげの手口そのものにほかならないということが!


「犯行声明」を書いたのはA少年とは別人だ!

 小学生惨殺事件の犯人は、中学校の校門に殺害し切断した小学生の頭部を置き、この口に警察への挑戦的なメッセージを書いた紙片をくわえさせ、また「第二犯行声明」を神戸新聞社に送りつけて犯行の意図を明らかにした。

二転三転した「犯行の動機」と犯行声明

 この酒鬼薔薇聖斗を名乗り、「国籍がない」「透明な存在」などと称した犯人のふたつの「犯行声明」にしめされたものは、1「愚鈍な警察諸君」への嘲笑、2「透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐」、3「汚い野菜共には死の制裁を」という社会的弱者への蔑視とこれへの殺意、などの政治的意図を込めたメッセージであった。
 このような文面から浮かびあがってくる犯人像は、警察にたいしてだけではなく、義務教育にしめされる社会的平等を理念とした教育や社会制度への敵意に満ちたファシスト的な人間である。このような犯人像と「人を殺害してみたいという欲望」をみたすために弱いものを無差別的に襲った少年という警察のつくったA少年の像とはまったく違ったものである。
 しかし、少年が逮捕された直後、「犯行声明」の内容とA少年とを結びつけるために、少年の「供述」や「友人の話し」などからA少年が犯行に突き進んだ背景と動機について、つぎのようなことが真実味をもって語られた。「少年は級友を殴り前歯を三本も折る暴行事件を引き起こし、生活指導の教師にこの件で殴られ、学校にくるなといわれたと供述している」と。また同級生は、少年が事件の直前に「学校に行けない。学校に復讐する」と語っていたと。だから少年は学校や教師への恨みをはらすために、小学生を殺害し遺体の一部を校門に置き、「学校殺死の酒鬼薔薇」という挑戦状をくわえさせたのだ、と。
 わたしたち真相を究明する会の現地調査団も、少年が不登校になった背景にはこのような事実があったのだろうと思ったほどである。ところが「犯行の引き金になった体罰」という「事実」はわたしたちも参加した七月四日北須磨団地自治会館で開かれた友が正中学校校長の記者会見で、あっけなく崩れさった。
「少年への体罰はなかった。学校にくるなということも言わなかった」という校長にたいして、「少年の供述」という警察情報を盾に、一〇〇人ぐらいの記者が「少年を犯行に走らせた引き金は学校の体罰だ」と一斉に校長を吊るしあげた。
 だが校長が、「中学生が体罰についてどのように供述しているかわたしには直接聞く機会がないからわからない。また捜査本部は体罰をうけたという少年の供述があったとは言っていません。本当にそう供述しているのですか」と逆に問いかえすと、記者たちは沈黙し、騒然としていた会場は一変して静まりかえった。そして、「警察は体罰があったという供述を学校にいっていないのですか」という眩きを記者たちが二、三回繰り返して記者会見はおわりになった。
 わたしたちは、記者たちの警察情報への盲信ぶりに驚いた。警察の情報操作にのせられて勝手なストーリーをつくり、校長の反論にはまったく耳をかさなかった記者たちは、校長が喋った警察情報をきくや、まったく反論できなくなってしまったというわけなのである。
だが、この記者会見であきらかになったことは、警察情報に群がる記者をつかって捜査本部は、「体罰があった」という嘘の供述を流し、「学校への復讐」というA少年の「犯行の動機」をデッチあげ社会的に浸透させたということなのだ。
 しかしこの校長の記者会見以後、「学校への復讐のため」という少年の犯行の動機のもととなった「暴行」「体罰」という虚構が崩れてしまった。
 そこで捜査本部が流布したのがホラーマニアの少年が映像の世界だけでは満足できずに、実際に殺したいという衝動が芽生え、その衝動のままに人間を殺してしまったのだという物語であった。
 しかしこの物語も馬脚をだした。少年の再逮捕時の記者会見で(7月15日)、「ホラービデオの『13日の金曜日』のビデオや連続殺人犯ゾデアックを紹介した書籍を少年の自宅から押収」という事実はなかったと捜査一課長が自白することによって、その物語は否定された。こうしてこんにちでは、少年は現実と妄想とが区別できない精神障害に陥っているとか、「祖母の死を境に、死に関心をもち」「小動物の殺害を楽しむようになり」「さらに人を殺害したいという欲望にエスカレートした」(7月25日、神戸地検の記者会見)とかというように、少年の異常性格に犯行の動機があったという見解を流している。
 しかしこうすることによって、神戸地検は、わざわざ校門に頭部を遺棄したことに象徴され、またそれにくわえさせたり報道機関へ送付したりした「犯行声明」に刻みこまれていた「義務教育への復讐」とはまったく関係なく、「少年が犯行声明を書いたのは、大人のしわざに見せかけるための撹乱手段だった」などと強弁しないわけにはいかなくなっている。

犯行声明は中学生に書けるのか

 神戸新聞社に送られてきた「第二犯行声明」について評論家の立花隆氏は次のようにいっている。
 「あれだけの文章が書ける人間は、大学生にもそうはいない。語法には若干問題があるが、ほとんど正しい。レトリックも使いこなしている。そして何より文章が論理的に展開されている。ある主張をするときには、その前後に理由づけをちゃんと付け加えている。」(『週刊現代』6月28日号)
 また社会評論家の芹沢俊介氏もつぎのようにいっている。
 「感じるのは、筆者は自分の文体を持っているなということだ。そして大変、論理的だ。『透明な存在であるボクを造り出した義務教育……』というくだりは、論理の抽象度をよく知っている書き方で、抽象度の高い文体の持ち主といえる。」(「産経新聞」6月9日夕刊)
 「文章がなによりも論理的」(立花氏)で「論理の抽象度をよく知っている書き方」(芹沢氏)といわれるこの手紙を、中学生に書くことができないことはあきらかなのだ。
 しかし、少年を犯人にでっちあげるために捜査本部は、少年がホラービデオや劇画などのパッチワーク(つぎはぎ)で書いたなどと流している。しかしこのストーリーもまた崩壊した。7月15日の少年の再逮捕時の記者会見で「ホラービデオの『13日の金曜日』のビデオや連続殺人犯ゾデアックを紹介した書籍を少年の自宅から押収」という事実はなかったということによって、少年はパッチワークのための素材すらもっていなかったことがあきらかになったからである。
 神戸新聞に送られた「第二犯行声明」をこの少年が書いたはずがないということは、いまや誰の目にもあきらかではないか。

「犯行声明」に使用した材料はどこへ?

警察は押収した少年の日記やノートの筆跡を公表しないばかりか、その筆跡鑑定についても隠蔽している。
 神戸新聞社に送られてきた「犯行声明」には、特徴ある書き癖がある平仮名が記され、また、特定の漢字について誤記や特異な形状の文字の使用が際立っている。
 後者については、それは外国の特定のパソコンに装備されている日本語ワープロの表示画面の字体を写したことによると推論しうる。また、遺体の口にくわえさせていたのはワープロ用紙であったといわれている。
 これらのことから、犯人はワープロやパソコンの使用者であること、「犯行声明」の下書きに特定のパソコンを使用したことは、明白な事実である。にもかかわらずパソコンやワープロ用紙は、少年の自宅からなにひとつ発見されていない。このことからしても、「犯行声明」を書いたのは少年でないことはあきらかなのである。
 そしてこんにちでは警察は、「少年は国語辞典を使って犯行声明を書いた」などと盗っ人たけだけしくうそぶいているのだ。
 そればかりではない。「第二犯行声明」の発送にかかわる物証として捜査本部が発表してきたものはどうなったのか? 切手に消印をつけないために吹き付けたというコーティング剤は少年の自宅から出てきたのか? 封をするのに使用した特殊な製本用の赤いテープはどうなったのか? 「第二犯行声明」の投函場所をしめす封筒にのこっていた集配局の消印などははじめからなかったかのように、少年の逮捕後は警察は沈黙しているではないか?
   権力はふたつの「犯行声明」を書いたのが少年とは別の人間だということを実証する数々の証拠を、すべて意図的にかくしているのは、あきらかではないか!

 『週刊文書』(七月二四日号)のあるコラムで高島俊男氏は神戸新聞社に犯人が送った手紙について、「少年の手紙?」と題し次のようなみかたをしている。(以下引用します)
少年の手紙?

…はじめテしビを見て感心(?)したのは封筒の表書きである。タテ長の封筒の上の方に横書きでまず『神戸新聞社』とあり、その下に所書きが書いてある。……へえ、英語の手紙みたいだな。近ごろはこんなふうにまずズバリと相手の名前を書<のがはやるのかな、と思った。

……次に『神戸新聞社』の『戸』の字が珍しい。ふつうわれわれがこの字を書くときは、まずチョンを書いてその下に『尸』を書く。しかるにこの封筒表書きでは上がチョンではなく『一』である。しかもその一が下の目」よりも横幅が長い。新聞を見ると活字はまさしくそうなのである。……

……『酒鬼薔薇』の『鬼』の字。われわれはふつうこの字を書く際、まず『ノ』を書き、ついで下の部分を書く。しかるにこの手紙ではノのかわりに字の中央にごく短いタテ棒がついている。つまり字の上半分が『由』になっている。これも印刷字体ではそうなのである。
……また『愚鈍な警察諸君』の『君』の字。上部の横棒がはっきり横に突き出ている。……もともとの活字体ではすべて横棒が外へ突き抜けている。手書きの字ではまずたいてい出ない。……手書きでありながら字体は印刷文字であるものを急に見せられると、妙な字を見たように感じるのである。……

 このような高島氏のみかたからすると、この手紙はふだん日本語を書いていない英語圏の人が、活字を見ながらレタリングするように写して書いたものだということになる。

産能大教授・安本美典氏の指摘する筆跡の違い

筆跡鑑定の専門家である産能大の安本美典教授(言語心理学)は、次のように語っている。

「学校前に置かれた挑戦状あるいは神戸新聞社に送られてきた声明文と少年の小学校六年生の時の作文の筆跡ははっきり違っている〔下表参照〕。テしビなどで放映されている筆跡鑑定は似た字だけを取り出している。しかし活字に近い字は誰が書いたって似る。本当は筆跡鑑定はその人独特の癖みたいなものを取り出さないといけない。小六から中三までの三年でそんなに筆跡が変わるかどうか、非常に疑問である。私は少年が事件に関わっていた可能性はなお否定しえないが、疑問を暖昧にすべきではない。」

安本教授の指摘する筆跡の違い

犯行声明と手紙

特徴的な字

特定のパソコンのフォントを使用・・・


権力の陰謀

   神戸事件の背後に潜むもの

 「え、こんなに近いのか」アンテナ基地のフェンスから中を覗いたときの驚きは今も忘れない。5月24日から27日にかけて小学生の遺体が置かれ
ていたという建物の床下まで、距離にして三メートルあるかないか。そして、5月25日午後、A少年が頭部を切断したと報道されているコンクリート部分は、わたしたちのすぐ眼の前にあったのだ。
 「こんな丸見えのところで真っ昼間に?」「警察犬まで出て捜索しているただなかでだよ」
 「ここで切断したのなら、その痕跡が残らないはずがないじゃないか」
 「胴体部を動かせば血痕も点々と着いたはずだ」
 「付け替えられた南京錠やこの金網に、指紋がひとつも残っていないなんて」……
 現地に来て最初にタンク山を訪れたわたしたちは、アンテナ基地を目の当たりにして、ここでA少年が小学生の遺体を切断したなどということはありえない、と確信した。警察は偽りの情報を流している---洪水のような報道の中に隠されている事件の真相を暴き出すために、わたしたちは調査を開始した。

権力のもみ消し工作

 「マスコミには何も話したくない」と一様にマスコミの取材への不信を口にしていた北須磨団地の人たちは、私たちの訪問の意図を告げると、こころよく話に応じてくれた。
   団地自治会の役員、小学校・中学校のPTA役員、そしてケーブルテレビアンテナ基地を管理している家田さんたち・・・。多くの住人から、5月24日から26日・27日にかけてのタンク山での淳君捜索状況を詳しく伺うことができた。
 25日警察犬をもつかっておこなわれた大々的な捜索はやはりアンテナ基地の回りでもおこなわれていたこと、警察だけではなく自治会の人々もアンテナ基地の中を覗いていること、これらの貴重な証言を聞いて、わたしたちはますます確信した。淳君の遺体が5月24日午後にアンテナ基地内の草むらに放置されていれば見つからないはずがない。そして25日午後に遺体がコンクリート部分で切断されていれば25日、26日と現場を捜索していた住民やPTAの人たちが気付かないはずがない。当初アンテナ基地で抱いたわたしたちの疑問はまったく正当だったのだ。
 中学校の校門前で未明からおこなった調査では、5月27日当日に「黒いブルーバード」を目撃したパンを配達しているトラック運転手Bさん---いつも同じ時間帯に毎日同じ道を通っている---から決定的な証言を得ることができた。「あの日・あの時間帯に、これまで一度として見たことがない『黒いブルーバード』が停車していた」(Bさんの話)というのはまぎれもない事実のようだ。そして、Bさんが目撃した「茂みにかくれるようにしゃがんでいた三〇代から四〇代の男」、淳君が行方不明となった翌日で頭部が置かれる二日前の「25日に現場に居た二人連れの男」。これこそ、淳君を殺害し・頭部を切断して校門に置いた真犯人に違いない。
 この決定的な情報も、少年の逮捕とともに警察によってなぜかもみ消されてしまった。捜査本部の流す情報のままに、マスコミはこの「三〇代から四〇代の男」を「事件とは無関係」などと報道しはじめただけではない。彼らは「誤った情報の一人歩き」などとまったく無責任な「反省」までおこないだしたのだ。なんと驚くべきことに「"逮捕されたのが少年であったから"……」、このことを唯一の理由として。だがこれこそ、真犯人を押し隠すための警察の情報操作にマスコミがまんまと踊らされているということではないのか。
 トラック運転手のBさんにさらに詳しい話を聞こうと私たちはBさんの会社を訪問した。すると会社の役員の人たちは私たちの訪問を拒否したばかりか、Bさんとの二度めの面会も拒否したのだ。27日当日「黒いブルーバード」を目撃したタクシードライバーのCさんも、「警察に口止めされていますから」と固く口をつぐんでしまった。Cさんの怯えた表情のなかに、"真犯人を見た"という目撃を葬り去ってしまおうとする権力のどす黒い姿が浮かんでくる。わたしたちは事件の背後にある黒い闇の一端をかいま見、わき起こる憤りをおさえることができなかった。

少年法をたてにした警察の情報操作

 「A少年は三つの事件で家庭裁判所に送致されるしという7月25日の新聞記事を読みながら、わたしは小学生惨殺事件の全体構造を改めてふりかえってみた。
 A少年が真犯人ではないといえる数々の事実が明白になったにもかかわらず、権力は強引に少年を「犯人」にしたてて事件の幕をひきおろそうとしているかのようである。この謀略的権力犯罪をどうして許すことができるだろうか。
 家裁への送致にあたって神戸地検がおこなった記者会見でも、検事は事実認定の核心的なことがらをなにも明らかにしようとしなかったし、また明らかにすることができなかった。検事が「犯行の動機」は、学校への恨みでも・家庭環境でも・ホラービデオでもない、「祖母の死をきっかけとした死への関心だった」などとことさら強調するのは、盗人猛々しいというものではないか。それらが犯行の原因であるかのようにさんざんマスコミにリークして報道させてきたのは兵庫県警じしんではなかったか。
 警察権力にとって都合の悪い情報は少年法の精神を尊重しているふりをして徹底的におし隠し、その反面でA少年が犯人に間違いないことを印象づけるために恣意的情報をマスコミにリークして報道させる---これがこの神戸事件で兵庫県警がおこなってきた情報操作の手口ではなかったか。「極端な秘密主義」(産経新聞)「県警のミスリード」(毎日新聞)という記事は、この一端をついているともいえる。
 じっさい、捜査本部がおこなった公式の記者会見は、6月28日夜の「少年逮捕」のときと、通り魔事件での再逮捕のときの二回しかない。それもわずか5分と10分の会見で、山下捜査一課長は記者の質問にもほとんど応じられなかった。
 それでいて、「少年が○○と供述した」とか、「ナイフの血液型が一致した」とか、はては「通り魔事件を記した犯行日記」とかというものまで、A少年を「犯人」と思わせるための移しい偽りの情報を兵庫県警はマスコミに流した。
 これらすべては非公式の発言であり(マスコミを"ミスリード"してもなんら責任は問われないもの)、"夜回り"を受けての意図的なリークにもとづくものなのだ。私たちが現地で会った新聞記者が語っていたように、「捜査本部は少年法をたてにして何も情報を公開しない。だから、"記事をつくれない"」。マスコミ各社は、リーク情報にすがらざるをえない。それが"誤報"の温床となることを知りながら……。
 A少年が送られる家裁での少年審判は非公開であり、警察や検察の調書が公開されることはない。このことにこそ、事件当時十四才の少年が犯人に選ばれた大きな理由があるに違いない。

新たなファシズムに抗して

 5月27日に淳くんの頭部が友が丘中学校の正門前で発見されていらい、マスコミのセンセーショナルな報道で日本中は埋めつくされた。しかも「犯人」として中学三年生が逮捕されていらい、事態は危険な方向に急転回している。
 十六才未満の少年には刑事罰が適用されないことを少年法の不備としてあげつらい、厳罰化を求める主張が一部政治家・マスコミからあがっている。法曹界でも、「概ね少年法は適正に機能している」(日弁連)という声が大半であるにもかかわらず、"犯罪防止"と"厳罰化"を直結させようとする動きは危険なものを感じさせる。
 また、少年の「犯行」の原因が「学校への恨み」にあるかのような報道が氾濫するなかで、中学三年生へのバッシングがおこなわれ、「心の教育」の必要性などということが文部大臣によってまことしやかに語られはじめた。だがこれも、現に教育現場で苦労している教師がどのように健全な少年の育成に力を注いでいるかという努力をまったく無視したものでしかない。
 本当に危険なのは、警察がいうように少年の「犯行」なのかどうかを冷静に検証することもなく、虚偽の警察情報に踊らされて様々な情報を流し続けたマスコミの現状である。そしてそれを無批判的に受け入れている社会的状況にこそあるのではないだろうか。
 淳君の遺体が発見された5月27日は、ちょうど第一勧銀の元頭取が逮捕された日でもあった。第一勧銀および野村証券という日本の金融中枢をめぐる疑獄は、政治家・官僚そして闇の世界と深く結びつき・その暴露じたいが権力抗争の所産でもある。日本中を震憾とさせた神戸小学生殺害事件は、これら一連の疑獄から社会的関心耳目をそらすための格好の手段となったに違いない。
 また、この事件をめぐるマスコミの狂騒のなかで、特措法改悪も、事実上の安保改定である日米ガイドラインの問題も、ほとんど焦点にもならずに危険な方向へと事態は進んでいる。JRの防護無線を使った列車妨害の頻発(一九九六年春いらい)、一見すると意味不明の「CAF」の絵文字などJR沿線で全国に広がった落書き(九七年三月から四月)---。実行犯の姿を見せないこうした謀略的犯罪も頻発している。
 グリコ・森永事件や朝日新聞阪神支局銃撃事件など、奇怪な事件が起こるたびに、国家権力は肥大化し、労働運動やジャーナリズムは抵抗する力と批判精神を失い、体制内にとりこまれてきているかのようである。
 とりわけこんにち、テレビ・新聞・週刊誌などによる情報の氾濫とインターネットをはじめとする新たなメディアの発達のなかで、権力による情報操作はいっそう危険な様相を呈している。

 労働者・市民・知識人のみなさん。
 いまこそ真実を見抜く力と批判精神を発揮し、神戸小学生惨殺事件の真相を暴きだそうではありませんか。
 私たちはこれからも、事件の背後に横たわる巨大な闇を照らし出し、謀略的権力犯罪を断ち切るために奮闘する決意です。


マスコミの批判精神はどこへ?
   現地調査に参加して

民間労働者(35歳)
 私たちの現地調査によって、事件そのものや中学生逮捕についての矛盾や疑惑がいっそうはっきりした。私が現地調査に参加して強く感じたことは、マスコミで報道されていることと、現地でつかんだ事実とはまったくちがうということであった。
 マスコミは、中学生逮捕以来、警察情報にしたがってあらかじめA少年を犯人としてきめつける報道を連日くりかえしくりかえし洪水のように流しつづけてきた。犯行の動機の裏づけについても物証についても「自供」そのものの内容についてもはっきりしたものは何ひとつない。にもかかわらずマスコミ各社は競いあって、警察がリークした非公式情報を報道しつづけてきたのではないだろうか。
 こうしてA少年犯人説は、動機や物証や自供についての裏付けが捜査本部から何ひとつ公式に発表されないままに、「捜査関係者の話」というかたちでマスコミによって社会的に印象づけられた。それは日本中の人々の意識に、いわゆる中学生犯人像の"刷り込み"をおこなうかの如き役割をマスコミが果たしたということだ。
 私が現地で接した記者たちの取材活動は、そのようなマスコミの報道内容を生みだすものであった。というのは、現地取材にきた記者たちは、警察の公式発表が逮捕時および再逮捕時の二回の記者会見以外に全くない中で---つまり警察は報道統制を徹底しでおこなった---警察からの情報をなんとしてでも取るために、捜査員らの自宅回りに精力を注ぎこんでいた。捜査員がもらす(リークする)断片的な情報にとびついて、A少年の犯人像を次々と描きだす、という記者活動を連日連夜おこなっていたのが彼らであった。
 彼らは、警察情報の裏を取るための努力を怠り、ただただそれを鵜呑みにして「事実」とみなしている。しかも自分の足で数人の目撃者に取材した内容も、自分の頭で考え判断するというジャーナリストとしての当然なすべき主体的な態度を失って、警察の判断を盲信しそれを打ち消しているのだ。「目撃証言の限界性」と称して。
 たとえば、「四〇歳前後・身長一七〇センチの黒いゴミ袋を持つ男」については複数の目撃者が存在し、一時はマスコミも報じた。けれども、この情報を警察がA少年の逮捕を区切りに無視するや、マスコミは"警察で裏の取れない目撃証言"として、その信用性を疑い、打ち消してしまったのである。
 私が現地で見た記者たちは、「警察を信用しなければ取材すらできない」と平然と語っている。このような考え方を当然視しているがゆえに中学校の校門のどの位置に頭部が置かれていたのか、ということすらもつかもうとはしなかった。警察情報がつじつまのあうものなのかどうか、現実はどうなっているのか、ジャーナリストであるならば当然なすべき自分自身の眼で真実を見極める努力を、彼らはいっさいしていないのだ。マスコミが警察情報を盲信し、それに踊らされるのはあまりにも当然だ、と私は---ある程度予想していたとはいえ---怒りを新たにした。
 このようなマスコミ・ジャーナリズム(さらに警察)の態度に、目撃者はもちろん、現地住民の人々は、怒りと不信感をあらわにしている。「マスコミは信用できない」(多井畑小学校PTA役員)「何か言っても勝手に脚色して、真意を曲げて報道する」「『黒いゴミ袋の男』が歩いていたのを見えそうな家に警察はなにも聞き込みにきていない」(友が丘中PTA役員)と。

「学校への恨み」を否定し始めたマスコミ報道

 ところが七月中旬になって、マスコミは、動機とされていた「学校への恨み」について否定する報道をしはじめた。
 「『学校にくるな』といわれたことはない」「体罰はなかった」(「神戸新聞」七月十一日付)「供述からは学校や教師への恨みなどはうかがわれない」(「読売新聞」七月十二日付)「動機の説明があいまい」「『義務教育への復讐』」や「学校と教師への恨みなどに触れることもなくなっている」(「朝日新聞」七月十三日付)というように。

「冤罪の危険性」も主張

 さらには、「あの子は冤罪ではないか。ひょっとしたら無実かもしれない」「金ノコが沈んでいる池は日本で一〇〇〇ぐらいあるんじゃないか」(七月七日、テレビ朝日「ニュースステーション」の久米宏)というように。
 あきらかにジャーナリストの一部に、流されては消える警察権力がリークする内容について、その信用性への疑問が湧きおこっているのではないだろうか。しかし彼らはそれ以上のものを洞察し推論することを怠っている。「学校への恨み」という動機が少年にはないことになれば、かの「第二犯行声明」の内容と矛盾をきたすことになり、A少年=犯人説の論拠は大きく崩れ去ることになるにもかかわらず……。

警察内部からの疑問を報道

 ところで他方、警察権力内部からの、捜査に対する疑問の声をマスコミは報道しはじめている。
 七月九日付「読売新聞」夕刊(大阪本社版)は「捜査員逮捕に心晴れず」という見出しの記事をのせ、その中で「中学生があんなことができるのか。大っぴらには絶対いえないが、本当に(犯人は)この少年なのかな、という気持ちがいまもある」(県警刑事部の捜査員)とか「捜査本部のなかでも『少年か』としっくりいかないところがあった。肩の荷は一応下りたが、心は晴れない」(捜査本部員)と。
 このように、A少年犯人説が現場捜査員の感覚とはズレるものであることを、あえて報じている。
 また『週刊現代』七月二十六日号は、ある警察幹部の言として「殺意の原点」が警察への恨み」にあり、これを兵庫県警がおしかくすために情報操作している、と報じている。兵庫県警を批判しているかたちをとってはいるものの、明らかに警察権力が「警察への恨み」という犯行動機の一つをおしかくしていること、そのために情報操作をしていることを警察権力内部からの発言として報じているのだ。
 このことは、この事件の捜査をめぐって、警察権力の内部で、激しい対立・抗争が生み出されていることをうかがわせる。
 〔また「第二犯行声明」で使用されている「本命」とは警察用語で「犯人」の呼称であること、また「死刑」という一般的な言葉をつかわず「吊される」という言葉をつかっていることは、「犯人が警察関係者、または警察に厄介になったことのある人間」であるとする警察関係者の論文までもが書かれているのだ。(『警察公論』八月号東狂介論文)〕

マスコミは過去のあやまちの轍をふむな!

 私はマスコミ・ジャーナリズムに訴えたい。過去のあやまてる轍を再び三たびふむなと。
 松本サリン事件において、河野義行さんを犯人ときめつけて実名を公表した警察の情報を、ウラをとることもなく無批判的に信用し、そうすることによって大きな犯罪をおかしたのではなかったか。また、一九四八年に発生した謀略的冤罪事件である帝銀事件において、戦後三大鉄道謀略事件において、GHQ"警察権力による犯人のデッチあげに、GHQ=権力の情報操作の手兵になりさがって加担したのではなかったか。
 今日のジャーナリストは、国家権力に対する批判精神を、ジャーナリストとしての主体性を失ってはいないだろうか。権力犯罪に加担してはならない。ジャーナリストは真実を見る眼をもて!


知識人諸氏の奮起を期待する

           真相を究明する会会員(大学教員、55歳・東京)

無責任な前言の"撤回"

 私は、このかんの現地調査をおこなった仲間の報告をうけて、神戸小学生惨殺事件とそれをめぐる警察の「捜査」のおかしさをいよいよ確信することができました。けれども、いま多くの人びとは神戸事件の残虐性には心をいためながらも警察に操作されたマスコミの論調に影響されてしまっています。
 しかも、私があらためて危機意識をもつのは、このような社会状況の問題性をつきだし全社会的に警鐘を打ち鳴らすのを任としているはずの知識人諸氏もまた、その多くが警察情報になんら疑いをいだくこともなく、これをあれこれと解釈しているにすぎないことです。
 とりわけこのかん神戸事件について積極的に発言している人たちの多くに見られるのが、六月二十八日のA少年の「逮捕」を契機にして、みずからのそれ以前の主張と明らかに矛盾するような発言を---前言を撤回することについてのなんらの断わりもなく---おこなっていることです。
 たとえば、神戸新聞社に送られてきた「第二声明文」についての、ジャーナリストの立花隆氏や元東京地検特捜部長の河上和雄氏の分析・評価などはその最たるものです。

 〈立花隆氏〉
 逮捕前---「あれだけの文章が書ける人間は、大学生にもそういない」(『週刊現代』六月二十八日号)
 逮捕後---「あの少年の写真の顔を見ながら、あの声明文を読み直すという作業をこれからも何度も繰り返さなければならない」(同七月二十六日号)
 〈河上和雄氏〉
 逮捕前---「〔声明文から〕犯人は警察の周辺にいるか、かつて捜査活動に従事した経験をもつ人物、という可能性もある」(『週刊読売』六月二十二日号)
 逮捕後---「通常の中学三年が、あれだけの内容を……書けるだろうかというと、かなり疑問に思います」(六月二十九日、日本テレビ「ザ・ワイド」)→しかし、以後このような主張をなしくずし的にひっこめる。
 

良心をかけ勇気をふるって発言しはじめた人びと

 もちろん、知識人の大多数が警察発表やこれに追随したマスコミ報道の解釈に終始しているなかにあっても、ひきおこされている事態への危機意識をバネとし、みずからの良心をかけ勇気をふるって発言しはじめている人びともいます。とりわけ作家の野坂昭如氏は、警察発表やマスコミ報道の数かずの矛盾をつきだし(「屍臭、さらに血の匂いに警察犬が反応したのを捜査員が無視したのは奇妙」「二年半で、こんなに文章の内容が変るかとびっくりするほど」「頭部と共にあったメッセージの原文は、まだ公表されていない」など)、「本当に少年が犯人なのか、僕はまだ疑問を持っている」と率直に疑問を提出しています(『週刊文春』七月十七日号)。
 また、河野義行氏は松本サリン事件の犯人に仕立てあげられようとしたみずからの体験にねざして、兵庫県警が少年Aを犯人と断定していることに抗議するとともに、「警察は嘘をつくこともある」と訴え、さらにマスコミにたいして「権力監視機能を放棄」していると批判しています(別掲)。また、同志壮大学教授の浅野健一氏は「報道と人権」の問題を追求してきた立場から、「警察の発表とリーク情報を、記者が自ら確認した真実であるかのように書いている」「ジャーナリストは本当に少年は加害者なのだろうかという疑問を持つべき」とジャーナリストたちの姿勢を問いただしています(別掲)。
 そして、これらの人たちほどには疑問が鮮明でないとしても、それぞれの立場から警察の「捜査」や発表のしかた、マスコミの報道姿勢、社会的背景などについて問題提起をしている人も数多くいます。
 たとえば、かつて菅生事件を追及した経験をもつジャーナリストの斎藤茂男氏は、少年逮捕以前のことについてではあれ「すぐに犯人像を推定させるような報道」は「架空の容疑者を仕立てかねない」と冤罪をうむ危険を訴え警察の事件捜査のありかたやマスコミの報道姿勢に警鐘を鳴らしています。また、弁護士や法学者あるいは人権問題にたずさわってきた人びとの多くは、少年が犯人であるという警察発表を一応は受けいれながらも「もし少年が犯人であると仮定すれば」という留保をつけて発言し、警察やマスコミが「少年=犯人」と決めつけていることには抗議の声をあげています。これらの人びともまた、『フォーカス』や『週刊新潮』の写真掲載や「少年法改正」の方向に強引に議論が進められていることに、人権軽視の風潮がひろがり警察による国民管理が強化されようとしていることをかぎとっているのにちがいありません。
 さらには昨年春いらい連続的にひきおこされてきたJRをめぐる列車妨害事件に下山−三鷹−松川のいわゆる戦後三大鉄道謀略事件の再現をみて、破防法の団体適用とともにこれに抗議の声をあげてきた多くの人たちもまた、今回の事件に危険なものをみてとってたちあがりつつあります。
 あらためて私は、今回の事件そのものをめぐる疑惑の数かずを徹底的に究明するとともに、これを社会全体とりわけ権力者の動向との関係で問題にしていくことの重要性を痛感しています。そして、知識人諸氏がそのような立場からさらにさらに積極的に発言することを切に期待しています。


警察は嘘をつくこともある
河野義行
 神戸小学生惨殺事件について、警察がA少年を犯人と断定し、マスコミも犯人視報道をした。しかし、まだ断定できる時期でないと思う。私たちが最低限まもらなければならないルールである「推定無罪」の原則がふみにじられている。  情報をうけとる多くの人は、活字情報を真実とうけとってしまう。しかし、時として誤報もあり、操作された情報もあることを自らの体験で知った。  警察の容疑者逮捕の記者会見を見たが、記者が「動機は9・」ときいたのにたいして「重大な関心をもって調べている」とこたえた。だったら「犯人を逮捕した」などと発表すべきでない。  松本サリン事件のとき、永田弁護士さんに「警察は犯人をつくる」と言われた。「冗談じゃない。警察がそんなことをするはずがない」と反発した。が、退院して考えがかわった。警察は嘘をつくこともある。本音と建て前を使い分けている。警察は地下鉄サリン事件発生時、違法な微罪逮捕をおこなった。マスコミはそのことをなぜもっと追及しないのか。自らの使命である権力監視機能を放棄してしまっている。それを社会も許している。  情報を発信する側もうけとる側もひとりひとりが自分の頭で考え、判断することが重要だ。


本当に少年は加害者なのかと疑問を持つべき

           同志壮大学教授・新聞学専攻浅野健一

 六月二十八日、兵庫県警は五月二十四日に起きた神戸の小学生殺人事件で被疑者の少年を逮捕した。
  (中略)
 六月二十九日の各紙朝刊は戦争勃発時のような大見出しだった。犯人という言葉を使わず、容疑者と表現しているだけで、この被疑者が犯人ではないかもしれないという留保は全く見られない。相変らず警察の発表とリーク情報を、記者が自ら確認した真実であるかのように書いている。被疑者の少年が捜査本部の調べに対して供述したとされる内容(警察情報)をニュースソースを全く明示せずに括弧付きで引用している。
  (中略)
 ここで指摘しなけれぱならないのは、NHK・民放・大新聞の取材と報道も新潮社と同様に犯罪的であるということだ。松本サリン事件報道の反省は全く生かされていないのだ。
 第一に、この少年に関する報道は匿名報道になっていないということだ。新聞社系の週刊誌を見れば、少年のアイデンティティがすぐわかるような「事実」がたくさん書かれている。
 第二に被疑者の少年に対する無罪推定、公平な裁判を受ける権利がほとんど無視されていることだ。少年は被疑者として捜査に協力している段階なのに、逮捕された少年が犯人であると決め付けて議論がなされている。ジャーナリストは本当に少年は加害者なのだろうかという疑問を持つべきである。やはり中年の男が犯人ではないかと考えるメデイアが一つくらいあってもいいのではないか。(中略)
 第三に警察情報に懐疑的姿勢が見られない。県警の公式発表によると、「少年が殺害を認め」「少年の自宅を家宅捜索して凶器のナイフを発見」、池から「少年の供述どおり」金ノコが発見されたという。このほか捜査幹部への夜討ち朝駆け取材で入手したリーク情報が「○日分かった」「明らかになった」と連日報道されている。
 メディア記者は被疑者の「供述」を直接間いたのだろうか。
  (以下略)

    〔長文のため、編集者の責任で抜粋させていただきました。〕


解放新聞大阪版もえん罪の危険性を指摘

 神戸市の小学生殺害事件で逮捕された少年についての新聞、テレビ報道は、逮捕直後から「彼が犯人に間違いない」と断定するものばかりだ▼その根拠は警察の発表する少年の供述。供述は数々のえん罪事件を生んだ警察の代用監獄に留置されて取られたものである。弁護団は「報道と著しく異なる点があり、確かな物証がない現段階では、供述が真実かどうか、慎重に調査する必要がある」としている▼警察発表で初めて物証が出されたのは逮捕から一週間後。押収した少年の衣類に被害者と同じO型の血液が付着しているとする鑑定結果である。が、それ以前に社会は少年を犯人と決めつけていた。一部の週刊誌は少年の顔写真を掲載しそのコピーが書店で販売された。また、「少年法では罰が軽すぎる」として、法の改訂まで取りざたされたのである▼「犯人」をマスコミが作り出している側面もあるのではないだろうか。「推定無罪が原則」と、過去のえん罪事件で反省しているにもかかわらず、同じ過ちを犯している。この事件で少年の真実の声は伝わってこない。マスコミ報道の真偽を見きわめるのは、読者の人権感覚以外にないのだろうか。〔解放新聞大阪版七月十四日付のコラム「水平線」より無断転載〕

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