神戸小学生惨殺事件の真相 その1 権力の恐るべき犯罪----神戸小学生惨殺事件の真相 |
目次
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※のついている項目は図表です |
はじめに 神戸事件の経過 正門に頭部を置いたのはA少年ではない! 矛盾だらけの殺害・遺体切断の筋書き 警察発表の「物証」にはこれだけの疑惑がある ※こんなに変わった犯人像と手口(少年逮捕前と後のマスコミの右往左往ぶり) 「犯行声明」を書いたのはA少年とは別人だ! 権力の陰謀一神戸事件の背後に潜むもの マスコミの批判精神はどこへ? 知識人諸氏の奮起を期待する 河野義行氏からのメッセージ 浅野健一氏からのメッセージ 解放新聞大阪版もえん罪の危険性を指摘 ※友が丘中学正門 ※友が丘地図と中学校周囲の地図 ※アンテナ基地の写真と見取り図 安本教授の指摘する筆跡の違い /犯行声明と手紙の筆跡 特定のパソコンのフォントを使用・・・ |
はじめに ---現地調査を終えて |
日本全国を揺るがした神戸小学生惨殺事件は、警察が一人の少年を逮捕し7月25日に家裁へ送致したことにより、いま、ひとつの幕がひき降ろされようとしています。 だが、「一四歳の中学生の単独犯行」というのは、はたして本当なのでしょうか? 私たち「神戸事件の真相を究明する会」は、現地におもむき、長い時間をかけて調査を行ってきました。そこで驚くべき事実が、次々に浮かびあがってきたのです。 5月27日の午前1〜2時に頭部を中学校正門に置いたという少年の「自供」とは全く違って、犯人は午前5時頃から6時40分頃まで現場にとどまり頭部の置き場所をかえていた事実。アンテナ基地の管理者が、胴体部発見の直前に基地を視察していた事実。…… 連日タンク山では、行方不明になった淳君を探すための捜索が行われており、その真っただなかで「供述」通りに誰にもみられずに四回も山を往復したり遺体を切断したりすることは、絶対に不可能であること。…… 現地に行って色んな人々の声を聞くなかで、また自分の目で見、自分の足で歩いてみるなかで、私たちははっきりと確信したのです---少年は犯人ではありえない。警察が何の物証もないままに少年を逮捕し、彼の「供述」なるもののあとづけ捜査によって「凶器が見つかった」と称しているのは、まさに冤罪でっちあげの手口そのものではないか、と。 私たちは、労働者・学生・知識人のみなさんに、腹の底からの怒りをこめて訴えます。神戸事件の裏側にあるドス黒い権力犯罪を直視しよう、と。そしてジャーナリストの方々には、警察発表への盲信を拭いさり今こそ批判精神をよみがえらせよう、と。 真実はひとつ---私たちは神戸事件の真相を徹底的に究明していく決意です。 神戸小学生惨殺事件の真相を究明する会 |
1997年 | ||
5月24日 | 13時30分 | 淳君が「祖父の家にでかける」と自宅を出る |
20時50分 | 淳君の家族が須磨署に捜索願い。捜索開始。 | |
5月25日 | 10時00分 | 警察、さらにPTA役員と自治会役員らが捜索 |
5月26日 | 10時00分 | 須磨署が公開捜査。自治会・PTAなどが大々的に捜索 |
5月27日 | 06時40分 | 友が丘中学校正門前で遺体の頭部を発見 |
15時00分 | タンク山ケーブルアンテナ基地内で遺体の胴体部発見 | |
6月04日 | 11時00分 | 神戸新聞社に「犯行声明」が届く(投函は6月3日) |
6月28日 | 朝 | 兵庫県警がA少年を「任意同行」。少年の自宅を家宅捜索 |
19時05分 | A少年を逮捕 | |
7月06分 | 13時40分 | 「向畑ノ池」の捜索開始。県警「金のこぎり」を発見」と発表 |
7月08日 | 午後 | 10日間の拘留延長決定。「池の捜索で金のこぎりを発見」と発表 |
7月15日 | 午前 | 2月10日と3月16日の連続通り魔事件の容疑者として再逮捕 |
7月25日 | 淳君殺害事件と二件の連続通り魔事件の計三件を一括で家裁送致 | |
正門に頭部を置いたのはA少年ではない!
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5月27日早朝、神戸市立友が丘中学校の正門前で、消息を断っていた土師淳君の切断された頭部が発見された。 「義務教育と義務教育を生み出した社会」への「復讐」----神戸新聞社に送付された「犯行声明」において、犯人はこの残虐な行為の目的をこのように言いあらわした。 だがいったい、だれが、いつ、淳君の頭部を友が丘中学校正門前に置き去りにしたのか? 本当にA少年がおこなったのか? 報道されているA少年の「自供」によれば、A少年は26日に頭部をタンク山から自宅に持ち込み、27日の午前0時に起き出して、午後1時から2時にかけてこれを学校正門に置いた---母親の自転車で校門前まで運び、いったんは校門の白壁の上に置こうとしたが、安定が悪く落ちてしまうため校門鉄製門扉の中央に置き、その後自宅に帰った---ということになっている。
だが、われわれの聞き取り調査によって、このような「自供」とはまったく食い違う決定的な事実が浮かびあがってきたのだ。
犯人は午後6時40分頃まで校門付近にいた!
「元気そうな赤い顔色でな、口に紙が、竹の筒のようにな、丸くしてな、入れられていたよ」
真犯人は目撃されている!
「黒いブルーバードが停まっていたのと、黒っぽい服の男がうずくまっているのを見た」
犯人目撃の決定的情報は闇に葬られた!
だが、このような決定的な目撃情報はやみに葬られてしまった。
「マスコミであれほど騒がれていたのに、黒いごみ袋の男については警察は一度も聞き込みに来なかった」
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矛盾だらけの殺害・遺体切断の筋書き
5月27日午後3時頃、早朝の頭部発見につづいて、竜の山(通称タンク山)にあるケーブルテレビのアンテナ基地の床下から、淳君の胴体部分が機動隊員によって発見された。そして、現場の発見状況からして淳君殺害・遺体切断の現場は別の場所とする報道がなされた。ところが6月中旬になると、これとはまったく逆に、タンク山が殺害・遺体切断の現場であるとする説が流布されるようになった。
遺体発見直前、管理者が現場を見ていた!
われわれ調査団は、神戸市開発管理事業団ケーブルテレビ課の家田祥生事業係長に会って話を聞いた。
「自供」のとおりA少年が淳君の遺体をここに運び込みコンクリートの上で切断したのなら、たとえ遺体は床下に隠されていて見えなかったとしても、相当の血のりが残っていたはずであり、家田係長らの目にとまらないはずがないのである。
捜索のまっただ中で遺体の切断ができるのか?
そもそもA少年がその日の午後にアンテナ基地で遺体を切断したとされている25日は、淳君の大がかりな公開捜査が行なわれており、タンク山には午前中から警察犬を連れた警官や住民が入っていた。 |
警察発表の「物証」にはこれだけの疑惑がある
しどろもどろの県警の逮捕後記者会見
6月28日、兵庫県警は小学生惨殺事件の犯人としてA少年を逮捕した。捜査本部はこれに前後して数回にわたって少年宅の家宅捜索をおこなった。そしてマスコミを使って、少年の犯行を印象づけるために、数多くの「押収物」が発見されたかのようなキャンペーンをはりめぐらせた。
金ノコは凶器ではない
少年の逮捕。九日間にわたる須磨警察署内の密室での取り調べ。にもかかわらず「自供」を裏付ける証拠を何一つ公けにすることができなかった捜査本部は、7月6日、テレビカメラや新聞記者を並べて、向畑ノ池の捜索を大々的に繰り広げた。少年が遺体切断後、(イ)犯行に使った金ノコと (ロ)アンテナ基地入り口にあった古い南京錠と (ハ)掛け変えた南京錠の鍵をこの池に捨てたという「自供」があったなどといいながら。 |
ナイフと金ノコでは遺体のような切断面はできない
捜査本部の対応は金ノコ発見にまつわる異常さだけではない。犯人が残していった他の物的証拠との関連からしても、この少年の逮捕後に新たに発見された凶器なるものは決して犯行に使われたものではないことは明らかであった。
南京錠がなぜ発見されなかったのか?
金ノコと一緒に、切断したアンテナ基地の南京錠と取り替えた新しい南京錠の鍵のふたつを池に捨てたと少年が供述したとされていた。しかし、古い南京錠と新しい南京錠のカギを発見できないまま、突然、捜査本部は池の捜索を打ち切った(7月13日)。
犯行声明の投函場所を示す消印を抹殺
権力は物証の捏造を公然と行ってさえいる。捜査本部は当初、神戸西郵便局内のポストで投函されたとしていた「第二犯行声明」の投函場所を、その後菅の台郵便局の前のポストであると流しはじめた。
A少年を犯人ときめつけてみせる警察権力の理由づけは、"小学生惨殺に使用した凶器がA少年の自供した通りの場所から見つかった"という、ただこの一点にすぎない。
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「犯行声明」を書いたのはA少年とは別人だ!
小学生惨殺事件の犯人は、中学校の校門に殺害し切断した小学生の頭部を置き、この口に警察への挑戦的なメッセージを書いた紙片をくわえさせ、また「第二犯行声明」を神戸新聞社に送りつけて犯行の意図を明らかにした。
二転三転した「犯行の動機」と犯行声明
この酒鬼薔薇聖斗を名乗り、「国籍がない」「透明な存在」などと称した犯人のふたつの「犯行声明」にしめされたものは、1「愚鈍な警察諸君」への嘲笑、2「透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐」、3「汚い野菜共には死の制裁を」という社会的弱者への蔑視とこれへの殺意、などの政治的意図を込めたメッセージであった。
犯行声明は中学生に書けるのか
神戸新聞社に送られてきた「第二犯行声明」について評論家の立花隆氏は次のようにいっている。
「犯行声明」に使用した材料はどこへ?
警察は押収した少年の日記やノートの筆跡を公表しないばかりか、その筆跡鑑定についても隠蔽している。
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『週刊文書』(七月二四日号)のあるコラムで高島俊男氏は神戸新聞社に犯人が送った手紙について、「少年の手紙?」と題し次のようなみかたをしている。(以下引用します) |
少年の手紙? |
…はじめテしビを見て感心(?)したのは封筒の表書きである。タテ長の封筒の上の方に横書きでまず『神戸新聞社』とあり、その下に所書きが書いてある。……へえ、英語の手紙みたいだな。近ごろはこんなふうにまずズバリと相手の名前を書<のがはやるのかな、と思った。
……次に『神戸新聞社』の『戸』の字が珍しい。ふつうわれわれがこの字を書くときは、まずチョンを書いてその下に『尸』を書く。しかるにこの封筒表書きでは上がチョンではなく『一』である。しかもその一が下の目」よりも横幅が長い。新聞を見ると活字はまさしくそうなのである。……
……『酒鬼薔薇』の『鬼』の字。われわれはふつうこの字を書く際、まず『ノ』を書き、ついで下の部分を書く。しかるにこの手紙ではノのかわりに字の中央にごく短いタテ棒がついている。つまり字の上半分が『由』になっている。これも印刷字体ではそうなのである。 |
このような高島氏のみかたからすると、この手紙はふだん日本語を書いていない英語圏の人が、活字を見ながらレタリングするように写して書いたものだということになる。 |
産能大教授・安本美典氏の指摘する筆跡の違い
筆跡鑑定の専門家である産能大の安本美典教授(言語心理学)は、次のように語っている。 「学校前に置かれた挑戦状あるいは神戸新聞社に送られてきた声明文と少年の小学校六年生の時の作文の筆跡ははっきり違っている〔下表参照〕。テしビなどで放映されている筆跡鑑定は似た字だけを取り出している。しかし活字に近い字は誰が書いたって似る。本当は筆跡鑑定はその人独特の癖みたいなものを取り出さないといけない。小六から中三までの三年でそんなに筆跡が変わるかどうか、非常に疑問である。私は少年が事件に関わっていた可能性はなお否定しえないが、疑問を暖昧にすべきではない。」 |
権力の陰謀
神戸事件の背後に潜むもの |
「え、こんなに近いのか」アンテナ基地のフェンスから中を覗いたときの驚きは今も忘れない。5月24日から27日にかけて小学生の遺体が置かれ ていたという建物の床下まで、距離にして三メートルあるかないか。そして、5月25日午後、A少年が頭部を切断したと報道されているコンクリート部分は、わたしたちのすぐ眼の前にあったのだ。 「こんな丸見えのところで真っ昼間に?」「警察犬まで出て捜索しているただなかでだよ」 「ここで切断したのなら、その痕跡が残らないはずがないじゃないか」 「胴体部を動かせば血痕も点々と着いたはずだ」 「付け替えられた南京錠やこの金網に、指紋がひとつも残っていないなんて」…… 現地に来て最初にタンク山を訪れたわたしたちは、アンテナ基地を目の当たりにして、ここでA少年が小学生の遺体を切断したなどということはありえない、と確信した。警察は偽りの情報を流している---洪水のような報道の中に隠されている事件の真相を暴き出すために、わたしたちは調査を開始した。
権力のもみ消し工作
「マスコミには何も話したくない」と一様にマスコミの取材への不信を口にしていた北須磨団地の人たちは、私たちの訪問の意図を告げると、こころよく話に応じてくれた。
少年法をたてにした警察の情報操作
「A少年は三つの事件で家庭裁判所に送致されるしという7月25日の新聞記事を読みながら、わたしは小学生惨殺事件の全体構造を改めてふりかえってみた。
新たなファシズムに抗して
5月27日に淳くんの頭部が友が丘中学校の正門前で発見されていらい、マスコミのセンセーショナルな報道で日本中は埋めつくされた。しかも「犯人」として中学三年生が逮捕されていらい、事態は危険な方向に急転回している。
労働者・市民・知識人のみなさん。
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マスコミの批判精神はどこへ? 現地調査に参加して | 民間労働者(35歳) |
私たちの現地調査によって、事件そのものや中学生逮捕についての矛盾や疑惑がいっそうはっきりした。私が現地調査に参加して強く感じたことは、マスコミで報道されていることと、現地でつかんだ事実とはまったくちがうということであった。 マスコミは、中学生逮捕以来、警察情報にしたがってあらかじめA少年を犯人としてきめつける報道を連日くりかえしくりかえし洪水のように流しつづけてきた。犯行の動機の裏づけについても物証についても「自供」そのものの内容についてもはっきりしたものは何ひとつない。にもかかわらずマスコミ各社は競いあって、警察がリークした非公式情報を報道しつづけてきたのではないだろうか。 こうしてA少年犯人説は、動機や物証や自供についての裏付けが捜査本部から何ひとつ公式に発表されないままに、「捜査関係者の話」というかたちでマスコミによって社会的に印象づけられた。それは日本中の人々の意識に、いわゆる中学生犯人像の"刷り込み"をおこなうかの如き役割をマスコミが果たしたということだ。 私が現地で接した記者たちの取材活動は、そのようなマスコミの報道内容を生みだすものであった。というのは、現地取材にきた記者たちは、警察の公式発表が逮捕時および再逮捕時の二回の記者会見以外に全くない中で---つまり警察は報道統制を徹底しでおこなった---警察からの情報をなんとしてでも取るために、捜査員らの自宅回りに精力を注ぎこんでいた。捜査員がもらす(リークする)断片的な情報にとびついて、A少年の犯人像を次々と描きだす、という記者活動を連日連夜おこなっていたのが彼らであった。 彼らは、警察情報の裏を取るための努力を怠り、ただただそれを鵜呑みにして「事実」とみなしている。しかも自分の足で数人の目撃者に取材した内容も、自分の頭で考え判断するというジャーナリストとしての当然なすべき主体的な態度を失って、警察の判断を盲信しそれを打ち消しているのだ。「目撃証言の限界性」と称して。 たとえば、「四〇歳前後・身長一七〇センチの黒いゴミ袋を持つ男」については複数の目撃者が存在し、一時はマスコミも報じた。けれども、この情報を警察がA少年の逮捕を区切りに無視するや、マスコミは"警察で裏の取れない目撃証言"として、その信用性を疑い、打ち消してしまったのである。 私が現地で見た記者たちは、「警察を信用しなければ取材すらできない」と平然と語っている。このような考え方を当然視しているがゆえに中学校の校門のどの位置に頭部が置かれていたのか、ということすらもつかもうとはしなかった。警察情報がつじつまのあうものなのかどうか、現実はどうなっているのか、ジャーナリストであるならば当然なすべき自分自身の眼で真実を見極める努力を、彼らはいっさいしていないのだ。マスコミが警察情報を盲信し、それに踊らされるのはあまりにも当然だ、と私は---ある程度予想していたとはいえ---怒りを新たにした。 このようなマスコミ・ジャーナリズム(さらに警察)の態度に、目撃者はもちろん、現地住民の人々は、怒りと不信感をあらわにしている。「マスコミは信用できない」(多井畑小学校PTA役員)「何か言っても勝手に脚色して、真意を曲げて報道する」「『黒いゴミ袋の男』が歩いていたのを見えそうな家に警察はなにも聞き込みにきていない」(友が丘中PTA役員)と。
「学校への恨み」を否定し始めたマスコミ報道
ところが七月中旬になって、マスコミは、動機とされていた「学校への恨み」について否定する報道をしはじめた。
「冤罪の危険性」も主張
さらには、「あの子は冤罪ではないか。ひょっとしたら無実かもしれない」「金ノコが沈んでいる池は日本で一〇〇〇ぐらいあるんじゃないか」(七月七日、テレビ朝日「ニュースステーション」の久米宏)というように。
警察内部からの疑問を報道
ところで他方、警察権力内部からの、捜査に対する疑問の声をマスコミは報道しはじめている。
マスコミは過去のあやまちの轍をふむな!
私はマスコミ・ジャーナリズムに訴えたい。過去のあやまてる轍を再び三たびふむなと。
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知識人諸氏の奮起を期待する
真相を究明する会会員(大学教員、55歳・東京)
無責任な前言の"撤回"
私は、このかんの現地調査をおこなった仲間の報告をうけて、神戸小学生惨殺事件とそれをめぐる警察の「捜査」のおかしさをいよいよ確信することができました。けれども、いま多くの人びとは神戸事件の残虐性には心をいためながらも警察に操作されたマスコミの論調に影響されてしまっています。 〈立花隆氏〉
良心をかけ勇気をふるって発言しはじめた人びと
もちろん、知識人の大多数が警察発表やこれに追随したマスコミ報道の解釈に終始しているなかにあっても、ひきおこされている事態への危機意識をバネとし、みずからの良心をかけ勇気をふるって発言しはじめている人びともいます。とりわけ作家の野坂昭如氏は、警察発表やマスコミ報道の数かずの矛盾をつきだし(「屍臭、さらに血の匂いに警察犬が反応したのを捜査員が無視したのは奇妙」「二年半で、こんなに文章の内容が変るかとびっくりするほど」「頭部と共にあったメッセージの原文は、まだ公表されていない」など)、「本当に少年が犯人なのか、僕はまだ疑問を持っている」と率直に疑問を提出しています(『週刊文春』七月十七日号)。
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警察は嘘をつくこともある |
河野義行 |
神戸小学生惨殺事件について、警察がA少年を犯人と断定し、マスコミも犯人視報道をした。しかし、まだ断定できる時期でないと思う。私たちが最低限まもらなければならないルールである「推定無罪」の原則がふみにじられている。 情報をうけとる多くの人は、活字情報を真実とうけとってしまう。しかし、時として誤報もあり、操作された情報もあることを自らの体験で知った。 警察の容疑者逮捕の記者会見を見たが、記者が「動機は9・」ときいたのにたいして「重大な関心をもって調べている」とこたえた。だったら「犯人を逮捕した」などと発表すべきでない。 松本サリン事件のとき、永田弁護士さんに「警察は犯人をつくる」と言われた。「冗談じゃない。警察がそんなことをするはずがない」と反発した。が、退院して考えがかわった。警察は嘘をつくこともある。本音と建て前を使い分けている。警察は地下鉄サリン事件発生時、違法な微罪逮捕をおこなった。マスコミはそのことをなぜもっと追及しないのか。自らの使命である権力監視機能を放棄してしまっている。それを社会も許している。 情報を発信する側もうけとる側もひとりひとりが自分の頭で考え、判断することが重要だ。 |
本当に少年は加害者なのかと疑問を持つべき
同志壮大学教授・新聞学専攻浅野健一
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六月二十八日、兵庫県警は五月二十四日に起きた神戸の小学生殺人事件で被疑者の少年を逮捕した。 (中略) 六月二十九日の各紙朝刊は戦争勃発時のような大見出しだった。犯人という言葉を使わず、容疑者と表現しているだけで、この被疑者が犯人ではないかもしれないという留保は全く見られない。相変らず警察の発表とリーク情報を、記者が自ら確認した真実であるかのように書いている。被疑者の少年が捜査本部の調べに対して供述したとされる内容(警察情報)をニュースソースを全く明示せずに括弧付きで引用している。 (中略) ここで指摘しなけれぱならないのは、NHK・民放・大新聞の取材と報道も新潮社と同様に犯罪的であるということだ。松本サリン事件報道の反省は全く生かされていないのだ。 第一に、この少年に関する報道は匿名報道になっていないということだ。新聞社系の週刊誌を見れば、少年のアイデンティティがすぐわかるような「事実」がたくさん書かれている。 第二に被疑者の少年に対する無罪推定、公平な裁判を受ける権利がほとんど無視されていることだ。少年は被疑者として捜査に協力している段階なのに、逮捕された少年が犯人であると決め付けて議論がなされている。ジャーナリストは本当に少年は加害者なのだろうかという疑問を持つべきである。やはり中年の男が犯人ではないかと考えるメデイアが一つくらいあってもいいのではないか。(中略) 第三に警察情報に懐疑的姿勢が見られない。県警の公式発表によると、「少年が殺害を認め」「少年の自宅を家宅捜索して凶器のナイフを発見」、池から「少年の供述どおり」金ノコが発見されたという。このほか捜査幹部への夜討ち朝駆け取材で入手したリーク情報が「○日分かった」「明らかになった」と連日報道されている。 メディア記者は被疑者の「供述」を直接間いたのだろうか。 (以下略) 〔長文のため、編集者の責任で抜粋させていただきました。〕 |
解放新聞大阪版もえん罪の危険性を指摘
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神戸市の小学生殺害事件で逮捕された少年についての新聞、テレビ報道は、逮捕直後から「彼が犯人に間違いない」と断定するものばかりだ▼その根拠は警察の発表する少年の供述。供述は数々のえん罪事件を生んだ警察の代用監獄に留置されて取られたものである。弁護団は「報道と著しく異なる点があり、確かな物証がない現段階では、供述が真実かどうか、慎重に調査する必要がある」としている▼警察発表で初めて物証が出されたのは逮捕から一週間後。押収した少年の衣類に被害者と同じO型の血液が付着しているとする鑑定結果である。が、それ以前に社会は少年を犯人と決めつけていた。一部の週刊誌は少年の顔写真を掲載しそのコピーが書店で販売された。また、「少年法では罰が軽すぎる」として、法の改訂まで取りざたされたのである▼「犯人」をマスコミが作り出している側面もあるのではないだろうか。「推定無罪が原則」と、過去のえん罪事件で反省しているにもかかわらず、同じ過ちを犯している。この事件で少年の真実の声は伝わってこない。マスコミ報道の真偽を見きわめるのは、読者の人権感覚以外にないのだろうか。〔解放新聞大阪版七月十四日付のコラム「水平線」より無断転載〕 |