神戸小学生惨殺事件の真相 その2

深まる権力犯罪の疑惑

もくじ
※のついている項目は図表です
はじめに
A少年のご両親にお会いして激励
みなさんの調査をぜひ生かしたい---羽柴修弁護士談
浮かびあがった頭部切断の真相
   ---龍野教授ら法医学関係者が重大証書!
 疑惑に満ちた三月「連続女児通り魔事件」 
 「挑戦状」のような文章は中学生には書けない!
 犯行声明の投函場所は変えられた!
 神戸新聞社社会部次長・織戸新氏の証言
※神戸西と須磨北の消印
9・15「少年の供述」報道への疑問
   馬脚をあらわした警察・検察庁
鵜の目・鷹の目・鳶の目---毎日新聞終身名誉社員 品野実
松本サリン事偉と神戸事件 『「疑惑」は晴れようとも』著者 河野義行
全国から寄せられた手紙 阿部猛/酒井博/元山俊美/伊橋彰一/浅野健一
「神戸事件と報道を考える会」のアピール
広がる真相究明の声


はじめに
私たちの手づくりパンフレット『神戸小学生惨殺事件の真相』を読み深く共感してくださった全国数万の心ある人々の、熱い想いの届く日が、ついにやってきました。

九月十八日午後六時、当会会員の平井が、神戸市内の弁護士事務所で、A少年のご両親にはじめてお会いし、激励の言葉をかわすことができたのです。

A少年を信じるご両親に温かい支援を送りつつ、私たちは、真相究明の新しい地平をきりひらいていく決意です。深まる権力犯罪の疑惑をさらに追及していこうではありませんか。

精神鑑定の終了・家裁での審判の再開(十月上旬)を目前にしたいま、検察庁は、許しがたいことに、「供述・聴取内容の全容(要旨)」なるものをマスコミに流しています。真相究明の声の広がりに焦った彼らは、私たちの暴きだした数々の疑惑にこたえることからは逃げまわり、A少年を長期にわたり医療少年院に幽閉するために「少年の特異な性格」なるものを大宣伝しているのです。

だが、真実を闇に葬ることは誰にもできません。広がる真相究明の声をもっと大きなうねりへと高めることをめざして、私たちは頑張らなくてはならないと思います。そのためにここに、すべてのみなさんに、『続・神戸小学生惨殺事件の真相』をお送りします。

真実が白日の下にひき出されるその日まで、みなさん、ともに頑張りましょう---たたかいは今はじまったばかりなのだ。

                    神戸事件の真相を究明する会


A少年のご両親を激励
                九月十八日
                神戸市内の弁護士事務所で

■九月十八日午後六時、真相を究明する会の平井は神戸市内の弁護士事務所において、A少年のご両親とはじめてお会いして激励する機会をえました。真相究明のために立ち上がった多くの市民の気持ちと声が、ついにご子息を信じてこられたご両親に伝わったのです。
 やや緊張した面持ちで事務所に入ってこられたご両親に、私は高ぶる気持ちをおさえ「ご両親ですね」と声をかけるのが精一杯でした。
 七月初めに調査活動を開始して以来、ご両親とお会いして励まそうとしてきた究明する会の多くの会員と私にとっては、言葉で表現することができないほどの感動の瞬間でした。
 持っていたパンフレットをご両親にさしだして、「真相を究明する会の平井です」と名のった私に、ご両親の緊張した顔が急に穏やかな顔にかわり、「わかります」と大きくうなずかれた。このご両親のお顔をみて、事件の真相を究明するための私たちの八十日間にわたる苦難にみちた活動がまったく正しいものであったことをあらためて確認することができました。それはご両親が、私たちの真相究明の活動に対して大きな信頼と期待の気持ちをもっておられるということを、私の身体の奥底からあふれてくる喜びとともに感じるものでもありました。
 わが子を獄中に奪われ、親子の絆さえも引き裂かれる苦しみの中にあるご両親のお気持ちを思うと、私たちの真相を究明するための活動がご両親に勇気をあたえ、ご両親の支えになれるのだということを私は確信しました。
 「お手紙は届きましたか?」「みなさん頑張ってほしいといっています」という私の激励の呼びかけに、「はい、いまたいへんで」と少年のお父さんはこたえられました。私たちの励ましの気持ちと、それにこたえられたご両親の気持ちとがつうじあい、結びあい、お互いに緊張していたものが解けたように思いました。
 この間のマスコミの中傷に、じっと耐えてこられたご両親。「一連の事件については思いあたることがなく、犯人とは信じられない」という姿勢をつらぬいてこられた少年のお母さん。そして会社に出勤することもできずに、かけられたご子息への嫌疑に耐えてこられた少年のお父さん。このような中で苦しい心境にあることを「はい、いまたいへんで」という一言にこめておっしゃっていたのです。
 私は、ご両親のご子息逮捕以後の厳しい日々を、しかしご子息を信頼して耐えてきた日々を思い、胸が締め付けられる思いがした。そしてご両親のご苦労を想うと、いまほどご両親との精神的な交流を深め、私たちの真相究明にむけた活動への確信と、連帯のきずなを強めなければならないときはないという思いを強くしました。だから、私は「たいへん苦しいでしょうが、どうか頑張ってください」と語りかけた。ご両親も何度も何度もうなずかれました。
 私は、まだお聞きしたいこと、話したいことは山のようにあったが、伝えたい気持ちの十分の一も言えないまま、限られた時間をむかえてしまった。弁護士事務所の事務員が「弁護士との打ち合せをはじめます。どうぞこちらに」とご両親に声をかけ案内した。家裁の調査官との面接や、ご子息との接見や少年審判にむけた弁護士との打ち合せなどの忙しいスケジュールの合間をぬってご両親に会っていただいたことから、私はご両親とお別れせざるをえなくなった。「また是非、ゆっくりお話ししたいですね。お会いしていただけますか?」と声をかけました。ご両親は力強い声で「はい」と答えてくださった。私は「是非ご連絡ください」と名刺に電話番号を書いてご両親に手渡した。「息子さんのために一緒に真相を究明しましょう。頑張ってください。私たちも頑張ります」。……私は自然に頭を下げてしまった。
 少年のお父さんは、私の言葉に一語一語うなずかれた。少年のお母さんは、大粒の涙を浮かべながら別れを惜しんでくださった。
 この日・逮捕後はじめてご子息と面会した直後のご両親にお会いし、たとえ多くの言葉で激励することができなかったとしても、私たちの激励の気持ちを伝えることができて、私は感無量でした。そして私たちの激励に、ご両親が一語一語うなずいて、涙をながしてこたえてくださったことに、私は事件の真相を究明することの重要さをかみしめ、新たな気持ちで決意をしました。〈神戸事件の真相を闇に葬ってはならない〉、と。
 ご両親との再会を確信し、最後に「息子さんを信じて頑張りましょう。また近いうちお会いしましょう」とあいさつして、私は弁護士事務所をあとにした。

 私たち神戸事件の真相を究明する会にとっては、はじめて少年のご両親にお会いし、直接激励することができたのは、非常に意義あることだと思います。ご両親にお会いできた九月十八日は・私たちにとっても、ご両親にとっても、特別な日になったものと確信しています。
 私たちにとっては・神戸事件の真相を究明するために、寝食を忘れてたちあがって現地調査などをおこなってきたものの、真相の究明は「容疑者」として逮捕された少年の五月二十四日から五月二十七日までの行動を身近にいて一番知りうるご両親とお会いするまでは、正直いって、手さぐり状態でした。しかし、ご両親とお会いし、お話をしたことで、私たちは私たちの真相を究明するための活動に、ますます自信を深めました。お会いしてご両親を励ましたつもりになっていたのが私たちでしたが、いまあらためて考えますと、じつは私たち真相を究明する会の方がご両親に励まされたのではないか、という気がします。これは今の私たちの素直な気持ちです。
 またご両親にとっては、神戸少年鑑別所に精神鑑定のために留置されている「信じていた」ご子息とはじめて会えた日であるとともに、ご子息を「犯人」あつかいしている警察とこの警察の発表をうのみにしているマスコミの報道に疑問をなげかけている究明する会と会い、心を強く結びあった日でもあったと思います。

  精神鑑定のための留置期間の期限(十月二日まで)が近づき、いよいよ家裁の審判が再開されようとしているなかで、九月十五日にマスコミは、警察の「聴取」の中でご子息がかけられている「容疑」に「思いあたるふしはない」と語っているご両親の言葉の断片をあげつらい、「両親は(少年の)容疑について気がついていない」という悪辣なキャンペーンをおこなっています。しかも、「男子生徒の通っていた中学校の教諭らが、この男子生徒の犯行ではないかと疑っている」という「供述」なるものの許しがたいリークと対応するかたちで。
 こういう厳しい時期だからこそ、私たちはご両親との気持ちを相互に通じあう強い関係をつくりだす必要があるのではないでしょうか。
 私たちは、九月十八日のご両親との対面を出発点に、ご両親を励まし支え、神戸事件の真相を明らかにすることをめざしてともにすすんでいこうではありませんか。

                    神戸事件の真相を究明する会・平井


みなさんの調査をぜひ生かしたい
        羽柴修弁護士談

        (神戸弁護士会須磨友が丘・竜が台事件対策協議会代表)

■第二回審判を前にして、九月三十日に中神戸法律事務所に羽柴弁護士を訪ねてお話をうかがいました。審判に向けての心境や、私たち「真相を究明する会」の活動について語っていただきました。
 私としては、皆さんが発行した『神戸小学生惨殺事件の真相』というパンフレットは参考になると思います。
 検事調書を見る前に、事件についての種々の疑問について実地調査し、トータルに分析されたものが出されていたということは、事件の問題点を整理するうえでひとつの意見として参考になったというのが私の個人的感想です。事件のポイントや視点がパンフレットでピックアップされていて。
 私は付添人ではありませんが付添人もそうだったと思いますよ。
たとえば少年の身長と友が丘中学正門の門壁の高さの関係から門壁の上に少年は遺体の頭部はおけないのではないかという指摘とか、頭部の移動の指摘はあたり前のことですが、マスコミはまったくやっていませんでしたから。
 パンフレットは捜査当局以外でこの事件について実際に調査された唯一の記録でありますし、マスコミがまったくやっていないことを独自にやられた貴重なものだと思います。この点でパンフレットは大きな反響を生んでいるのでしょう
。皆さんの調査はぜひ生かしていくことになるだろうし、生かされると思います。
  私どもは、最近「精神鑑定の意見書」といわれるものがマスコミに流れたことをきわめて異常なことだと思っています。私どもはその内容について、本物かどうかを含めて、対応しないことにしています。
   新聞記者の方も、皆さんこの件についての意見を聞かれますが、非行事実の認否について私どもがどうするのかあまり聞かないんですよ。


■真相を究明する会のパンフ第4号に、上記羽柴弁護士談話のオリジナルバージョンが掲載されているので、ここに掲げます。弁護士はかなりの削除訂正を行なっていますが、元のものにはかなり重大な内容が含まれています。
資料
9月30日の「談話」の原稿に羽柴氏は自ら手を入れた
みなさんの努力法廷でぜひ生かしたい

                 羽柴修弁護士談

 私としては、皆さんが発行した『神戸小学生惨殺事件の真相」というバンフレットは、今後の審理をすすめていくうえで非常に参考になると思います。
 検事調書を見る前に、事件についての一種々の疑問について実地調査し、トータルに分析されたものが出されていたということは、事件の問題点を整理するうえで正直助かったというのが私の個人的感想です。事件のポイントや視点がパンフレットでピックアップされていて、それを念頭にみていくことができたのではないですかね。
 私は付添人ではありませんが付添人もそうだったと思いますよ。
 たとえば少年の身長と友が丘中学正門の門壁の高さの関係から門壁の上に少年は遺体の頭部はおけないのではないかという指摘とか、頭部の移動の指摘は、指摘されればあたり前のことですが、私たちもマスコミに毒されていたところがありましたから。
 金属粉についての指摘もありましたね。私たちも実際に自分たちで実験をやってみました。何分で切れるのか、歯にどれだけ傷がつくのかやってみました。鑑定書についてその整合性があるのかどうかすべて弁護団は検討していると思いますよ。龍野教授らの発言などについてうかがったことも付添人は念頭に置いて調べていると思います。ご指摘のあった五月二十四日〜二十七日あるいは六月三日のA少年の行動記録についてもです。
 パンフレットは捜査当局以外でこの事件について実際に調査された唯一の記録でありますし、マスコミがまったくやっていないことを独自にやられた貴重なものだと思います。この点でパンフレットは大きな反響を生んでいるのでしょう。
 皆さんの努力法廷でぜひ生かしていくことになるだろうし、生かされると思います。私どもは、最近「精神鑑定の意見書」といわれるものがマスコミに流れたことをきわめて異常なことだと思っています。私どもはその内容について、本物かどうかを含めて、対応しないことにしています。
 新聞記者の方も、皆さんこの件についての意見を聞かれますが、非行事実の認否について私どもがどうするのか誰も聞かないんですよ。第一回の審判においては、非行事実の認否についてはまったくなにも答えていないんですけども、どの記者も興味がないみたいですね。


 
浮かびあがった頭部切断の真相
         龍野教授ら法医学関係者が重大証言!

 報道されているA少年の「自供」によれば、A少年は殺害した淳君の遺体の頸部を金ノコで切断したとされている。
 「鋭利な刃器で切断」とか「電動のこぎりで切断か」(「毎日新聞」五月二十八日夕刊)とかの報道はなんであったのか。本当に金ノコで切断したといえるのか。
 また「第二頸椎を真一文字に切断されていた」(『週刊文春』六月十二日号)というが、それはどのような切断方法をとれば可能なのか。それは中学三年生のA少年が本当にとりうる方法なのか。
 私たちは、淳君の遺体を司法解剖した神戸大学医学部法医学教室の龍野嘉紹教授をはじめ複数の医学者にこれらの疑問をぶつけてみた。
 その結果、じつに驚くべきことに、報じられている「自供」内容とはまったく異なって、切断に金ノコを使ったのではないことや、タンク山のテレビアンテナ基地の平らなコンクリートの上では不可能な切断方法であることなどが判明した。以下、私たちは、淳君の頭部の切断方法がA少年には決してできないプロの手口であることを裏付ける決定的事実について明らかにする。
 尚、御遺族の気持ちを思うと、淳君の頭部切断の真相を具体的に語ることには、ためらいもありますが、事件の真相を究明するために、あえて触れざるをえません。御容赦ください。

「頸部を金ノコで切断するのは非常にむずかしい」

「頸部のように均一性の組織でないものを金ノコギリで切るのは非常にむずかしい」---神戸大学医学部保健学科長・石川齋教授(整形外科学専攻)は、私たちにこのように明言した(九月八日)。
 頸部は骨だけでなく、頚動脈などの血管やいろいろな神経や筋肉や靱帯など種類の違う組織が入りまじっている。この頸部を金ノコで切ろうとしても「神経や靱帯など(の索条物)がノコギリの刃にひっかかってとても切れるものではない」という。しかもその切り口は「ズタズタ・ボロボロ」になる(同教授)。
 つまり「ギザギザではなく一様である」(先の「毎日新聞」)淳君の頭部の切断面とは似ても似つかないものになってしまうのだ。
 五月二十五日午後の大捜索中に、タンク山のアンテナ基地でA少年が淳君の遺体の首を短時間で金ノコを用いて切断したなどというのはウソであり、警察のつくり話なのだ。

南京錠の切断粉は付着していない

「(切断したときの南京錠の金属粉は)頭部の方にも胴体の方にもないですね」私たちの質問に、龍野教授は一瞬ちゅうちょしながらこのような決定的な証言をした。南京錠の切り粉が頸部の切断面に付着していない、ということは、"A少年が南京錠を金ノコで切り、同じ金ノコで淳君の頸部も切断した"という警察発表そのものが全くデタラメであるということだ。淳君の頸部切断に金ノコは使用されていないのだ。

見えてきた真相

 では淳君の遺体は、いったい何を使って切断されたのであろうか。
 淳君の遺体の頸部の切断端の数か所に「ノコギリの目が三つずつそのまま横にすべった痕跡がついていた」と龍野教授は重大な証言をした(九月二日、以下回じ)。しかも「目の粗いノコギリ」(「産経新聞」六月十六日)ということだ。この三つずつの粗い目の痕跡は細かい目の金ノコではなく、回転式の丸ノコの目をあてた痕跡であると推定できる(次頁冒頭の図解参照)。それはわれわれが前回発行のパンフで推論してきたとおりである。五月二十八日に「毎日新聞」が報じたように「電動のこぎり」が使用されていたのだ。

頚部断端に残るのこぎりの跡
首は段差のあるところで切断された!

 「頸部は第二頸椎の下端部で鋭利に切断されとるんや。第二頸椎の椎体を前から切ったんやと思う。結局椎体が最初に切れていますからね。そしてそのうしろの椎弓を切っていますからね。」---このように龍野教授はきわめて重要な事実を私たちに語った。
 淳君の頸部は、第二頸椎の下端部を前から後へ一気に切断されているのだ。

頚椎 頚部の断面
 図1でしめすように、第二頸椎はきわめて上の位置にあり、体の正面から見ると顎のうしろにかくれてしまう(イ)。顎のすぐ下から切りあげても、第二頸椎には届かない((ハ)。また遺体をあおむけにねかせて頸部を切断しようとしても第二頸椎を切ることはむずかしい(図2のイ)。では、どのように切断されたのか。
平らな場所
 ある著名な元監察医は次のように語った。
 「第二頸椎を前から切断するためには顎を上にあげなければ無理ですね。このような切り方は、段差がある場所でなければできません。タンク山のテレビアンテナ基地の平らなコンクリートの上ではできません。」
 これは決定的な証言である。11頁図3にしめすように、遺体をテーブルの上のようなところにあおむけにしてねかせ、頭部をテーブルから外に出して下に垂らす。このような姿勢でなければ第二頸椎を前から切断することはできない。つまり淳君の頸部は、平らなコンクリートの上ではなく、このような設備のある別のところで切断されたのだ。
テーブルの端など
 "タンク山のアンテナ基地の平らなコンクリートの上で淳君の頭部を切断した"という警察が発表したA君の「自供」は、警察によってつくられたストーリーでしかない。
 ある元解剖学教授は「このような不自然な姿勢を遺体にとらせて鋭利な刃器で一気に切断することのできる犯人は、専門的な知識と高度なテクニックをもつ、複数の人間ではないか」と語った。
 さらに「気管が上端部で水平に切られている」(龍野教授)という切断方法についての新たな驚くべき証言をえた。気管の上端部とは声帯の直下のことをいう。第五または第六頸椎の高さに位置する(図1のロ)。したがって遺体の切断は、淳君の頸部前面のこの位置から刃器を水平に入れてまず気管を切断し、すぐに斜め上にむけて第二頸椎前面のすぐ下まですすめ(図2のロ)、ここで顎をあげ頭部を垂らす形で第二頸椎の下端部を一気に後方に切りぬいた(図3のイ、図4)、と推定しうる(頸部を横からみると真一文字ではなく「へ」の字に切断線が入ることになる)。
への字型の切断
 これはきわめてむずかしい頸部の切断の仕方なのである。これをなめらかにやってのける犯人とは何者なのか。  専門的な知識と経験とそれにもとづいた高度なテクニックとを身につけた冷酷無比な人間以外に私たちは想像することができない。

頭部は置きやすいように切断された!

 犯人が遺体の第二頸椎を切るというむずかしい切り方をあえてしたのは、切断した頭部を校門の前に置くことをあらかじめ考えていたからではないのか。
 五月二十七日の早朝に市立友が丘中学校の校門の前で淳君の頭部を目撃した毎日新聞配達員のOさんに、私たちはあらためてきいてみた。
 「(首の部分は)見えてなかった。もうすっぽんぽんよ、こっから。据え置きで置いてあるみたいな感じや。前から見ると顎だけ見えて……うしろは門扉から十五センチはなれとった」と。
 元監察医の話では、これまでのバラバラ事件をみるとほとんどの場合、死体をあおむけにしてノドボトケの位置(第五〜第六頸椎の前)で切断しているという。そしてこういう切断の仕方をした場合には、ノドボトケの位置より上部の首の部分が頭部側に付くことになる。そして仮にこのような頭部を立てて置くとしたら、頸部が軟らかくて不安定となり、それは転倒してしまうにちがいない。頸部がかえって邪魔になるのだ。
 しかし頸部を残さないように第二頸椎で切断すれば、頭部は安定して置くことができる。まさに「据え置き」(Oさん)の如くに。しかも図5でしめすように、このような置き方をすれば、遺体の頭部の目線が約四十五度上方を向くことになり、校門の前を通る人々の目線とちょうどあうことになるのである。

平らな場所で安定して通る人を見上げる
 淳君の遺体を切断したものどもは、置くであろう首の安定度と、このような目線の"効果"をねらって頸部の切断方法を決めたにちがいない。わざわざ第二頸椎をねらって切るという異様な切り方の理由は、ここにあったといえる。
 これらは、遺体の口にくわえさせられた「挑戦状」で「愚鈍な警察諸君」をあざわらったこととも合致する。

死斑は語る
 ---凍結して切断か?

「死斑は淡紅色、通常よりも赤っぽい」「腐敗(の進行)は遅い。とくに胴体の方が遅い」---殺害三日後の淳君の遺体の死斑についても、龍野教授はこのような決定的な証言をした。
 さきの元解剖学教授も龍野教授の証言について「淡紅色とはおかしいですね。死後三日目の遺体は、通常は紫色がかっています。それが事実なら、殺害直後に低温状態におかれたのですよ」とはっきりと語った。
 検死の専門書をひもといてみると、通常の死斑は赤紫色または暗紫色である。けれども一酸化炭素中毒死や青酸中毒死の場合には鮮紅色となる。
 また死因がどうであれ死後低温(冷温)状態におかれた場合にも紫色ではなく紅色となる。
 淳君は首を絞められて殺害されたのであるから、死斑が淡紅色であるということは、死後に低温(冷温)の中におかれたということだ。五月二十四日から二十七日までタンク山に置かれていたのではない。冷温装置の中か大量のドライアイスの中に置かれていたのだ。「腐敗の進行が遅い」こともこのためであったのだ。
 「通常は内臓のある胴体部の方が腐敗は早い」(元監察医)にもかかわらず、それとは逆に、頭部の方が腐敗が早かったのは、頭部を胴体よりも先に解凍したからにちがいないのである。

頭部を切断しやすくするために凍結した

 「凍結標本のように遺体を凍結させて頸部を硬くすれば、電動丸ノコで目づまりすることなく一気に切断できる」---このような注目すべき見解を、先の元解剖学教授は明らかにした。
 この見解によって、どのようにすれば切断面が「一様」になるのか、この疑問が一気に解決する。犯人は「均一性ではない」頸部を電動丸ノコを使って切るために淳君の全身を丸ごと凍結したのだ。
 淡紅色の死斑の出現も腐敗の進行の遅さも、そして「淳君の頭髪がシャワーを浴びたように、びっしょりぬれていた」(「産経新聞」六月二十三日)ことも(解凍直後の状態であることをしめす)、また頸部切断であるにもかかわらず淳君の着衣に血痕がないことも(凍結切断のゆえに出血がほとんどない)、すべての謎が氷解するではないか。
 さらに五月二十四日午後に淳君を殺害してから二十七日に正門前に頭部を置くまでの三日間という時間も、殺害―凍結―遺体の切断―解凍に時間を要したからだと思われる。
 以上、惨殺された淳君の頸部の切断面を専門家の数々の決定的証言にもとづいてつぶさに検討してきた。そうすることによって事件の真相の核心部分〔どのような人間が、何のために、どこで、何を使って、いかに淳君の頸部を切断したのか〕が、はっきりと浮かびあがってきた。報道されているA少年の「自供」内容は、まったく虚偽のストーリーでしかないのである。
 私たちは事件の真相がA少年の家裁送致とともに闇に葬り去られることを決して許しはしないであろう。


疑惑に満ちた三月「連続女児通り魔事件」

三月十六日の昼すぎに神戸市須磨区のニュータウンで発生した「連続女児通り魔事件」。淳君殺害事件の容疑で逮捕されたあとA少年の犯行とされたこの事件も、私たちが調査したところ多くの疑問がでてきた。

犯人は左利き――
 しかしA少年は右利き

 事件直後には龍野教授の司法解剖所見にもとづいて次のように報道されていた。頭部左側の広範な陥没・粉砕骨折という彩花ちゃん(一〇)の骨折の状況から、「棒状の凶器」で「左から右に(水平に)振り回して打ちつけた」、一撃で倒されている点から、正面ではなく背後から襲われたと判断」、「粉砕骨折するほど強い力で殴打するには、利き腕を使ったとみるのが自然で、犯人は左利き」(「神戸新聞」三月二十七日付)。
 「刺されたひとみちゃんの傷は腹の右寄り。正面から襲われたとすると、犯人は刃物を左手に持っていたとみられ、左利きの同一犯」(同)と。
 実はA少年は右利きである。
 ところが「ぼくは『お礼を言いたいのでこっちを向いて下さい』と言いました。そして女の子がこちらを向いた瞬間、金槌を降りおろしました。」(「犯行メモ」)---このような「前から殴った。」(すなわち犯人は右利き)という説が、A少年が淳君殺害事件の容疑で逮捕された後の七月十九日に捜査本部によって突然マスコミに流されたのだ。
 「犯人=左利き」説を否定し右利きのA少年を犯人にしたてあげるために、警察当局によってこの「犯行メモ」がつくられた可能性がきわめて強い。

凶器は表面積の広い棒状のもの

「左側頭部の骨折の形状からして、上から降りおろしたんではなく、左から水平に殴っとんですよ。」---龍野教授はこのように明言した。
 この証言は「犯行メモ」の「金づちを降り下ろしました」という内容を明確に否定している。
 そして教授は決定的なことを語った。
 「こんなちっちゃい金づちではあかんよと、こんなん違うよということは警察には言うとるわけです」「陥没骨折の長さと幅からするとそれなりに広い面積の棒状のもの---硬い鈍体といいますけど、たとえば野球のバットのようなものですね。しかしいま前からおそらく殴ったいうんで取り調べではなってますよね。ですからバットでもいいんですが、大きめの金づち・八角玄翁かもわからんと、そうなっているわけですよ。」
 私たちはこの証言に驚いた。そして目の前の法医学者と警察に怒りをおぼえた。
 教授は「硬い鈍体=バット」説をとっていた。バットであれば彩花ちゃんの骨折の形状からして、犯人は彩花ちゃんの背後から左打者のようにバットを左方向から水平に振ったことになる。しかし教授は、捜査本部から「犯行メモ」を見せられたり「自供」内容をささやかれたりして警察のいう「正面からの殴打」説に屈服したのだ。そして彼はこの説を説明づけるために新たに八角玄翁=凶器説をひねりだした、というわけだ。
 他方、龍野教授の解剖所見のバット説(=犯人左利き説)を聞いて警察は、なんとかA少年の犯行であると見せかけるために、急きょ「犯行メモ」なるものをリークしたのだ。

「犯行メモ」の疑問

 家裁送致の直前の七月十九日に捜査本部が、マスコミにリークした「犯行メモ」には多くの疑問がある。
 1 捜査本部が突如公表したこの「犯行メモ」なるものは、A少年の肉筆として公表されたものではないこと。肉筆メモがあるのなら、なぜ捜査当局はそれを公表しないのか。
 2 しかもその内容は「ひどく疲れていたようなので、そのまま夜まで寝ました。(H9・3・16)」というように、臨場感がまったくないこと。他人事のようにまったくそらぞらしい。人は自分の行為をけっしてこのようには表現しない。「ひどく疲れていたので、……寝ました」と表現する、このメモはA少年が書いたものなのか、きわめて疑わしい。
 3 「(H9・3・23)朝、母が『かわいそうに。通り魔に襲われた女の子が亡くなったみたいよ』と言いました。新聞を読むと……」二十三日にはこのようなことはありえない。三月二十三日の朝には、被害者の彩花ちゃんはまだ生存していた。彩花ちゃんが亡くなったのは夜七時五十七分である。新聞報道は翌二十四日である。
 ところが不思議なことにフジテレビの番組「THE・WEEK」(七月十九日)で映された「犯行メモ」には「H9・3・24」という日付が打たれていたのだ。日付の違う二種類の「犯行メモ」が存在していることになる。このことは、「犯行メモ」なるものが警察が握造したものであることを示しているではないか。
 警察が主張しているA少年=連続女児通り魔事件犯人説もまた、多くの疑惑に満ち満ちているのである。

「挑戦状」のような文章は中学生には書けない!
  ---「第二挑戦状」を再び検証する

 六月二十八日のA少年逮捕以後、神戸新聞社に届けられた「第二挑戦状」について、「挑戦状は少年にも書くことができる」という解釈がマスコミや多くの識者たちによって語られるようになった。たとえば、「あの犯行声明も引用やコピーで簡単につくれそうなものだ」(「東京中日スポーツ」六月三十日付)とか、「テレビゲームや漫画などで豊富な情報を吸収し、それを寄せ集めてあのような文章を作り出すことは不可能ではない」(「毎日新聞」六月二十九日付)とかというように。
 だが、この「挑戦状」については、当初より、「何より文章が論理的に展開されている」(ジャーナリストの立花隆氏)というような評価がなされ、このことからも犯人は"三十歳代から四十歳代でかなり知的能力が高い者"という推測がなされてきた。にもかかわらず、少年逮捕後は一転してこのような評価がかき消され、それにかわって先のような評価が広められているのだ。このことに重大な疑惑をもった私たちは、再度この問題を検証してみることにした。
 まず、あのような「論理的な文章」が「引用やコピーで簡単につくれる」のだろうか? 社会評論家の芹沢俊介氏は、すでに六月九日の時点で次のように論じている。
 「最初の挑戦状がほぼすべて本やまんがや映画からの引用でなっているという指摘がなされている。このことは挑戦状の作者の文章力が並でないことを告げている。引用だけで自分の主張を作るということは、実際にやってみれば分かるとおり、かなり高度な遊び心を要するのである。」(「産経新聞」六月十三日付大阪版夕刊)
 これは、直接には「第一挑戦状」についてふれたものであるが、ここでは「引用を寄せ集めて文章をつくる」ことはけっして簡単ではないことが明確につきだされている。「引用文を羅列する」にしても、いや引用文の羅列であればなおさらのこと推理する力や文章を構成する力が必要なのであって、「引用やコピーで簡単につくれる」というものではけっしてないのだ。(「実際にやってみれば分かる」ことだ!)
 しかも、かの「第二挑戦状」の文章が高度なものであるということは、たんに"むずかしい言葉を使っている"というような次元のことではない。この点についても、次に明らかにするように、芹沢氏はきわめて具体的かつ的確に指摘している。芹沢氏もいうように、「第二挑戦状」は、論理構造の厳密さや文章はこびのリズムなどあらゆる点においてきわめて高度なものなのであって、このことは筆者の思考能力と文章表現能力が並はずれていることをものがたるものにほかならない。「少年にでも書ける」というものではまったくないのだ。

「いま考えても、あの文章が中学生に書けるとは思えない」
---「第二挑戦状」についての芹沢俊介氏(社会評論家)の証言

 『現代〈子ども〉暴力論』(「増補版」を今年八月に発行)など、家族論や犯罪論の研究で知られる社会評論家の芹沢俊介氏は、『正論』八月号掲載の「『酒鬼薔薇聖斗』という精神の決壊」という論文のなかで、「第二挑戦状」の文体について次のように述べている。(以下、同誌からの抜粋)

文体の特徴から読み取れるかぎり挑戦状の書き手の知的能力はかなり高いと思う。例を引きながらその理由を述べてみよう。
◇「暗号でも謎かけても当て字でもない、虚偽りないボクの本命である」という箇所のア音からはじまる文字を否定的に三つ重ね、つぎにウ音に移るそのリズム感と呼吸。
◇「ボクが存在した瞬間から」という箇所の瞬間という言葉の使い方。
◇「今までも、そしてこれからも」という箇所の厳密さに向けた意識的、自覚的な文体の整序の仕方。
◇「透明な存在」と「実在の人間」という対比と移行のつかみ方。
◇「ボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会」という箇所の概念の使い方の的確さ。つまり殺人を愉悦と感じる一個の精神であるボクという人間性、その精神を造り出した義務教育という制度、その義務教育制度を生み出した社会という具合に概念の位置、広がり、階層構造(入れ子構造)を的確に踏まえた記述。
◇一定の抽象度を保ちながら、句読点の打ち方を見れば明らかなように新聞や週刊誌と較べ文章の息が長い点。
 右の文章は少年の逮捕以前に書かれたものであるが、芹沢氏は少年逮捕後の今日、私たちにたいして次のように語っている。
「いま考えても、あの文章が中学生に書けるとは思えない。もし少年が書いたとすれば大変な能力だと思う。私は少年が犯行にかかわった可能性があると考えているけれども、この謎はまだ残るし、追究していかなければならないと考えている。」(九月十六日)
犯行声明の投函場所は変えられた!

 六月三日に投函され、神戸新聞社に送りつけられた第二犯行声明。その投函場所を、兵庫県警捜査本部は当初、神戸西局管内としていた(神戸新聞社が独自に調査した結果を、警察も認めたもの)。ところが、捜査本部は今日では、声明の投函場所は神戸西局管内ではなく、「菅の台郵便局前のポスト」であり集配局は「須磨北郵便局であった」などと、大きく訂正している。
 だが、封筒という物証があり「神戸西局で取り扱った」と いう証人もいると発表しているのに、警察が投函場所の特定を間違えたなどということが、はたしてありうるのだろうか。

神戸西局員が神戸新聞社宛の茶封筒を目撃!

「六月三日午後七時頃に、神戸新聞社宛の横書きの茶封筒を取り扱った」---このように語っている目撃証人が、神戸西局には存在している。
 この封筒は、郵便番号が赤字で書かれていることから、機械による自動押印に掛からなかった。それで手押しの押印となり、証言者はこの封筒をじかに手にしているのである、この封筒は、宛名も住所も真っ赤な文字で書かれている。またエアメールと同じスタイルで、まず宛名が書かれその下に住所が書かれているのである。しかも茶封筒はきわめて薄いものであり、封筒のなかに入っている紙(犯行声明を包んだ紙)にしるされている「酒鬼薔薇聖斗」の文字と風車のようなマークとが透けて見えるのである(19頁のカラー写真参照)。

犯行声明の封筒
パンフ19頁のカラー写真
 既に小学生惨殺事件の発生が世間を震憾させているなかで、茶封筒の中身が犯行声明であることがわかった時点からわずか二、三日前に、証言者はこの特異な封筒を見て目に焼き付けているのであり、それを証言しているのである。これが見間違いであったなどということがどうしてありうるのであろうか!

間違えようのない「神戸西」と「須磨北」の消印

 「神戸新聞社さんは、須磨北の『磨』の中の『石』の口の部分を神戸西の『戸』の口の部分とまちがったんだよ」捜査本部は神戸新聞社にこう説明したという(21頁の神戸新聞社社会部次長・織戸新氏の証言を参照)。
 そこで私たち真相を究明する会の調査団も、神戸西局と須磨北局の両方から郵便物を投函して、双方の消印を較べてみた(下の写真)。結果は、戸と磨では、口の大きさも位置もちがっていることが、一目瞭然であった。その位置はニミリほど離れており、部分的にも重なることはない。大きさも「戸」の方が、横幅が倍くらい広い。特定をまちがえるなどということは、決してありえないのだ。

消印を比較
 神戸新聞社も私たちと同じ質問を兵庫県警捜査本部にぶつけたという。しかし彼らは、はっきりした答を返さながったらしい。先の見解が捜査本部の鑑定結果だというのである。
 ちなみに神戸新聞社は、「たしかめようにも、もう現物は提出してますし、『自供』があったと警察が言うので、投函場所の訂正記事を出さざるをえなかった」と私たちに嘆いたのであった。

矛盾のとリつくろいで決定的な馬脚を現わした捜査本部

 七月十一日に捜査本部は、A少年をマイクロバスに乗せ、少年が「自供」したという「犯行現場」なるものをつぎつぎと廻ったのであった。そしてこの「現場めぐり」の最後に、友が丘地区のすぐ西隣りの菅の台団地にある菅の台郵便局へ寄ったのであった。
 この時から県警は、第二犯行声明の投函場所をなりふりかまわず強引に変更したのである---物証の存在も、目撃者の証言もいっさい無視して。
 これはいったい、何を意味するのであろうか?
 おそらくはこの六月三日は、少年は誰かとずっと一緒で、神戸西局まで一人で行ったことにする時間的ゆとりがなかったのにちがいない(神戸西局は、友が丘地区に最も近い市営地下鉄・名谷駅から四つ目の西神中央駅の近くにあり、往復一時間はたっぷりかかる)。それが新たに発覚したのであろう。
 そこで警察は大慌てで、自転車に乗って短時間でいける菅の台郵便局前のポストヘと、投函場所をかえざるをえなかったにちがいないのだ。
 第二犯行声明を書き投函したのはA少年だと強弁している警察のデタラメなストーリーは、ここでも馬脚をあらわしているのだ。

神戸新聞社社会部次長・織戸氏の証言
「消印のすべてを照合して神戸西と確定した」
九月二日、調査団は神戸新聞社を訪問し、第二犯行声明の投函場所はいったいどこなのかをめぐって質問した。以下は私たちと面談してくれた社会部次長・織戸新氏の証言である。
 神戸新聞社に送られてきた第二犯行声明のはいった封筒の消印の文字は三文字のうち真ん中の一部分のみが判読できた。それは「「戸」または「中」の文字の一部分である長方形の口の部分であると読み取れた。三文字目も角張った字であることが読み取れた。
 また18-24という押印処理時間と翌日午前に配達されたことから、近畿地方内の投函と確定することができたので、近畿地方の集配局のうち三文字で「戸」または「中」のある局の消印のすべてを照合し神戸西と確定した。
 これはまちがいないということで、捜査本部にもぶつけた。警察も否定せず認めたので、全紙が神戸西局と報道したわけです。そして神戸西局の取材を郵便課長や総務課長の立ち会いのもとでやって、目撃証言もでてきた。
 ところが、少年の逮捕後、少年の供述では投函場所は神戸西局管内と違うということが、警察からながされてきた。裏付けが取れなかった。実況検分のあと捜査本部に、消印の文字から神戸西局だと鑑定していたんではないのかということを問いただした。
 すると捜査本部は「神戸新聞社さんは、須磨北の『磨』の中の『石』の口の部分を神戸の『戸』の口の部分とまちがったんだよ」とこう言った。

戻る