私たちはこれまで、発表された七通の検事調書をつぶさに検討してきました。
(1)神戸事件を「異常性格者による猟奇殺人事件」にしたてあげようとして、検事が懸命に描きだしたJ君殺害の場面は、しかし逆に“真のリアリズム”とはおよそかけ離れた荒唐無稽な物語でしかないこと。「A少年の供述調書」なるものは、少年を犯人にしたてあげるために検事が作った矛盾だらけの作文でしかないのです。
じつにこの検事調書こそは、A少年の逮捕の不当性と違法性を銘記した10・17家裁決定第四項目ならびに謎に満ちた三つの挑戦状とともに、「A少年=犯人」説の虚構性を示す動かしがたい証拠なのです。
このことは、昨九七年十月十七日の神戸家裁の処分決定そのものが根本から揺らぐことを意味しています。なぜなら神戸家裁決定は、警察が偽計を用いてA少年に自白を強要し逮捕した事実をつきだしつつ警察調書の全てを証拠から排除するとともに、他方、一連の検事調書についてはこれを証拠として採用し、これにもとづいてA少年を医療少年院に送ったのだからです。
家裁の処分決定に賛成した弁護団は、一体何を読んできたのでしょうか。また、権力により情報飢餓状態に置かれ“リーク”で踊らされてきたのだとはいえ、マスコミは、自らの報道にいま何を思うのでしょうか。
私たちは、二十世紀も終わりに近いこの日本で神戸事件という歴史的大事件に遭遇しました。全国を震憾とさせたこの事件には、多くの謎と疑惑がまとわりついていることは事実です。
これを解きあかすことなくして、私たちは、無辜の幼い犠牲者たちに、いったいどんな送りの言葉が述べられるのでしょうか。またJ君、彩花ちゃん、A少年らと同じ世代の子供たちに、いったい何を語り継ぐことができるのでしょうか。彼らと同じひとつの時代を生きてきたものとして、黒い霧に包まれた神戸事件の真実をあきらかにすることは、“今”を生きる私たちの義務だと思うのです。そしてそのために、真相究明を求める私たち市民の小さな声をひとつの国民的世論に結集し、また法曹界・医学界・文学界などの各界が協同して意見を活発に交流していくことが、今ほど求められている時はないと思うのです。
全てのみなさん、神戸事件の真相究明の声をさらに広げるために、共に闘いましょう---脅かされてはならない真実のために、閉ざされてはならない未来のために。
昨97年12月11日、ご両親が上京されるさいに、当会の会員である平井(男性)・青木(女性)らが新幹線でご一緒しました。そしてこの車中において、5月24日から27日にかけてのA少年の様子について、ご両親からいろいろお話しをうかがいました。A少年とJ君との関係について 平井「J君と息子さんとは親しかったんですか?」 父 「下の子が優しい子で、J君はそれで遊びに来ていた。上の子(A少年)は気にもしてなかったと思います。上の子は話はしないし、いてもいなくても一緒です。だから、上の子が声をかけても、あの子(J君)がついてくるはずがないと思っているんです」
5月24日について
5月25日について
5月26日について
5月27日について
6月28日、A少年の逮捕時
犯行声明について
逮捕後のA少年について
A少年の性格について
97年9月26日に警察のリーク情報にもとづいてマスコミが公表した「懲役13年」いう文章。昨年4月上句に書いたとされるこの文章は、同時期にA少年が書いたとされる「三年生になって」(『フォーカス』3月11月号に掲載)という作文とは、その文体・論理性・思想性・内面性そして漢字の使用などすべての点において異質なものである。「懲役13年」は本当に、警察や警察情報を鵜呑みにするマスコミがいうようにA少年が書いたものなのだろうか。「懲役13年」をA少年が同時期に書いたとされる「三年生になって」との対比において検討してみる。 (ちなみに「朝日新聞」の連載「暗い森」によれば、この「三年生になって」という作文は、捜査本部が筆跡鑑定のために友が丘中学校から取り寄せたもので、科学捜査研究所が鑑定の結果、犯行声明と筆跡が「同一であると判断するのは困難である」としたものであるという。)
『FOCUS』(3月11日号)が掲載したA少年の肉筆の作文とノート漢字・文体・内容がまるでちがう
「懲役13年」は『文藝春秋』に掲載された7通の検事調書では一言もふれられてはいない。警察=検察は、この作文を入手していたはずなのに、なぜこれについては言及しないのか? まことに奇妙である。本当に存在していたのだろうか、きわめて疑わしい。
昨年9月26日に突如として発表されたこの作文は、自己の内なる深淵に住み込んだ虚無を魔物(モンスター)に見たて、この魔物に自分がどのように操られているか、しかもこの自分が周りの人々に対してはどのようにふるまっているのかを、実に深く省察している。見事な文学的・哲学的な表現からなる文章である。
自己の内面世界をここまで考察し鮮烈に表現できる人物が「分裂症あるいはその前段階」などでありえるだろうか【*】。ニーチェの『善悪の彼岸』やダンテの『神曲』の中の言葉を巧みにちりばめつつ、人間実存の深みを哲学し能動的ニヒリズムの構造をかくもみごとに表現したこの文書が、はたして14歳の少年に、しかも「絵は得意だが国語がとても苦手」なA少年に書けるのだろうか?【*掲載者注 統合失調症とされる偉大な学者や芸術家の例は珍しくありません】
「三年生になって」の文章とくらべてみれば、筆者のメンタリティー・思想性がまったく違うことは明白ではないか。「三年生になって」はいかにも14歳の少年らしい文体であり、また少年らしい精神世界を表現している。また漢字の間違い(「番」の字)や、ひらがなで書いているところなど、「国語がとても苦手」なA少年の実像が浮かび上がってくる。A少年はあまり漢字を知らないし漢字をしばしば間違えるのであって、この点をとってみても、一度見たものはすべて記憶するという「直観像素質者」でないことは明らかである。
ましてや「無限に暗くそして深い腐臭漂う心の独房の中」【*】を凝視し、そこに「死霊の如く立ちつくし、虚空を見つめる魔物」を発見し、それとの闘いを「心の改革が根本である」ととらえるという能動的ニヒリズムにつらぬかれた哲学的な「懲役13年」の筆者が、「三年生になって」の筆者や、「バモイドオキ神」を崇拝する偶像崇拝主義者の「犯行メモ」の筆者とは思想性・精神性・文学的センスにおいてまったく別人であることは明白であろう。内なる自己を人間実存の深みにおいて凝視する「懲役13年」のニヒリズムは外なる偶像(=バモイドオキ神)を崇拝する思想とはあいいれないのだ。【*掲載者注 原文は「防臭漂う・・・」】
第二犯行声明や「懲役13年」を読んで、犯罪を犯すことによって自己を見つめ高度な文章をかける人間へと変貌することができたのだ、とか、『文藝春秋』掲載の検事調書を読んで、A少年が切断したJ君の頭部を「観賞」することから「観察」することへと高めているのは、A少年の天才的な才能をしめすものだ、とか、という人たちがいる。彼らは、アクロバット的理屈をもって、高度な文体の「懲役13年」と少年らしい幼い文体の「バモイドオキ神」日記や「三年生になって」との“巨大な溝”をなんとか埋めようともがいているにすぎない。彼らは、「懲役13年」と「三年生になって」は両者ともにJ君事件のまえの97年4月という同じ時期に書かれたとされていることをどのように考えるのであろうか。
A少年の筆になるものとして「懲役13年」をおおやけにした者たちの目論見は明らかである。「自己の内に住む魔物(モンスター)」につきうごかされて殺しを欲求してやまない快楽殺人者としてA少年を描き出すためであろう。そのネタ本は『FBI心理分析官』であり『診断名サイコパス』であり映画「プレデター2」などであることが明らかとなっている。「懲役13年」はこれらの本や映画の台詞の一部分を巧みに引用して文章を組み立てている。いずれも元FBI心理分析官のアメリカ人R・レスラーの犯罪心理学にしたがったものである(彼は神戸事件を前後して頻繁に日本を訪問している)。今回の事件のシナリオがなにを下敷きにしたのがが透けて見えるではないか。(45頁のK大学S教授の見解参照)
ロバート・レスラー著の『FBl心理分析官』(右)と彼の推薦するロバート・ヘア著の『診断名サイコパス」(左) 【印刷物から複写すると不鮮明なので省略します。関心のある方はぜひ究明する会のパンフをご購入ください】
ところで、「懲役13年」というタイトルが実に不思議だ。というのは、少年院に「犯罪少年」を収容できる期間は、神戸事件が発生するまでは「最長3年間」であった。ところが、昨年9月8日になって、法務省矯正局はこの期間を延長し「最長26歳まで収容できる」とする新しい通達を出した。A少年がこの作文を作ったのは昨年4月上旬で14歳のときだ、と警察はマスコミにリークしている。すると26歳まででちょうど13年間になる。つまり法務省がまさに神戸事件への対応のために新たに下した決定を、ぴたりと予言したことになる。これを「偶然の一致」としてすますことができるであろうか。
検事が、この「懲役13年」について(A少年の自筆のものは存在しない)一言も触れていないのは、この文章の作者がA少年ではないことを自認したに等しいであろう。ご両親は、この文章について「あの子には書けません。あの子は文章が書けないのです」といっておられることをつけくわえておこう。
A少年はハメラレた?
なにを根拠にしてなのか? 大きな疑問である。兵庫県警が一定の予断にもとづいてA少年の逮捕を準備していたことは間違いない。しかも、たったひとつの“物証”となるはずであったこの筆跡の鑑定も一致しないことが明らかになり、したがってA少年を逮捕する根拠をすべて失ったにもかかわらず、あえて「筆跡が一致した」と嘘を言ってA少年に自白を強要して逮捕した(「偽計による自白」にもとづく違法な逮捕だ!)という兵庫県警の許しがたい行為とあわせ考えるならば、あらかじめ県警はなにがなんでもA少年を犯人として逮捕するハラであったとしか考えられないのである。だとするならばA少年はハメラレたことになる。
筆跡の違いは明らか
ところで、科学捜査研究所が犯行声明とは「筆跡が一致すると判断するのは困難である」とした作文「三年生になって」と「バモイドオキ神」日記の筆跡が同じであることはだれが見ても一目瞭然である。そして昨年マスコミにリークされ公表されたA少年自筆の小学6年生の時の震災についての作文「知人の心配」も筆跡が同じである。この三つの文章の筆者と犯行声明の筆者とは違うということになる。「バモイドオキ神」日記は事後的にA少年が書いたもの、いや、おそらく取り調べの時に書かされたものであろう。また昨年7月の時点では3年も前の小学6年生の時の作文だけがマスコミにリークされ、現在の作文である「三年生になって」が隠蔽されていたのは、それが科学捜査研究所の鑑定で筆跡が一致しなかったからであろう。そのことがおおやけにされるならば、A少年を犯人に仕立て上げるという事件直後の警察の目論見そのものが崩れてしまうからである。
『噂の真相』4月号に掲載された第一犯行声明とA少年の筆による同文とは多くの箇所で筆跡が違う(口絵の冒頭参照)。それは逆に筆者の違いを浮き彫りにするものとなっている。すなわち、「大怨」を「大恐」と書き間違え、「制裁」の「制」の字も横線が一本欠落している。「流血」は筆跡がまったく違う。「裁」「死」「鬼」「菜」の筆跡も違っている。そして「殺」「恐」「薇」などの「几」の部分が、A少年署名の方は、一貫して「Π」【*】となっており、かれの癖がはっきり出ている。「に」「た」の字の「こ」の部分も違う。「の」はA少年署名の方は、丸みがでてしまっている。「K」の字もΚとκ【*】というようにそもそも字体が違うように思われる。(表を参照)A少年が書いたとされる「懲役13年」と同時期にA少年が書いたであろう「三年生になって」という作文とは、その筆者が異なることは、もはやだれの目にも明らかではないか。【*原文は筆跡のコピーなどによる作字を使っていますが、不可能なのでギリシャ文字で代用】
偽造されたバモイドオキ神の絵
A少年が描いたとされるバモイドオキ神の「実物の絵」を写真週刊誌『フォーカス」(3月11日号)が掲載した。『フォーカス』もまた『文藝春秋』と同様にA少年を犯人として描き社会的に印象づけるために、そして少年法の改悪をねらってリーク情報を垂れ流しているのだ。このようなジャーナリズムの行為は決して許されるものではな
い。しかし、このような泥沼と化しつつあるマスコミのリーク情報垂れ流し合戦は、同時に、昨年の時点でマスコミが流してきた報道にかんする数々の疑惑を浮き彫りにするものになっている。「朝日新聞」がその典型である。
A少年が描いたとされるバモイドオキ神の絵は、すでに97年7月19日に「朝日新聞」だけが報じていた。その絵にはバモイドオキ神の腹部に第一犯行声明に描かれていた逆卍の風車マークがかかれていた。ところが『フォーカス』の「実物の絵」では手鏡のような形のものが腹部に描かれているだけで、逆卍の風車マークはかかれていないのである。
『フォーカス」に掲載されたものが少年が書いた「実物の絵」であるとするならば、「朝日新聞」の絵に描かれていた逆卍の風車マークは、いったいなんなのか。何者かがわざとかき加えたとしか考えられない。それができるのは「朝日新聞」編集部以外にはありえないではないか。物的証拠がないなかで、“A少年が犯人である”こと、“A少年がヒトラーの『わが闘争』の愛読者であり、それゆえに凶暴性をもった少年であり、したがって少女連続通り魔事件やJ君殺害事件を起こしたとしても不思議ではない”こと、このような印象を国民に植え付けることを彼ら警察=検察関係者が意図し、この意図を「朝日新聞」が汲み取ったことは明らかである。このように考えてくると、ナチスをイメージさせる逆卍の風車マークは、ほんとうにA少年が考え出したものなのか、まったく疑わしい。
「朝日新聞」に掲載された「バモイドオキ神」(左)は、
3月連続通り魔事件についての日記ふうの「メモ」(いわゆる「バモイドオキ神」日記)なるものが文藝春秋社にリークされ『文藝春秋』3月号に掲載された。この「メモ」の内容は、すでに何者かによって「朝日新聞」にリークされ97年7月19日の「朝日新聞」には「犯行メモ」として掲載されている。しかも「朝日新聞」に掲載された「犯行メモ」は『文藝春秋』に掲載されたA少年が書いたとされるものとは、大きく異なっている。とくにひらがなを漢字に直したり、段落をつけるために改行したり、幼稚な部分や稚拙な部分を直しているのだ。
@「朝日新聞」は、A少年自筆のものとされる「メモ」では平仮名でかかれている部分---「こわれやすい」「しゅん間」「こうふん」「と中」「急きゅう車」「ねむりました」「感しゃ」などを、「壊れやすい」「瞬間」「興奮」「途中」「救急車」「寝ました」「感謝」などとわざわざ漢字に書き替えている。
そうでもしなければ、高度な文体をなす「懲役13年」の筆者とはあまりにもかけ離れてしまうからに違いない。
A警察の発表にしたがって、「ハンマー」を「金づち」に表現を勝手に変えている。
B文章を改行して段落をつけるという加工をやっている。神戸新聞社に送りつけられた第二犯行声明やバモイドオキ神メモの文章には段落がない。けれども『フォーカス」(3月11日号)にはじめて掲載された「三年生になって」という作文(昨年【掲載者注 1997年】4月上旬執筆)は、一字下げて文章を書き始めている。これはなにを意味するのか。もともと「三年生になって」の文章のように一字下げがA少年の書き方ではないのか。第二犯行声明のような一字下げのない書き方は、A少年のそれではないのではないのか。だとすれば、バモイドオキ神メモは、犯行声明をまねしてA少年が事後的に書いたもの、すなわち検事に書かされたものではないかと推論しうるのだ。
C「犯行メモ」の標題の「バモイドオキ神」の「神」の字には「しん」という仮名がふられている。奇妙だ。自分の日記の漢字にわざわざ仮名をふる人など何処にいようか? A少年はこのメモを、自分のために書いたのではないのだ。他人に、すなわち広く社会的に浸透させるために、目の前にいる検事や刑事に書かされたのではなかろうか。「朝日」は、A少年の日記としては不自然であるこの振り仮名を意識的に消したのではないか。
D重要なのは、「ハンマーかナイフかどちらかで実験するか迷っていました」(『文藝春秋』)を「金づちかナイフかどちらで実験するか迷いました」(「朝日」)というように書き替えられていることである。「迷っていました」と「迷いました」とは時制が違ってくる。「迷いました」は、その日のうちに日記に書いたようになるが、「迷っていました」の場合には、かなりあとになって当時をふりかえるものになる。このことからしても、この「メモ」がかなりあとになって書かれたものであることは明らかである。そうだからこそ、この矛盾を取り繕うために「朝日新聞」では、「迷いました」というように書き直されたと考えられる。(「疲れていたようなのでねむりました」というまったく臨場感のない・他人事のような表現や「H9・3・23」という日付の間違いの問題については『続・神戸小学生惨殺事件の真相』15頁を参照)
しかも「朝日」に掲載のものは(『文藝春秋』も同様である)、わざわざ活字に変えられて公表されたのである。これは筆跡を隠すためでもあるにちがいない。
このように考えてくると、このメモは、そもそも本当に警察がA少年の自室で発見し、押収したものなのか、きわめて疑わしい。
なぜ「朝日」は改作したのか?
【掲載者注 パンフにある時制の違いの指摘について。
権力による情報操作の手先となった「朝日」
神戸事件についての「朝日新聞」の悪辣な報道---それは神戸事件にかかわっている警察権力の中枢に直結するルートを持っていないかぎり不可能なものである---それにとどまらない。「朝日」は家裁決定が下される10月17日の朝刊でA少年が天才型の「直観像素質」の持ち主であり、ニーチエやダンテの文章を瞬間的に記憶することができるかのように報道した。それは、第三犯行声明と呼ばれる「懲役13年」の文章が中学3年生にはとても書けないということをうちけし、あたかもA少年が「懲役13年」を書くことが可能ででもあるかのように社会的に印象づけることをねらったものではないだろうか。警察権力が、太いパイプをもつ「朝日」をつかって、家裁決定のまえにA少年=「直観像素質者」という情報を流したのにちがいない。
「少年は直観像素質者」と報じた「朝日新聞」(97年10月17日付)
「犯行メモ」などは検事調書にもふれられ、その存在が公表されているにもかかわらず、「懲役13年」だけはその存在がいまだに明らかになっていない。捜査本部がどこから入手したのか、いまだに明らかにされていない。公表された「懲役13年」はその文体・論理性・思想性などからして、A少年が筆者であるわけがない。日本ではじめての快楽殺人者としてA少年を仕立て上げるために、この矛盾を埋め合わせるための“理屈”として警察権力によってひねり出されたのがA少年=「直観像素質者」という“新説”なのだ。この説を社会的に流布する手先を演じたのが、「朝日」にほかならない。
「朝日」は漏洩された「検事調書」を掲載した文藝春秋社を非難している。しかし「朝日」も同罪なのだ。いや、「朝日」は、すでに半年も前に権力側から「調書」を漏洩されていたにもかかわらず、それをおし隠し、そしらぬ顔で「調書」を下敷きにしての連載「暗い森」を掲載しつづけたのであって、より悪質だといわなければならない。彼らが「暗い森」の連載第一回(97年10月18日)や98年2月28日の社説で「捜査資料」を入手していることを自認しているだけでなく、そもそも「暗い森」の連載は、「警察調書」「検事調書」およびそれらの添付書類、さらには精神鑑定書などを手にいれていなければ書けない内容であることは明白なのである。「暗い森」の連載にはこれらの資料の引用がふんだんに使われているではないか。左上に掲載した「筆跡鑑定」の経緯にかんする記事も、そのひとつである。
権力から提供された「捜査資料」にもとづいて、 兵庫県警が6月5日に「作文」を入手していたことを 唯一報じていた「朝日新聞」(97年11月11日)
「朝日新聞」は、他紙や文藝春秋社にさきがけていちはやく手にいれた「捜査資料」を、A少年を犯人としてデッチあげ、これを社会的におしとおそうとする警察の意にそうように加工して報道してきたのではないか。神戸事件において果たしてきた「朝日新聞」の悪辣な役割は、もはや明らかであろう。
「調書」は少年の取り調べを十分にしていない検事が
安倍 治夫 弁護士(談)
『文藝春秋』一九九八年三月号に掲載された神戸小学生惨殺事件に関する検事調書について、私たち「真相を究明する会」の会員が、二月二二日御自宅に安倍治夫弁護士を訪ねて、次のようなお話を伺いました。一、『文藝春秋』にのった検事調書はさっそく読んだ。しかし、そこで書かれていることは、あまりにも話がうますぎる。だいたい、あれは七月五日からの検事調書となっているけれども、勾留がついてからだと一週間(実働五日ぐらい、時間にして二〇時間くらい)もない。そもそも、検事が調書を作るのは大変なことで時間がかかる。はじめに人定事項などがあり、そのあとに生い立ち、家庭環境、犯行の動機、自供への経過などが続き、それらを何度もメモを作ってまとめるのにも時間がかかる。ところがあれは一足とびにそれらを省いて本論だけがスッキリと小説のようにキレイにウマクできあがっている。筋書通りに作ったという印象だ。
二、まず殺害については、もしあの通りだとすれば、人間わざを超えたオドロオドロしい重労働だ。靴のひもの話ひとつをとってもあんな器用なことは片手でやれることではない。右手で首をしめて、左手で石を掘り起こしたり、靴ひもをといて、輪をつくったりなどとてもできることじゃない。それにあんな長い時間格闘して殺しているのであれば、人間はそのあとヘトヘトで歩けなくなるほど疲労困ぱいし、全身が泥、血、汗まみれになるものだ、とても家にもどって正常な態度でいることなどできない。母親がまず目つきの異常や服装の異変(乱れやよごれ)などに気づくはずだ。
三、首の切断についても「首の皮一枚を残して」糸ノコを使ってキレイに切り取るなどということは不可能だ。また、ビニール袋にたまった血をのんだとされているが翌日にもなれば血は固まっており、のどにつかえて飲みにくくなるはずだ。「金属性」の味がしたというのもオカシイ。死体の鑑賞の話も残忍、冷酷で人間わざを超えている。万事不自然極まりなく、こんなことは、死体損傷の経験のない検事が想像を混えて書いたとしか考えられぬ。
四、「調書」というものは、ここでいわれている話の一〇分の一くらいの出来事であっても、その周辺の多くの具体的事実は無視できない。その場にいなければ分からないようなことが沢山入ってくるものなのだ。本当に少年が殺したのならば、あんな他人に聞いたような話にはならない。この調書では殺害相手の反応も出てこない。本当にやったものは、我々がどうでもいいと思うようなことも、本人自身が細かく覚えているものだ。そういう話がまったく出てこないのは、正しい取り調べを省略した調書だからだ。情況の具体性がまるでない。
五、この少年の文章は上手だ、といわれているが、とんでもない。私にはとてもよい文章を書ける人間とは思えない。美辞麗句を追うだけで、弱いものの悩みや悲しみを深く洞察できない人間に良い文章を書けたためしはない。この点については、小学生時代の作文だけでなく、中学一年、二年、三年になっての少年の作文を国語の先生から提出してもらえばはっきりする。なぜそれがでてこないのか。
六、冤罪というのは、警察が犯人をデッチ上げるだけではなく、検事が調書をデッチ上げるということは実際にあることなのだ。これまでもいろいろな事件がある。この事件では少年ではない違う大人の犯人が別にいると思う。
七、今後、この事件の真相を社会に広げるということも大切だが、まず両親の証言、解剖医の鑑定や少年の作文、国語教師の見解など具体的なところから事実を明らかにしていくために、「行動」することだ。私も身体さえよければ、すぐにも神戸に行きたい。
八、少年が神戸新聞社に送ったと言われる「犯行声明」なるものは、少年の書いたものではない。大人が少年の文章を真似るのは易しいが、子供は大人の文章を真似るのは不可能に近い。少年の作文を「犯行声明」と較べると、筆跡、文体、発想、論理があまりにもかけ離れている。
九、マスコミや社会は、少年が犯行を犯したことをまず不動の前提にした上で、『文藝春秋』の「調書」開示を少年法違反の人権侵害にあたるかを論争しているが、正しくない。少年が冤罪にはめられたとの前提に立ってみると、捜査情報の開示は望ましい分量の千分の一にも達していない。デッチ上げは国民の目の届かない闇室の中で行われている。
本当に少年が書いたものだろうか
(教授は文学史の講義で「懲役13年」を題材に
会 お忙しいところ、本日は貴重な時間をさいていただいてどうもありがとうございます。さっそくですが、最初に「懲役13年」を読んでどんな印象でしたか?とりあげられ、検討しておられます。)
教授 それにしても不思議なタイトルだなあと思います。「13年」とはどういう意味があるのだろうか。これまで少年が生きた人生が懲役囚としての13年だった、と表現してるのじゃないかと私は思,いました。
そして、なによりも驚いたのは、最後のダンテの『神曲』からの引用です。この箇所にこれを持ってくるか、と。これには、本当に驚きました。見事に決まっている。ふつう『神曲』を引用する場合、「第三歌」・地獄門の部分が最も有名で、よく使われます。鴎外も漱石も作品ではここを引用しています。しかし、この「懲役13年」では「第一歌」の冒頭を持ってきている。しかも、ここで引用を止めているのは非常に巧みだ。物語がこのあと展開する状況、荒涼とした地獄に迷いこんでいく様子を非常にシンボリックに暗示したものだ。引用の美学から言えば完璧です。そのうえ、この訳は、寿岳文章さんのもので集英社版のものです。ただし「私は」を「俺は」にし、「ますぐ」を「真っ直ぐ」といいかえていますが、普通の文庫本の訳とはちがうのです。少年が書いたとして少年はどのようにしてこの訳を知ったのか。
会 埴谷雄高さんがよく使う言葉がちりばめられていますね。
教授 そう。「死霊」「虚空」「宇宙」「深淵」……。これは埴谷的語彙です。埴谷の『虚空』や『闇の中の黒い馬』にも、宇宙の果てから宇宙の深淵を覗きこむ、というような表現もあります。これに非常に似ている。これらは、形而上学的な思弁の世界をあらわしたものです。「死霊」というのは、埴谷がドストエフスキーから受け継いだもの。この流れに高橋和巳がある。そういう文学的系統からすれば、この文章はその系譜にある。私たちの世代はこのような傾向の文章を読んでいたが、今は流行りではない。若い人は埴谷なんて読まないでしょう。中学の段階で読んでいるということは考えにくい。今の世の中に突如出てきたこの「懲役13年」にアナクロニズム的な感じさえしますね。なんで少年の文章にこんな語彙が現れたのか本当にびっくりする。
会 他の箇所はどうでしたか?
教授 「絶対零度の狂気」を見て、わたしはロラン・バルトの『零度の文学』を思い出しました。「 」がついているので何かの引用かも知れませんが、翻訳語彙だろうと思う。あと「魔物は、心の中と……」の箇所は『週刊文書』新年号によるならば、ウイリアム・マーチの文章からの引用らしい。「蝋で作ったバラのつぼみ……」などの箇所はまた引用であるようだがフランスのサンボリストがよく使う表現だ。象徴の理念、言葉の世界が現実以上に完璧だ、ということを言っている。これとよく似ている。あとニーチェの『善悪の彼岸』からの引用もあるが、これはロバート・K・レスラー著『FBI心理分析官』の冒頭の文章からの引用らしいが、少年はどこで読んだのかなあ。
それから引用のなかにも「 」をつけたものと、ないものとがある。「 」をつけたものは引用であるというメッセージがこめられている。ないものは巧みにカムフラージュされています。こういう操作がまことに巧みで、ある種の突出した才能を感じさせます。
文章全体をつうじて抽象度が極めて高い。思弁的な文章であり、この抽象化する能力がすごい。大部分が引用だとしても、これらの文章をどうして知ったのか、又、つなぎ合わせたのか。
会 作家や評論家のなかには「引用なら少年でもできる」という人もいますが……。
教授 普通の少年において、稚拙な文章をかくことと、このような抽象的なことを書ける才能が混在しているのが最大の謎ですね。少年にも書けるという人がいるようですが、あれだけの文章を寄せ集めるにしてもとても難しい。引用がつながっている。ある一冊に全て引用してあれば可能だが、しかし、そんなものは発見されてもいないし、誰も名のり出ていない。私には謎めいており、もっともっとこだわる必要があると思う。そもそもこれだけ短い文章でこれほど衝撃を与える文章はない。謎は深まるばかりです。私にはまだ多くのことが読み解けていないのです。もっと、問い続けていかなければならないと思います。
会 どうもありがとうございました。また、いろいろ教えてください。 (三月十日)
元北大法医学講座助手(談)
一、遺体の解剖をしてきた経験からすると、解剖した遺体の臭いがすごく、解剖後になっても、たとえば地下鉄などの人混みのなかで人の髪の毛の臭いが気になって気分が悪くなり、いやな気持ちになるものだ。また、肉が食べられなくなる。首を切った場合にどうなるかわからないが、恐らく同じような気分になるだろう。しかし、『文藝春秋』三月号で発表された「検事調書」のなかでは、首を切ったとされている少年のこうしたリアルな気持ちがまったく書かれていないのがまずおかしい。
一、法医学講座の解剖で、頭蓋骨を切るのに糸鋸を使っていた。固いものをすごい力を入れて切るという感じで、私は上手ではなかったので二〇分位かかった。
一、警察から依頼された解剖の場合、鑑識の人間が必ずきて遺体の写真をたくさん撮る。神戸事件の場合だと首の切り口のところや、首の紐の跡の部分は必ず写真を撮っている。その写真をみれば切り口が鋭利であることははっきりする。
一、「究明する会」のバンフで書かれている「頭部切断の真相」についての論述は書かれてあるとおりで、とくに、J君の死斑が「淡紅色」であったと言われていることからすれば、@一酸化炭素中毒死、A青酸中毒死、B死後に冷たいところに置かれていた時、の三つしか考えられない。
これは法医学をやっている者の常識です。教科書にも出てきます。錫谷徹(すずたにとおる)著『法医診断学』にでています。
J君は、首を絞められて殺されたのであるから、冷凍して切断されたとしか考えることができない。
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