神戸須磨区友が丘に行ってみました-3

アンテナ基地 高山文彦の詐術

 先日、前の頁で、チョコレート階段が山頂近くまで続くと書いてしまったのですが、これはまちがいで、チョコレート階段は、Uターンしてきたアスファルト道路と再び出会ったところで、おしまいになります。そこの左手がちょっとした広場にしてあり、土師淳君のために、童子の像が立てられ、たえず花が捧げられています。そして、右手に、大きな白い給水タンクが立っているのです。
 そこから先は、まっすぐ進もうとすれば、昔土砂崩れがあった跡の、粘土質の地肌がむきだしになった急斜面を登ることになります。供述書では、少年Aは淳君を連れて、そこを登ったことになっています。
 その斜面の写真をお見せできないのが残念です。いちおう撮ってはみたのですが、いい写真ではないので割愛しました。
 この斜面ばかりがアンテナ基地へのルートではありません。いっしょに見に行った後藤弁護士たちは、左を少し迂回して、木々の間に踏み固められた小道を歩いていきました。右からタンクの裏を回ると、笹の間に隠れるような、もっと細い道があって、それもアンテナ小屋に出ます。

アンテナ基地の入口前に到着
アンテナ基地の入口
 これ、このとおり、結構ひろびろとしたスペースを普通に歩いてきて、アンテナ施設の前に着くのです。
 誰でも来られるところです。
 入口から右の方には、人が一人は普通に歩ける小道が通じています。それはアンテナ基地の前(がけに面している)を通り、やがて、笹の間に隠れそうな小道となって、タンクの後ろに着くのです。
 下にお見せするのは、上の写真より左手に寄った場所です。後藤さんたちがアンテナ基地前に来たところで、上の写真の入口前のコンクリートで固めた地面に立っています。

 やまもも・・・
 こんなに何人もの人達(私達は総勢20人でした)が、立ち話をしたり、見回ったりすることができる場所なのです。
 アンテナ基地の前で少年が淳君と格闘したり、遺体を施設の床下に隠したりすれば、このあたりを通る人や警察犬に、すぐに見つかってしまうはずです。
 写真左に写っているのは、タンク山一帯にいくらでもある山桃です。
 ここで、次の文章をお目にかけます。
 雨が上がると、山の中は緑の匂いであふれ返った。湿りけをおびた草いきれのなかには獣の匂いも混じっていて、露を払いながら藪をかき分けて行ってみた小さな窪地には、この森の主と思えるような大きな山桃の木が一本、ほかの木立から離れたところにどっしりと立っている。幹は一本ではない。どれが主幹なのかもわからない。地を割って生まれ出た幹は一本から二本、三本、四本、五本と自在に繁殖し、蓮のように中天に向かって優雅にひらいている。身をくねらせながら四方に伸び上がっているそれは、いまにも蛸の足みたいに轟く気配を漂わせている。
 山桃の木は、その容貌以上に際立った特徴をもっている。幹の一本一本にこれでもかというくらい鋭い刃物で無数の人間の名前が隙間もなく刻まれてあるのだった。それは大勢の人間に寄ってたかって蹂躙されたような、あるいは、たったひとりの人間に時間をかけて嬲りつくされたような姿である。ここ数年のあいだのことだろう、傷口はまだひらいてはおらず、若い。
 この木がある場所はアンテナ施設の入口の真下なのだが、そこへは道をつたって行くことはできない。入口から急な斜面を一気に降りていくか、下の山道から蜘蛛の巣を払いのけながら這い上がっていくしかない。人目につかぬ山中の、なおも人目につかぬ場所にそれは密かにあって、モニュメントのごとく鎮座しているのだ。
 私は「彼」が切っ先の鋭い…竜馬のナイフ」で幹を切り刻んでいる姿を夢想する。それら無数の傷が少年Aによって刻まれたものなのかどうかは定かではない。彼の本名も酒鬼薔薇聖斗の名も、風車マークやハーケンクロイツのマークもない。ただ、それが同一人物のものかどうかはわからないが、彼の知り合いの生徒と同じ名前もそこには見える。「タンク山の地理は、誰よりも僕が一番良く知っている」(供述調書)と豪語しているからには、ここへも来たことがあるはずだ。
(「捜査資料に見る少年A『家族の風景』(中編)
高山文彦
新潮45 1998.8
 すでに前頁の写真でもおわかりの通りの、ほんの丘にすぎない「タンク山」。そこに笹が繁って、木々が生えていても、そのへんにいくらでもある、新興住宅街の中にかろうじて残った、なけなしの丘陵地の名残にすぎない。
 そこで、獣の匂いまで嗅ぐ、この人はよほど鼻がいいのか。
 アンテナ基地の下に窪地? 山桃の大木? そんなものはどこを探してもなく、比較的大きなものでも、上の写真ていどです。アンテナ施設のまわりをぐるりと回ってみたのですが、幹に人の名前が刻んである山桃というのも、どこにも見あたりませんでした。
 「そこへは道をつたって行くことはできない」とあります。この「そこ」というのは、何をさすのか、ということです。うっかりこれを「アンテナ基地」のことだと思っても、不思議はない。「それ」でなく「そこ」だから、なおさら。
 ところが、よく読むと、これは山桃のことなんだ。
 なんだい、こりゃあ?
 アンテナ基地に近づくのに邪魔になる山桃があるなら記事のネタになるけど、なんのために、アンテナ基地から山桃に近づかなきゃならないんでしょう?
 そもそも、アンテナ入り口から始まる急斜面といったら、粘土質の土砂崩れのがけ以外にないのです。このがけ以外、アンテナ施設の周りは、入口に通じる普通の小道か、あるいは背後の籔や林だけですから。
 こういう文章を書くのは、高山文彦が現場に行ったことがない証拠です。
アンテナ基地周辺、がけ、山桃などの図

 アンテナ小屋の右のほうは、すべて籔。小屋の周囲にめぐる金網の柵の前に細い道があり、それが籔の中を通って、右の方へかなり行ってから、手前に降りてきて、タンクの右手を通る。
 上記引用の文章の直前、記事の冒頭には、
 雨がタンク山の緑を打ち鳴らしはじめた。森のなかでは傘をとりだす手間もなく、私はケーブルテレビのアンテナ施設から少し離れた山道でひと休みしていた。
 その道を東へ行けば給水タンクを経てチョコレート階段へとつづき、反対に北西へ行けば少年Aが淳君の頭部を持って下りていったという北須磨高校側への出口にたどり着く。その道の途中から尾根へのぼる踏み跡道を行くと、やがて刃物のように屹り立った岩場に出、まもなくして馬の背のようななだらかな尾根に出る。踏み跡道はそこからしだいに下っていくが、しばらくいったところで突然、終わる。眼下に高層住宅の駐車場が見えている。古くは修験者たちが行き交った山の道である。その尾根にのぼってときどき烏の啼き声を真似て叫んでいると、下の団地のほうから烏たちが二、三羽やって来ては、興味ありげに木々のあいだを飛び交いながら啼きわめいた。
(同前)
なんていう文章もあります。
 「修験者」といわれると、深山幽谷然としますが、修験者などは、どこの山も歩いたでしょうから、こんなところにも来なかったとはいえない、というまでの話です。高山文彦が、ほんとうにあそこに行ったら、こんなものものしい文章を書く気にはなれないでしょう。
 まさに「講釈師、見てきたような嘘を言い」
 高山文彦の書くものは、どれもこの調子で、どうでもいい話で読者の目をくらまし、自分が作ったわけでもない東西の小説や詩を長々と引用して、ムードを醸し出しつつ不労所得を得る本ばかり。 まさに「ノンフィクション作家」の面目躍如たるものがあります。吉岡忍(*)は、この男に上前をはねられた・・・。

【*吉岡忍は「文藝春秋1997年9月号」で、「酒鬼薔薇のルーツ」と題して、少年Aの両親の出身地をあばいている。こんなことには、何の意味もない。その後、神戸在住のその地の出身者たちから問題を指摘された吉岡は、その人達によれば誠意を示して、自分の非を認めているという。このネタを横取りしたのが、高山文彦で、酒鬼薔薇の両親の出身地を暴いたのは高山だ、とすら言われているが、これは間違い】

(02年3月13日追加)
女性セブン2002年1月末の号(必要な頁だけ破りとったら、日付が不明になってしまった)「酒鬼薔薇聖斗が出てくる」にこんなことが書いてある。

高山氏はこういう。「(中略)また、別の心配もあります。彼の犯罪について共鳴している人物も多い。極端なことをいえば彼を超えるには彼を殺すしかないわけで、名声をあげるためテロの意思を持つ人物がいてもおかしくないと思います。」

 こんな空想を逞しくして、何が楽しいのか。こんなことより、私は、真犯人グループが少年を抹殺する恐れのほうが大きいように思うのだが。

(02年4月3日追加)  少し古くなりましたが、2月17日の産経新聞のコラムに高山は、少年A出所のことを書いています。

「酒鬼薔薇聖斗」の帰還
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 酒鬼薔薇聖斗が社会にもどってくるという報道が最近、雑誌メディアで相次いだ。今秋にも、という話である。
 (中略)
あれだけの凶悪事件を起こしておいてたった五年で出てくるとは…納得いかないのは被害者やその遺族だろう。

 どうもAをめぐる関係者はAに対してバラ色の将来を見すぎているような気が私にはする。(中略)

 償いの問題があるので、出所したら被害者や遺族にだけは居所を教えるべきだろう。透明な存在は、被害者である五家族との関係において実存しつづけなければならないはずだ。

 (中略)いずれ私は彼に会いに行く。そして、書けとすすめる。悔恨や反省を並べたてるだけの手記のたぐいではない。自己の欲念や殺人衝動、なぜあの酷たらしい殺害の対象が知的発育障害者である土師淳君でなければならなかったのか、学校や家族の物語をふくめて一点の嘘偽りも許さない極私的ドキュメントである。怪物の文学である。

産経新聞2002.02.17 東京朝刊 【斜断機】


 自分は会いに行く資格があると思い込んでいる、この傲慢さはどうでしょう。これが、マスコミの過剰取材による被害を生み、報道規制の法案に一定の説得力を与えてしまうのです。

 人権の意識も真実追求の志もない、たんなる「表現の自由」だけでは、民主主義を破壊する腐敗菌でしかありえません。それは、人々の生活の役に立つことなど毛頭思わず、利潤追求に狂奔する資本の「自由」と同じことだからです。

 高山は、少年が医療少年院で書いた「小説」を目にしているはずです。あの水準の文章力で「懲役13年」が書けたかどうか、疑問すら覚えないようで、「作家」と名乗るのも、おこがましい。

 吉岡忍といい、高山文彦といい、ルボライターだったはずの人が作家になってしまう例が目につきます。『少年Aの深層心理』などという「創作」を書いた矢幡洋が、作家から心理療法士に肩書きを変えたのは、事件にプロットを借りないと小説を書けない自分の限界を悟ったからでしょうか。

まえ
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