「キルケゴール君」の作文『掟』

「作家」森氏の推奨する「独特の美しい文体」

【以下は、週刊ディアス2002年1月31日号から写しました。週刊ポスト2002年3月9日号の記事に引用されていたのもこれと同一ですが、このほうが本文以外の要素も含まれています。作家を志しているというキルケゴール君には済みませんが、天才的文章力をもって鳴らした、かの酒鬼薔薇氏がこの文章の作者かどうかを考えるため、以下、語釈を加えます。】

掟 第10回
「サクラの思い出」 ある春の日、
春日風太郎の脳裏に突如
蘇った昔の記憶、その内容を800字で。
サクラのとらえ方は木、人名、地名など自由。
プロフィール
春日風太郎 かすが ふうたろう 19歳
一昨年大学受験に落ち、浪人生活を試みたが挫折
いくつかアルバイトをしたがどれも長く続かない曖昧な日常。
「俺の人生このままでいいのか」と、ぼんやりしている今日この頃。

題 愛想笑いに手には名刺を

 『桜木町』、『桜木町』。僕の横から現わ
れた彼女に風太郎は書きかけの手帳を慌てて
仕舞い込む。彼女の口許には絶えず微笑が刻
み込まれているがまだ、十代のあどけなさが
残っている。
 「この乗物は、桜台町二町目まで行きま
すの?」はっと我に返った僕は職業心が芽生
える。まだ間もない身ではあるが。
 「奇遇ですね。私の地本なんです」
 僕の脳裏に幽かな戦慄が流れる。サクラの
匂い。そして、項垂れる僕に励ましの肩を貸
してくれる先生。
 『桜台町』、『桜台町二町目です』
 あ、彼女がいない。慌てて車を降りる。
 いたっ今にも蜃気楼のように桜並木の側に
消えつつゆく彼女。僕は後を追う様に足早に
歩く。ちょうどすぐそば九本目の桜並木の側
まで来た所、「探偵さん」声が掛かる。振り
返ると、傍らに背広を着た男性が。まずい、
予定外のことに焦って、カメラを模索する。
 「私達、籍を入れたのよ。」やはりそうか、
 「それはそれは、どうも実は俺、日本野鳥
保護の会の者で…」という風太郎は証明を手
に思う。依頼不通はこういうことだとは。
 「もう良いんですって」…。手元に残った
清算金と、彼女の残した言葉。
 僕は、サクラの木に凭れ掛かる。風太郎の
周りの木々がざわめき立つ。そして、サラク
の匂い、項垂れる風太郎に優しく進学を断念
させて下さった桜子教師の香り。
 その戦慄が、風太郎の脳裏を又、掠める。
僕は手帳を取り出す。心のままに記してみた
くなったから。
        ―オキテだらけの挑戦 

【意地悪なつもりはないのですが、お読みになって、どうですか? うまい文章だと思いますか?
 甘い感傷的な雰囲気を感じさせているのは、おそらく筆者の意図通りなのですから、失敗作と決めつけるわけにもいかないでしょう。
 主人公を「ぼく」と言うのと「風太郎」と言うのを混在させて(「彼女」と「桜子先生」もですが)、特異な効果をねらっているのがわかります。
 ただ、この文章は未成熟です。言葉の使い方があやふやなため文を弱めている箇所、独り善がりな表現に陥っている箇所、既成の言い回しに頼ったために格調を下げてしまっている箇所など。また、句読点のうちかたと改行の仕方がぞんざいです。酒鬼薔薇は、そういう視覚的な効果もきちんと計算して文章を書いていました。
 ここには、酒鬼薔薇氏の、あの、効果を十分に計算しつくしたような、いやらしいまでの達者さはありません。むしろこの初々しさのほうが好感がもてますが、これすなわち、この筆者、キルケゴール君が酒鬼薔薇氏ではない、何よりの証明なのです。

 なお、タイトルの前に書かれている解説みたいなものは、原稿用紙欄外に書かれていたものですが、これは、少年院が説明をつけるよう指示したらしいことが、森氏の記事から窺えます。】

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