7月12日、ついに、神戸家裁は、A君の収容延長を決めました。(記事参照)
今回も判決をくだしたのは井垣康弘判事です。
井垣さんについては、私は、昨年の夏に行われた改正少年法に関する高校生とのディスカッションでの様子を紹介しました(「井垣さん、大丈夫?」)。
その中で、井垣さんは、非行少年は、なるべく普通の環境で、人とまじわるなかで立ち直らせるべきだ、という、すごくまっとうな考えを述べていたものです。
あの温顔に笑みを見せながら「できれば彼女なんかもいて・・・」と付け加える井垣さんは、好感が持てました。井垣さんは、このとき、ドストエフスキーの『罪と罰』の最後のくだりを思い浮べたのでしょうか。
その井垣さんにとって、今回のような判決は、信念に反しているはずです。
今回の判決を出すさい、井垣さんが懸念したと思われることが、まず3つあります。
被害者の親たちが納得しない。
Aに会いに行く、などと書いた高山文彦をはじめとする、マスコミの連中がA君を放っておかない。
私たち、A君の無実を信じる人間が、A君に近寄ってくれては困る。
2年間の延長で、これらの懸念が少しでもなくなるかといえば、そんなことはありえません。
とすると、井垣さんは、これから先も、できるかぎり収容期間を延長していくほかないのでしょうか?
いったい、2年半にもせよ、収容延長を、A君はどういう気持で受け止めていることか。
その年月が彼にとって深刻な影響を及ぼさないことを祈るほかありません。
箱に品物をしまっておくのとは、わけがちがいます。人間を単にひとつの場所にずっととどめておくだけでも、しかもさまざまな意味で感受性の敏感な、また十分な人生経験もない人間が対象であれば、害にはなっても、益にはならないことを、井垣さんが知らないはずはないのです。
井垣さんが、世間を気にして収容を延長するほど、A君にとっては、害のみ甚だしくなっていくでしょう。
こうして延長された収容の間 に、A君は贖罪を始めるということですが、いったい何をどう贖罪するんですか?
これまた井垣さんらの対世間的配慮以外の何ものでもありません。
せめてもの好材料は、こんな「贖罪」のかたわら、出所後の就労先との信頼関係構築、両親との宿泊訓練などによる親子関係の調整、も行われるという点です。
しかし、ここで思いあたるのですが、じつは上記のほかにもうひとつ、井垣さんの念頭にはこんなこともあったのではないでしょうか。
あと2年たつと、神戸事件の捜査で少年を騙して自白させた警官、検察官の特別公務員職権濫用罪は時効になるのです・・・
世間の圧力に負けて信念に反する拘留延長を決定し、しかも、またもや警察検察の不正を手助けしたのだとすれば、井垣さんは、二重に晩節を汚したことになります。
そうまでしても、私達「A君寃罪」を主張する人間とA君の接触を阻まなければならないような何かが、確かにあるのでしょう。