神戸事件(1997年)をめぐる
主な疑問点・争点50項目

戸田清  (長崎大学環境科学部助教授)
  2001年6月29日
「また嘘を書くために飛ぶヘリコプター」 岩田信義
 神戸事件は物証も目撃証人もなく、自白のみで非行を認定されたA少年はいまも医療少年院に収監されている。
 自白の信用性の判断基準(草加事件判決、最高裁2000年)である
  (1)秘密の暴露、
 (2)自白と客観的証拠の整合性、
 (3)自白を裏付ける客観的証拠、
 (4)自白の変遷、
も全く満たさない。
 自白と遺体所見の矛盾も印象的。
 ますます高まる冤罪の疑惑。

公式発表

1.神戸事件をめぐる兵庫県警の公式発表は、回数が少なく時間も短かった。
  それはなぜか
。   他方で膨大なリーク情報が垂れ流された。
  公式発表は4回(熊谷2001:192。参照箇所は著者、年、頁数を示す。頁数はしばしば省略する。以下同様)。
    (1)5月27日午前(頭部発見)、
   (2)同日午後9時4分(解剖結果)、
   (3)6月28日午後9時35分(A少年逮捕、5分間)、
   (4)7月15日(A少年再逮捕、10分間)。

2.山下課長の5月27日記者会見は明晰であったのと対照的に、6月28日の記者会見はしどろもどろであった。
 「凶器はナイフ」「刃渡りは何センチですか?」「わかりません」(安倍1998:51)にその杜撰さは象徴されている。
  しかも、会見の時間もおかしい。
  A少年逮捕は午後7時過ぎ、家宅捜索開始は逮捕直後、家宅捜索終了は午後12時ころであった。
  ところが記者会見は午後9時過ぎに行われている。
  家宅捜索が進行中であるのに、凶器などがわかるはずがない(熊谷2001)。

違法捜査

3.神戸家裁少年審判最終決定の第四項目でいうように6月28日に警官がだまして取った自白が違法なら、同日に「だまされたままの人」から検事が取った自白も違法のはずである。
 本上弁護士も1998年に「検面も排除すべきだった」と述べている(戸田1999b、熊谷2001:29)。
 少年がだまされたことを知ったのは8月4日であった。(野口1998)

4.だましてとった自白は憲法38条違反であるとの1970年の判例があるので、違法であることに加えて違憲でもある(後藤1999、戸田1999b)。
 今回も虚偽自白の疑いが強い。

第二頸椎

5.5月27日の山下課長発表の内容は、なぜ新聞報道されなかったか。
 重要なのは
   (1)死因が扼殺(扼頸)による窒息死であったこと、
  (2)第二頸椎下部を鋭利に切断されていたこと、の2点である。
 このことの報道は、
  (1)1997年9月発行の毎日新聞単行本『少年』(毎日新聞社1997:64)と
  (2)1998年4月発行の朝日新聞単行本『暗い森』(朝日新聞社1998:18、朝日新聞社2000:20)だけであった。
 あと「第二頸椎」が警察リークとして『週刊文春』1997年6月12日号に、
 神戸大学法医学龍野教授インタビューとして1997年10月発行の神戸事件の真相を究明する会第2集に出ただけである(戸田1999b)。
 すなわち「第二頸椎情報」は雑誌と単行本、パンフレットに4回(朝日文庫を入れると5回)流れただけで、一切新聞報道されていない。
 朝日新聞連載「暗い森」(1997年10月18日〜11月15日)でも第二頸椎への言及はない。
 もし第二頸椎問題が詳細に報道されていれば、A少年犯人説があれほど容易に流布定着することはなかったであろう(熊谷2001:125)。
 「社会学者は第二頸椎に関心をもたない」(徳岡秀雄教授発言1999年)

6.第二頸椎切断であったにもかかわらず、検面調書はバラバラ事件でのふつうの頭部切断(仰向けにしてノドボトケ付近すなわち第五頸椎付近)のようにしか読めない(検面1997=1998:123)。
 仰向けで第二頸椎を切断するためには、頭部をのけぞらせるのが自然である。
 しかしアンテナ基地には後頭部を入れる大きさの溝や窪みはなかった。
 この矛盾についての説明責任は放棄されている。

7.通常の第五頸椎付近切断では頸部が大きく残って安定が悪いので、地面においても首がごろんと倒れてしまう。
 第二頸椎を切断したのは頸部がほとんど残らず安定し、地面に置いて目線が45度上を向いて安置されることを目的としたとしか考えられない。
「さらし首を目的とした理想的な切断面」を少年が考えつくだろうか(熊谷2001:123)。
 不可能ではないにしてもきわめて不自然である。サレジオ事件(1969年)とは違う。

扼殺

8.死因が扼殺であったことを山下課長は5月27日に明言している(毎日新聞社1997:64、朝日新聞社1998:18、朝日新聞社2000:20)。
 しかも6月9日、6月12日、6月21日などの報道(いずれもA少年逮捕以前であることに注目されたい)によれば右手のみで扼殺したという(熊谷2001:79)。
 6月21日の報道で舌が突き出された状態になっていたと指摘されているが、これも扼殺の所見である(熊谷2001:141)。
 ところが検面調書のストーリーによると、両手で扼殺を試みたがういまくいかず、靴紐を解いて絞殺に移行して殺したとなっている(検面1997=1998:114〜116、熊谷2001:78)。
 家裁への送致事実(毎日1997:210)でも家裁最終決定(朝日2000:249)でも「両手と靴紐で絞めて殺した」と認定されている。
 この矛盾についての説明責任も放棄されている。

9.自白では口を開けられず舌を切り取れなかったとしているが、舌が歯のあいだに突き出されていた遺体所見と矛盾する(熊谷2001:141)。

死斑と凍結

10.死斑の色は淡紅色で通常より赤っぽいと龍野教授は証言している。
 これは一酸化炭素中毒、青酸中毒、凍死に近い状態だが、一酸化炭素中毒と青酸中毒が否定されるので、凍結や冷蔵しか残らない(究明する会1997b、安倍1998:47、熊谷2001:70)。
 死斑の色についての説明責任が放棄されている。

11.淳君の遺体発見は5月27日であるのに5月24日昼に食べたカレーライスが胃内でほとんど消化されていなかった(安倍1998:101、熊谷2001:138)。
 その理由についての説明責任も放棄されている。
 たとえば殺害直後に急速に凍結されたとすれば説明できる。

12.凍結説によって
   (1)赤い死斑、
  (2)消化されぬ胃内容、
  (3)内蔵が多いためふつうは胴が頭より先に腐るが、逆であった、
  (4)鋭利に切断、
  (5)土中の血液検出、
  (6)頭部の濡れ、
などの謎が一挙に説明できるが、凍結説の検証が放棄されている(安倍1998:48、熊谷2001:149〜154参照)。

その他遺体関係

13.少年の自白では午前1時から午前3時に頭部を校門前においたとしているが、午前5時5分に新聞配達員は頭部を目撃していない(熊谷2001:116)。

14.頭部は少なくとも3回置き直されている。
 地面にも塀の上にも置かれている(安倍1998:30〜31)。
 少年は162センチ、塀は198センチであった。
 約4キロの頭部をひとりで塀の上に置くことは困難である。
 大人2人が肩車して置くことは容易である。
 校門前の道や校門前の丘の上の道を走る新聞配達員やクルマを見張る人も必要である。
 頭部の置き直しは大人3人であれば容易である。

15.土師守氏によれば淳君が家をあとにしたのは5月24日午後1時40分であった(土師1998、熊谷2001:138)。
 『週刊現代』6月21日号によれば殺害推定時刻は午後2時頃である。
 少年の自白で時間をかけて格闘して殺したというストーリーと矛盾する。

16.A少年の自白では格闘の末淳君を殺したことになっているが、遺体には格闘の跡はなかった(熊谷2001:74)。

17.アンテナ基地に遺体切断の形跡はなかった(安倍1998:36、熊谷2001:140)。

18.アンテナ基地に置かれた死後3日の遺体の死臭が気づかれないはずがない(安倍1998:37、岩田2001:82)。

物証

19.7月6日に見つかった金ノコギリからルミノール反応は明らかでない(安倍1998:55)。
 「物証の欠如」(自白のみで物証も目撃証人も皆無である)の1例である。
 このことも追及されていない。

20.7月6日に金ノコギリが発見されたが、7月5日の検面調書でも7月7日、7月9日の検面でも糸ノコギリと言っている。
 知っていたはずの検事が訂正していない。
 7月17日の検面で突然「金ノコ」に変更されている(安倍1998:115)。

21.5月28日の報道にあるように電動ノコギリによる切断が疑われたが(安倍1998:41)、そのことの検証がない。
 金ノコギリで切ったとは考えにくいと整形外科医が証言している(安倍1998:42)。

22.すり替えのきかない南京錠は発見されていない(安倍1998:55、熊谷2001)

23.家宅捜索で見つかったタライからも風呂場からもルミノール反応はない。
 「物証の欠如」の1例である。
 このことも追及されていない(究明する会1999b)。

24.タライは返却されることなく所有権を放棄させられている(A少年の父母1999、究明する会1999b)。
 このことも追及されていない。

懲役13年と挑戦状

25.「懲役13年」によく立ち読みできる岩波文庫のダンテ『神曲』ではなく、ダンテの壽岳文章訳(集英社1987年)が引用されていることは不自然である(戸田1999b)。

26.「懲役13年」に「プレデター2」(1990制作、日本公開1991)が引用されている。
 ビデオ「プレデター2」の字幕よりも引用文のほうが英語の直訳に近い。
 A少年の英語力との整合性はどうか(戸田1999b)。

27.「懲役13年」にニーチェやロバート・レスラーが巧みに引用されている(戸田1999b、安倍1998:83)。

28.「懲役13年」の文章の巧みさはA少年の国語力と整合しない(岡田2000、岩田2001)。

29.「酒鬼」や「殺死」は中国語の素養を示唆している(戸田1999b)。

30.挑戦状・犯行声明とA少年6年生の作文の筆跡の違いが安本美典教授(言語心理学)によって指摘されている(安倍1998:69)。
 神戸大学の魚住教授も同一筆跡としがたいと述べている(魚住2001:220)。

31.「懲役13年」というタイトルが不思議である(安倍1998:83)。
 神戸事件が起きるまでは犯罪少年の少年院収容期間は3年であった。
 1997年9月8日の法務省通達で「最長26歳まで」となった。
 それを6月頃に「先取り」したA少年は「予知能力」があったのか。

32.第二挑戦状の投函場所の郵便局の消印が「神戸西局」から「須磨北局」に変更された(安倍1998:57〜60)。
 その根拠の説明責任が放棄されている。

2月事件と3月事件

33.3月事件の犯人は水平に強打しており、左利きである。
 ところがA少年は凶器を振り下ろしたと供述しており、しかも右利きである(熊谷2001:40〜44)。
 この矛盾についての説明責任も放棄されている。

34.2月事件の被害者は「赤い顔の若い男」としか言っていない。
 しかし当時のA少年は両手に荷物を持って通学していた。
 そのことが記憶に残らないはずはない(熊谷2001:39)。
 この矛盾についての説明責任も放棄されている。

その他

35.黒いごみ袋を持った中年男と黒いブルーバードについての目撃証言の一転無視(安倍1998:33、熊谷2001)に関する説明責任が放棄されている。
 こちらのほうがむしろ真犯人グループにつながるのではないだろうか。

36.警察は目撃証人の聞き取りに不熱心であった(安倍1998:34、熊谷2001)。

37.検面調書によればA少年は首を置きに行くために2階から出入りしたことになっている(検面1997=1998:136)。
 ところが2階からの出入りはほぼ不可能の状況であった(安倍1998:131)。
 この矛盾についての説明責任も放棄されている。

38.A少年が淳君と連れだってタンク山に向かったところは目撃されていない。

39.町の中や池の周辺を頭部を持って歩き回り、目撃されないのは不自然ではないのか(安倍1998:124)。

40.自白では自転車で出かけたとなっているが、両親の手記で歩いて出かけたことがわかった。
 シナリオが時間的にくずれてくる(究明する会1999b)。

41.インターネット上の文字の疑問が解明されていない(岩田2001:69〜75)。

42.6月7日の元同級生調書だけが根拠でA少年に絞り込まれたと推定されるが(熊谷2001:55)、この問題についての説明責任が放棄されている。

43.神戸新聞社の佐藤公彦氏が指摘したように「猫の舌の瓶詰め」「同級生の前歯を折った」等は誤報であったが(究明する会1998b)、そのことについての訂正記事がない。

44.いつものように神戸事件でも逮捕直後からマスコミの犯人視報道や「学者文化人」の犯人視コメントが氾濫した。
 推定無罪原則はフランス人権宣言(1789年)や世界人権宣言(1948年)に明記されている。

45.西鉄バスジャック事件(2000年)や池田小学校事件(2001年)のような現行犯逮捕でない限り、法の建前・形式からいっても、有罪判決が出るまで(少年の場合は非行を認定した家裁決定が出るまで)無罪を推定されなければならない。
 神戸事件の場合は、1997年10月17日(家裁決定)以前に本を出すのは無責任である。
(たとえば小田晋、町沢静夫両氏。社会学者宮台真司氏も逮捕直後から犯人視コメントを始めた。戸田1999a参照)。

46.A少年に問診していない精神科医・心理学者や面接していない社会学者がコメントしたり、犯人説で本を書くのは無責任である。

47.A少年犯人説に疑問を投げかけること自体をとがめる変な雰囲気がある(岡田2000:238)。

48.朝日新聞社『暗い森』の単行本と文庫本の写真差し替え理由が説明されていない(戸田2001)。

49.精神鑑定は捜査側の枠組みでA少年犯人説を前提としたものだったと推定される。

50.6月28日の捜査状況が異常であった。両親から隔離され、同日に警察官と検察官が警察で調書をとっている(後藤1999、2000)。

●説明責任の放棄と国営詐欺・マインドコントロールを許してはならない。

文献
朝日新聞大阪社会部編1998『暗い森』朝日新聞社
朝日新聞大阪社会部2000『暗い森』朝日文庫
安倍治夫監修・小林紀興編1998『真相:神戸市小学生惨殺遺棄事件』早稲田出版
岩田信義2001『校長は見た!酒鬼薔薇事件の真相』五月書房
魚住和晃2001『現代筆跡学序論』文春新書
岡田啓2000『脱学校化社会』駒草出版
熊谷英彦2001『神戸事件を読む:酒鬼薔薇は本当に少年Aなのか?』鹿砦社
現代社会問題研究会1998『神戸事件の謎』解放社
検面1997=1998「1997年7月5日、7月7日、7月9日、7月10日、7月13日、7月17日、7月21日検面(検事)調書、立花隆解説」『文藝春秋』1998年3月号
神戸事件の真相を究明する会1997a『神戸小学生惨殺事件の真相』第1集
神戸事件の真相を究明する会1997b『神戸小学生惨殺事件の真相』第2集
神戸事件の真相を究明する会1998a『神戸小学生惨殺事件の真相』第3集
神戸事件の真相を究明する会1998b『神戸小学生惨殺事件の真相』第4集
神戸事件の真相を究明する会1998c『神戸小学生惨殺事件の真相』第5集
神戸事件の真相を究明する会1998d『神戸小学生惨殺事件の真相』第6集
神戸事件の真相を究明する会1999a『神戸小学生惨殺事件の真相』第7集
神戸事件の真相を究明する会1999b『神戸小学生惨殺事件の真相』第8集
後藤昌次郎1999『偽計捜査を許してはならない』警察・検察の不正の告発を支援する会
後藤昌次郎2000a『新局面を闘う!神戸事件違法捜査の告発』警察・検察の不正の告発を支援する会
後藤昌次郎2000b「論争:見すごせない『神戸事件』の違法捜査」『週刊金曜日』10月27日号
後藤昌次郎2001a 『A少年はいかにして犯人とされたか』警察・検察の不正の告発を支援する会
後藤昌次郎2001b「少年Aは推定『無罪』!」『諸君!』10月号 文藝春秋
少年Aの父母+森下香枝1999『少年A この子を生んで』文藝春秋
戸田清1999a「神戸事件と恥ずかしい知識人たち」究明する会第7集所収
戸田清1999b「神戸小学生惨殺事件の文理融合(学際)的考察」『長崎大学総合環境研究』2巻1号
戸田清2001「神戸事件を考える」『根』長崎高教組長崎支部
野口善國1998『それでも少年を罰しますか』共同通信社
土師守1998『淳』新潮社
毎日新聞大阪本社編集局1997『少年[小学生連続殺傷事件・神戸からの報告]』毎日新聞社


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