少年Aが酒鬼薔薇ではない11の理由
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3 犯行声明の筆跡はA少年ではない
少年を「任意同行」(実質は強制同行)し、別の署に母親を連れていき、家には父親をつなぎとめて、孤立状態の少年を尋問した警察は、少年が「物的証拠はあるんですか」と尋ねたのに対し、「それはここにある」といって、兵庫県警科学捜査研究所の筆跡鑑定のコピーをひらひらさせたと言います。これを物的証拠だと思い込んだ少年が、自白したというのですが、その筆跡鑑定は、じつは、少年が中学の授業で書いた作文と酒鬼薔薇犯行声明の筆跡を比較したもので、これらを同一人のものと断定ですることは困難だ、という結論だったのです。
ところが、警察は、同一人のものだと判明したのだと偽ったわけです。
ここで当然浮かぶ疑問は、ではなぜ、少年は、無実であることを知っているはずなのに、「物的証拠」が出ると、折れてしまうのか、また、なぜ、小学生殺傷死体損壊遺棄事件の前に起こった少女殺傷事件については、早い段階で、自分がしたと認めてしまったのか、ということです。それについては、ぜひ、後藤昌次郎弁護士の力作『偽計捜査を許してはならない』および『A少年はいかにして犯人とされたか』を、さらに、寃罪によって犯人とされてしまう被疑者の心理を研究しておられる心理学者、浜田寿美男花園大学教授の著作(岩波新書『自白の心理学』など)をお読みいただきたいと思います。
それと、このページの末尾に参考資料としてあげた、草加事件の判決書もぜひ読んでいただきたいと思います。いくつかの寃罪事件を見ていると、警察や検察というのは、少なくとも「犯人をあげなきゃ」という気持に突き動かされるだけでも、とんでもないエラーをやるものだという印象が深まります。それとともに、日夜、雑多な事件を追いかけるマスコミが、いかにいいかげんに物事を扱うものかということも。
以下は、少年が犯人と信じることが、いかに困難であるかを示す、物的・状況証拠(の欠如を含む)です。
4 遺体に抵抗の跡がない
被害者のお父さんは、警察から、遺体には抵抗した跡がないと聞かされています。
土師守さんの手記『淳』(新潮社)の中に、そうはっきり書いてあるのです(100頁)。
「供述」では、雨上がりのぬかるみで数十分も首を絞められて暴れたと供述されているのに。
しかも、抵抗もしないうちに殺すなどということが、少年にできたでしょうか?
5 死斑の色
友が丘中学校門前に置かれた首は赤い色をしていました。
普通の死斑は紫です。
赤い死斑ができるケースは特殊です。それは、遺体が低温保存されたとき、一酸化炭素や青酸カリで中毒死したときです。
しかも少年Aは切断翌日の首の色は青ざめていたと「供述している」のです。
死斑はこんな変化はしません。
つまり少年は遺体を実際に見ていないのです。(*)
なお、死斑については、その位置---死体が一定の姿勢で置かれた場合、体の前にできるか、後にできるか---も、大きな事件の手がかりになります。その点については、「再審申立書」(↓)をご参照ください。
6 少年が、思いつきでできる手口ではない
供述書ではくりかえし、犯行が計画性のない思いつきであると述べられています。
しかし、あの頭部切断の仕方は、人に見せることを意図した、プロのレベルの仕業です。
はじめての子どもが思いつきでできることではありません。
7 頭部切断の道具
プロのレベルというのは、たとえば、頚部の切り口はなめらかであることです。
これはまた、少年が「供述」しているように金のこや糸のこを使ったのでは不可能です。
しかも、七月五日から七月一七日まで六回もの取り調べで、少年Aは、糸ノコで被害者の首を切ったと「供述」していて、一七日の取り調べになって金ノコと「言い直し」ています。
供述のほかのところを見ると、少年は大工道具や工具が好きで、万引きして集めていたそうです。
そんな、いわば工具マニアの少年が、こんなまちがいをするはずがありません。
検察が誘導・教唆した「自白」だから、こういう矛盾や破綻が生じるのです。
警察、検察が勝手に作った文章でも、それを被疑者に向かって読み上げて、「これでいいな?」と聞き、被疑者が頷けば、それが「被疑者が供述した」とされます。
この、切り口の問題についても「再審申立書」(↓)のなかの、内藤道興教授の鑑定を、ぜひお読みください)
8 あの日に頭部切断は不可能だった
アンテナ基地で頭部を切断したとされる頃合い、現場は警察とPTA が警察犬を動員して山狩りの最中。 遺体の工作はできません。
9 南京錠
少年は、J君を殺害したあと、遺体をしまっておくために、その現場のケーブルテレビ用アンテナ施設の柵を開けようとして、戸の南京錠を切ったと「供述」しています。
ならば、その南京錠こそ、いちばん有力な物的証拠でしょう。
それが発見されていません。
なぜでしょうか。
南京錠を切ったなら金属粉が出たはずですが、現場にも遺体にも金属粉はついていません。
つまり、南京錠を金のこで切ったというのは、嘘なのです。
もし本物の南京錠が発見されたりしたら、この嘘がバレてしまいますから、警察は困るのです。
付近の池にマスコミをおおぜい集め、警察官を多数動員して、どこにでもありそうな金ノコを探し出した警察は、なぜか南京錠は見つけられないのです。
ルミノール反応(↓)もない金ノコが「発見」されたとき、テレビ朝日のニュースステーションで、久米宏キャスターは、いみじくも「こんな金ノコが捨ててある池って、いくらでもあるでしょうねえ」と語っていました。
久米さんが、この視点を一貫させてくれなかったことが惜しまれます。
10 ルミノール反応
少年が土師淳君の死体から頭部を切断した現場と「供述」しているタンク山のケーブルテレビ・アンテナ施設では、血痕を検出するルミノール検査に、反応がありません。
警察が捜索して向畑の池から「発見」した「凶器」、金のこにもルミノール反応はありません。(凶器は、ナイフではなかったでしょうか??)
少年は、切り取った淳君の頭部を家に持ち帰り、風呂場で洗って、髪もとかしたと「供述」していますが、その自宅の風呂場にもルミノール反応はありません。
ルミノール反応というのは、血液が最大五○万倍に薄まっても現れます。
11 少年の文章力
少年の学校での作文と、酒鬼薔薇の犯行声明や「懲役13年」では、文体や思考能力のレベルが違いすぎます。
誰が書いたとも知れない文章を証拠に、平凡な少年が天才的なモンスターに仕立てられているのです。
以上は、A君の寃罪を示す事実のほんの一部です。詳しくは、
「保護処分取消申立書」、
「神戸小学生惨殺事件の真相」、
「神戸事件(1997年)をめぐる主な疑問点・争点50項目」(戸田清氏作成)
をご覧ください。
*少年は自分が犯人だと「自白」していながら、犯人ならば知っているはずのディテールを知らずにいることを暴露してしまっています。これを「無知の暴露」と言い、寃罪事件では通例といっていいのです。(浜田寿美男『自白の心理学』岩波書店45頁)。
少年は現場を見ていない、と同様に、警官も検事も現場を見ていません。でも、警察官や検察官ともあろうものが、こんな法医学の初歩のようなことを間違えるだろうか? という疑問を、あなたは感じませんか?
その疑問には、非常に明快に「事実、あの人たちも法医学の初歩でつまづくことはよくあるのです」とお答えすることができます。
一九九九年初めに逆転無罪判決が出された草加事件は、そのほんの一例です。戻る
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