まだ始まっていないイラク戦争 


アイジャズ・アハメッド

「フロントライン」(インド)5月9日号

【イラクで米国は勝利を収めたはずなのに、まだ手間取っているようだ・・・そんな報道がもう3カ月続いてきました。
 しかし、ブッシュの戦争が正義だなどと信ずる人が牛耳っている日本のマスコミは伝えませんでしたが、世界の見方は必ずしも米国の「戦勝」を認めてはいません。すっかり古くなりましたが、インドの週刊誌「フロントライン」(「ザ・ヒンドゥ」紙の発行する週刊誌)の5月9日付の記事「まだ始まっていないイラク戦争」は、そんな見方を代表するものです。

 大量破壊兵器などなく、イラクがニジェールからウランを輸入したというのもブッシュの嘘だったことが判明し、アルカイダとの関係まで含め、ブッシュとブレアの戦争正当化理由のことごとくが疑われ、否定されようとしている今になっても、イラクで、民衆に怯えながら駐留し、命を落とし、また彼らの命を奪いながら暮らしている米軍兵士たち。
 日本政府は、自衛隊員を同じ目に遭わせようとしているのです。自分達の息子ではないからです。ブッシュ政権の提灯もち、シオニストの犬みたいな日本の大新聞の政治部や外信部の記者なども、考えは同じでしょう。階級というものを感じないわけには行きません。
 以下の記事を読むと、大量破壊兵器査察官のスコット・リッター氏も、米国の大敗を予測していたことを思い出さないわけにはいきません。】

イラクの戦争は終っていない。それどころか、まだ始まってすらいない。この国は、フセイン体制が侵略者と取引をした結果、内部から裏切られたのだ。人民の抵抗は現在、延期されたままである。

 ウムカスルは、クウェート国境まぎわの、軍事上なんの重要性もない人口数千人の小さな町にすぎない。それが同盟軍の最初の標的となり、2週間の熾烈な戦いに耐えた。同じ期間、石油基地ファオ半島全体で、イラク軍は、大量の戦車攻撃と空爆を、自軍の軍機による援護を一切受けられずに、しのいだ。また、ナシリア、バスラ、聖地と聖人と神学校があるだけで、なんの活気もないカルバラやナジャフをはじめ、大小無数の都市や町が、この2週間を持ちこたえた。過去10年間に米英の空爆によって守られたクルド族が支配するようになっていた北部のキルクーク、モスルも、この2週間には陥落しなかった。

 南部の諸都市や町々を包囲するには、大量の兵士と武器が必要だったので、同盟軍が首都攻略を準備するためには、3週間の休止が必要だと軍事専門家は見ていた。バグダッドへの補給線は伸び切っており、砂漠の中を急行したのだから、なおさらである。バクダッドの人口はおそらく600万は下らず、まだ空軍も火砲も装甲車も使われず、名うての共和国防衛隊も、市街戦のための完全な装備をもっていると伝えられたサダム・フェダインもまだ出動していなかった。第二次大戦でのドレスデン空襲をさらに大規模化したような戦闘がないかぎり、バグダッドは、要塞都市となって、米英陸軍の攻撃に長期間持ちこたえると見られていた。

 しかし、攻撃の小休止はなく、大規模攻勢も一切なかった。バグダッドは反撃しなかったのである。フセイン体制はとにかく消えた。ウムカスルをはじめ何十もの都市や町が2週間陥落しなかったのに、首都バグダッドは、戦闘もせずに、3日で、全体が降伏した。それは、米英軍のはるかに優れた兵器、イラクにまさる火器、侵略の第一夜に始まった史上空前の空爆のためだという神話が作られつつある。反戦運動の側でさえ、騙されやすいむきはそれを真に受けている。

 だが、事実は、バグダッドは兵器によって陥落したのではない。バース党体制が米国と取引をし、バース党政権閣僚および共和国防衛隊司令官、サダム一家に対する数々の厚遇と引き換えに、首都防衛を断念したことによって、陥落したのである。取引の詳細はまだ審らかではないが、容易に推測できる。安全な避難地への移送、国庫資金の山分け、そして、米国が今設置しようとしているポスト・サダム体制で多くのサダム政権閣僚を高位にありつかせることだ。米国はずっと、バース党とフセイン体制の官僚機構の多くを新体制に吸収すると言ってきた。だから、その通りになるだろう。

 サダム・フセインの野蛮な恥ずべき経歴は、裏切りで始まっている。1959年、22歳のとき、その前年の王政打倒を指揮したアブデル・カリム・カセムの暗殺を図ったCIAに手先として雇われた。

 1979年、彼がアハマッド・ハッサン・アル・バクル大統領に対する宮廷クーデタに成功したのは、彼をイスラム革命のイランに対抗させようと考えた米国が支援したからだと、広く信じられている。そして実際、彼はその翌年に米国と共謀してイランに攻め込んでいる。フセインが米国と衝突したのは、クウェートに攻め込んだ時だった。米国の手先となって権力を得、のちに邪魔者になったのは、ベトナムのゴ・ディン・ディエム、フィリピンのフェルディナンド・マルコス、パナマのノリエガと変わりない。

 こうした歴史的経緯に照らすなら、サダム政権が崩壊したのは米国との取引のおかげだと見るのが、妥当だと思われる。この取引を、彼自身が自分の延命のためにしたのか、下位の者が彼に背いてしたのかは不明である。また誰がそんな取引を取り持ったのかも明らかではない。おそらく、かつてボリス・エリツィンがスロボダン・ミロシェビッチに抵抗を断念させたように、ヴラディミール・プーチンが仲介の役を買ったのだろう。裏切者は友に裏切られるというのは、往々見られることである。

 取引は、今やその詳細が明らかになりつつあり、関連するいくつかの事実がいまなお謎に包まれているとはいえ、状況証拠は圧倒的に、取引があったことを示している。政府と軍の中枢がそっくり、跡形もなく消え失せてしまったのだ。事実、高位の司令官の大半は、戦争開始直後に姿が見えなくなった。中心的指導者、たとえば、サダムの悪名高い二人の息子、ウダイとクサイ、タハ・ヤシン・ラマダン副大統領、タリク・アジズ副首相【訳注 米国に投降し保護されている】、国防相、厚生相等々が、みな見えなくなってしまったのである。ラムズフェルド米国防長官は、過去数週間の声明の中で繰り返し、米国はバース党政権幹部と軍上級司令官と交渉中であり、彼らに安全な通行を保障し、その他の者には戦後の政権での地位を保障すると言ってきた。

 共和国防衛隊がどうなったかは誰にもわからない。彼らは雲散霧消してしまったのだ。そして「埋め込み」取材をしていた記者やカメラマンでさえ、大規模な戦闘や軍による殺戮の場面を報道したことがない。第一次湾岸戦争のときには、退却したイラク軍に対して、米国は爆撃による殺戮を行なったし、夥しい数の死体をブルドーザーがならして、大墓地にしたのだ。当時、サダムは、油田に火を放った。今回は、取引不成立の場合に備えて、導火線は仕掛けられていたが、ついに点火されることはなかった。

   イラクには約500機の軍機があったと言われる。飛行機は、米英空軍に比べて劣るとしても、世界貿易センター事件で示されたように、ミサイルとして使うことはできる。だが、そうはならなかった。米軍戦車は幹線道路を走ったが、道路は、バグダッドに近い地点でさえ、爆破されなかった。米戦車が市内に入るために通った橋梁には、導火線がしかけられていたが、爆破されることはなかった。戦車は市内の目抜き通りに到達し、そこで散発的に起こった小火器による市街戦に遭遇した。米軍兵士たちはあちこちの広場に戦車を停め、そして何事も起こらなかった。彼らは、ただ戦車の上に坐って、火つけや略奪を眺めていた。

 フセインが権力、軍事力を独占していたイラクでは、他に米国に抵抗しうる勢 力が存在しなかったので、トップがいなくなって初めて、民衆の闘争が始まった。政 権が 早期に降伏したからといって、民衆や下位の兵士たちの闘志が低いのでは ない。彼らは、再植民地化には抵抗しつつも、サダムから解放されたことは喜んでい る。  イラク人の抵抗は、こうして延期された。本当の戦争はこれからである。そのた めの指導部は今後数カ月内に出現しよう。  すでに抵抗は始まっている。米国の退役将軍ジェイ・ガーナーによってナシリアで 開かれた暫定政権発足会議は、「ノー・トゥ・アメリカ、ノー・トゥ・サダム」を叫 ぶ2万人のデモに迎えられた。

 イラクでは、1963年にバース党政権となるまで、共産党がアラブ諸国では最大の規 模をもっていた。いまは、世俗の政治勢力はなきに等しく、反体制勢力は、イスラム の導師を中心にモスクに集まる。
 米国による占領が始まって2週間もすると、金曜日の礼拝が大衆蜂起動員の場とな った。  4月18日に、バグダッドの一角、アブ・ハニーファにある、アル・ヌーマン・モス ク(スンニ派)では、シーア派、スンニ派、クルド人 合同の集会が開かれ、反米闘争を叫ぶ平和的なデモが行なわれた。一方、首都の東部 地域に住むシーア派の貧困層は、街頭を占拠し、炊き出しや医療などの福祉活動を展 開している。
 イスラム教の聖職者たちが結集し、意思決定機関をもち、全国的連絡網を組織し、 国防委員会を設置した。  イラク社会の正常化と、人民の救済と、米国による傀儡政権と並立する平行国家の 行政組織の設立とをめざす人民闘争が始まっているのだ。
 クートなどの都市では、聖職者が自治体の長になる例も見られる。  地方では、米兵との衝突も見られ、民衆の間には、自爆テロも辞さずの声が聞かれ る。世俗の武装集団があちこちに結成されている。
 これから始まる戦いは、長期にわたるもので、現代兵器は役に立たない。都市には 、周囲の市町村が後 背地となる。

 ただし、都市の中も地区による分離があって、民兵どうしの縄張り争いが起こるだ ろう。武器商人は、この離反に乗じて儲けるだろう。この分離が、反植民地闘争の最 大の課題となろう。しかも、米国は、イラクを植民地化するばかりでなく、民族、人 種、宗派による分裂や、宗派内部の分裂、また言うまでもなくバース党と非バース党 、拷問者と拷問を受けた民衆、対米従属派と愛国者の離反ももたらした。
 イラクを中央集権的にまとめ、断固として世俗化を進めたことは、フセイン政権の プラスの面であった。それが崩壊し、これからは、群雄割拠の状態になる。米国は、 イラク人がまとまって抵抗するのを防ぐために、この分離を利用するだろう。これは 、米国が元々予測し、めざしていた事態である。すでに北部では、クルド族によるア ラブ人に対する民族浄化が始まっている。

 イラクでのあまりにたやすい勝利に浮かれた米国は、さまざまな理由をつけてシリ アへの侵略の折を狙っている。
 だが、イスラムによって、二重権力状態が生まれつつあり、米国は、この国を軍事 的に征服することはたやすかったが、和平はそれよりはるかに困難だということを知 っていくだろう。
 シリア、イラン、サウジをはじめ中東を速やかに征服するというネオコンの計画は 、今後抑制されたものになり、シリアイラク情勢に左右される。イラクの抵抗が弱いほ ど、シリア侵略は早まるだろう。

(以下略)
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アイジャズ・アハメッド 
ジャワハルラル・ネール大学教授。インド共産党の立場に立つ評論家。
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上記の記事の一部を以前あるMLで紹介したところ、ある人から意見をいただきました。
概略次の通り。

フセインは非難されるべきだろうか。
第二次大戦で敗北直前に日本軍は、フィリピン、インドネシア、パプアニューギニア、中国などの島民を皆殺しするような残虐行為をした。沖縄の島民も、アメリカ軍より日本軍に殺された人が多かったとみられる。
これに比べ、フセインが抵抗らしい抵抗をせずに陥落したことは、「国民への裏切り」ではなく、 犠牲者を比較的少なく抑えたと見ていい。

冷酷な独裁者だったとしても、無駄な抵抗をすることで市街戦となって犠牲者を増やした り、あるいは、国民を道連れにするような残虐行為をしなかったことは評価したい。「人間の盾」についても、米英同盟軍の攻撃のさなかに、彼らを受け入れ、最後 まで彼らの安全を確保する努力をしたと、人間の盾として現地に行った日本人が報告している。人間の盾に死者が出なかったのは、アメリカ軍が攻撃しなかった、危険な時はイラク政府側の 担当者が呼びに来て避難させたからだ。

片や、いまの日本の独裁者は、憲法改正、天皇を元首に、自 衛隊をしかるべき尊敬される地位になどと公言し、自衛隊をイラクに送ろうとしている。武器携帯で米軍支援に行く「日本軍」は、イラクの人たちに敵視されるにちがいない。

 これは、言い換えると、戦争をやめるほうが、続けるよりもましだから、裏切りと呼ぶ べきではないということでしょう。
あるいは、裏切りによってであれ、戦争を早期に終結させる ほうがまし、とも言えるでしょう。私は、それには賛成します。

 ただ、フセインが国民を裏切らずに戦争を終えるとしたら、いさぎよく敗戦の宣言を出 し、投降するなり、自殺するなり、ロシアなどに亡命するなりすればいいでしょう。 しかし、フセインは、明瞭に戦争をやめるとは言わずにいつの間にかいなくなったのです。そ うでなければ、あの戦争は、バグダッド陥落の日に終了していたでしょう。

   人間の盾については、どれだけ評価すべきか、わかりません。外面(そとづら)はよくても 、国内で国民を弾圧しているならば、むしろズルいといったほうがいいかもしれない からです。これはもちろん、米軍が人間の盾を殺さないように努めたなどということとは同列ではありませんが(米国側は射撃をやめるだけですむが、イラク人が人間の盾を保護するのは命懸けでしょう。ただしそれはフセインの命ではありません)。

 イラク国民の抵抗が、ほんとうにアハメッドの言うような形になるとしたら、米軍、イラク人民の双方に多数の死者を出し、周囲の中東諸国の情勢にも影響する大問題ですが、アメリカがいまの傲慢な姿勢をかえないかぎり、その可能性があるの ではないでしょうか。アメリカに対する嫌悪からか、サダム・フセインに同情的な人が、反戦派の中にも少数いるように思われますが、感心できません。どこの国の権力者であれ、権力者をうかつに信用するべきではないのです。

 アイジャズ・アハメッドという筆者について、私はほとんど知りませんが、大 学教授で、文芸評論家でもあるそうです。ブッカー賞を受賞した女性作家アルンダティ・ロイの小説に関して、彼 が、教条的な論を述べたという話をネットで読んだかぎりでは、国家 主義的な、父権的な傾向をもった人かもしれないとの印象を受けています。

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