斎藤昭彦氏の弟の記者会見


「<邦人拘束>どんな使命感で行ったのか 斎藤さんの弟が会見」 (毎日新聞 5月10日) という記事に載っている斎藤の弟の発言は、日本に従来多い極めて問題の多い思考法を 典型的に示しています。

 午後5時過ぎから始まった会見には博信さん1人が出席。博信さんと二人暮らし の 父、正蔵さん(72)は体調を崩し、会見に姿を見せなかった。博信さんは席に着 と、「今日は兄のために……」と切り出したが数秒間、おえつした。その後、「日 本 国民の皆様にご心配をおかけしまして、誠に申し訳なく思っております」と深々と 一 礼した。


 日本国民に申し訳ない? どの日本国民に? 
 せいぜい政府をはじめ一部の人が気をもんでいる程度です。
 イラク戦争反対の立場からすれば、ああいう人が出てきたことが、右寄りの動きに でもつながるといやだなあとは思いますが、この人は、そんな人たちのことは念頭に ないでしょう。


 なにより、兄がイラクのひとたちに迷惑をかけて済まない、という一言がどうして 出てこないのでしょうか。

武装勢力には「兄は重傷を負っていると聞いている。せめて手当てをしてもらいた い
」と訴えた。さらに、「思っていることはありますが……、(兄の拘束が)イラク の
ためになるのか」とも語った。
ともあります。

 この括弧内が彼の考えを正しく伝えているのだとしましょう。

 この人は、兄がハート・セキュリティに入ってイラクに行ったことがイラクのためになるのか 、とは考えもしないようです。だから、政府に望むことは、と聞かれて、自衛隊派 遣を支持している、などと答えるのでしょう。

 私なら、政府の皆さんにご迷惑をおかけしますが、私には大切な兄であり、父には かけがえのない息子です、どうか救出されるようお計らいください、とでも言います 。家族はそれくらい言う権利がある。それでかまわないでしょう。

 こういうふうに、自分の家族を進んで人身御供として権力者に差し出すような人間 こそが、多くの人にとって迷惑なのです。

 斎藤さんという男は、イラクの人にしてみれば、侵略軍の手先です。
 誰に頼まれたのでもないのに、「自分の可能性を試すため」とか、あるいは1日6 万円(月百何十万!)の収入のために・・・

 だから、イスラム法学者協会の親日派の導師、アブドゥル・サラーム・アル・クバイシ師(2004年4月の人質事件で救出に尽力してくれた人)が、今回は協力できないと言っているのです。日本の人々は、このことの意味を軽く見すぎていませんか。

 それに彼はイラクで人を殺していないでしょうか? 

 もしそうなら、イラク人にとってはテロリストであり、日本の刑法によれば、第3 条の国外犯の規定に該当します(こんなことを5月11日朝刊1面のコラムで書いた東京新聞は えらい)。

 ああいう生き方を選んだ人について、同情をするのは、本人の尊厳にも反するでし ょう。
 私は、ああいう人じたいに悪意はもちませんが、彼には同情的で、ファルージャの人質になった高遠さんら3人には自己責任を叫んだような日本人の逆よいこ的メンタリティには怒りを覚えます。

 彼は自衛隊に不満だから、自分の充実した生き場所を求めてフランスの外人部隊に入っ たのです。
 したがって、自衛隊が撤退するかしないかなど、彼には関係ないことだと思います 。

 それを、自衛隊撤退無用などという話につなげてしまったのは、弟の勝手にすぎな いだろうし、私たちにとっては、それこそ大変迷惑です。

 人道的活動や、劣化ウラン問題の調査のためにイラク入りした日本人人質には自己 責任などと騒いだマスコミから、今回、自己責任という言葉が聞こえないのは、この 言葉のばからしさを人質事件で学んだからだとも思えません。何事につけ、あべこべ で、愚劣な日本のマスコミです。

 「聖なるものを犬に与うな。また真珠を豚の前に投ぐな。おそらくは足にて踏みつけ、向き返りて汝ら を噛みやぶらん」--マタイ伝福音書7章6節。


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