保護処分取消申立書

一保護処分の取消しのための職権の発動を求める申立

【原文の誤記はすべて「ママ」としました】


当事者 別紙当事者目録記載のとおり

申立人らは、貴庁に対して以下のとおり職権を発動されることを申し立てる。

2002年5月23日

申立人 後藤昌次郎(弁護士)
同   伊佐千尋(作家)
同   岡田義雄(弁護士)
同   酒井博(大須事件元被告)
同   里上譲衛(大阪経済大学教授)
同   品野実(元毎日新聞記者)
同   壽岳章子(国語学者)
同   瀬川負太郎(小倉タイムス代表)
同    妹尾活夫(牧師)
同   戸田清(長崎大学助教授)
同   永見寿実(弁護士)
同   前田知克(弁護士)
同   水永誠二(弁護士)
同   生田暉雄(弁護士)
同   樺島正法(弁護士)
同   川村正敏(弁護士)
同   マイケル・フォックス(兵庫短期大学助教授)
同   森下文雄(弁護士)
同   山口民雄(弁護士)
同   矢澤昇治(弁護士)
同   渡辺千古(弁護士)

神戸家庭裁判所 御中

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第1 申立の趣旨

神戸家庭裁判所が、1997年(平成9年)10月17日、別紙当事者目録記載の少年に対しなした保護処分(医療少年院送致)決定を、職権をもって取り消すとの裁判を求める。

第2 本件事案の概要

1 1997年(平成9年)2月から5月にかけて、神戸市須磨区で小学生が連続して殺傷される事件が発生した。いわゆる「神戸児童連続殺傷事件」(神戸事件)である(以下本件一連の事件とも言う)。この事件は、当時大きな社会問題となったが、とりわけ5月24日(以下とくに断らないかぎり年度は、1997年=平成9年をさす)に発生した小学6年生の土師淳君(以下B君)の殺害事件(以下本件)は、その残虐性、猟奇性において世間を戦慄させたことは記憶に新しいところである。

2 本件は発生後、警察のリークなどをもとに、マスコミ報道により、「黒いブルーバードの男」とか「中年の男」が犯人像とされてきた。また神戸新聞社へ送られてきた「犯行声明」の文体などから、「相当の教養のある20歳以上のもの」ともいわれてきた。

3 ところが6月28日、一連の「神戸児童連続殺傷事件」の犯人として、別紙当事者目録記載の少年(以下A少年という)が逮捕され社会を驚かせた。

A少年は、同日兵庫県警警察官により、自宅から一人、兵庫県警本部に「任意同行」され、取調べの結果、一連の「神戸事件」について、「自白」をしたとして逮捕されたものである。

4 A少年はその後、神戸地裁によって勾留され(延長)た後、神戸家裁へ送致され、観護措置、精神鑑定留置を経た後、審判に付され、10月18日、神戸家裁井垣康弘裁判官によって、「神戸児童→

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連続殺傷事件」すべてについて、非行事実を認定されたうえ、今後「精神分裂病、重症の抑うつ病等の重篤な精神障害に陥る可能性もある。これらを予防しあるいは、早期に治療するためにも、熟練した精神科医がおおむね週に1度は診察する必要がある。」などとして、医療少年院送致の保護処分を決定された(本件保護処分決定)。同決定は、少年および付添人らから抗告がなく確定し、A少年は、東京府中市の関東医療少年院に送致収容された。

5 井垣裁判官は、本件に関するA少年の6月28日の警察官に対する自白は、警察官の偽計を用いた取調べによるものであるとして、同自白調書および警察官に対する全供述調書を違法収集証拠であるとして証拠から排除した。しかしながら検察官調書については毒樹の果実の理論の適用はないとして事実認定の証拠とした。

6 ところでA少年の逮捕の直後から、とりわけB君に対する件(本件)に関してA少年が犯人とされていることにさまざまな疑問が指摘されてきた。

第3 申立の趣意

申立人らは、いずれもA少年の保護者=法定代理人ではないことはもちろん、親族でもない。その両親とも親族関係はない。そもそも、A少年とも、その両親とも会ったこともないのである。

このような、A少年本人とも、その家族とも一面識もない申立人らが、A少年の本件保護処分について見直しを求めているのである。それはなぜか。

1 
(1) 本件は、A少年が逮捕された直後から、さまざまな立場の人々によって、果たしてA少年が本当に犯人なのだろうかとの幾多の疑問が提起されてきた。第2で述べたとおりであり、さらに、第6の1で具体的に指摘するとおりである。

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A少年と本件とを結びつける証拠は、ほとんどがA少年の自白のみである。本件審理にたずさわった関係者(複数)から仄聞するところによれば、A少年と本件犯行を結びつける物的な証拠は存在しないということである。

(2) ところでA少年は、第2で指摘したとおり、6月28日朝、兵庫県警の警察官によって、理由も告げられず、ただ一人、兵庫県警本部に「連行」され、両親とも切り離された中で、本件を含む一連の事件について取調べを受け、本件については当初否認をしていたところ、警察官らの偽計を用いた取調べによって泣きながら犯行を認め、この「自白」を最大の根拠として逮捕、勾留され、「自白」を重ねた。

このような経緯のため、神戸家裁(井垣康弘裁判官)は、本件決定に当たって、A少年の警察官に対する供述調書すべてを、違法に収集された証拠であるとして証拠から排除した。このことは井垣裁判官が、みずからが公表した「決定要旨」で明らかにしているところであるし、A少年の付添人らも公表しているところである。

ところが、井垣裁判官は、警察官と平行して取調べられ、録取された検察官調書(最初のそれは、A少年が偽計によって「自白」をした直後、未だ逮捕もされていない段階で録取されてい.る。)については、「言いたくなければ言わなくてもよいのはもちろん、警察で言ったからといって、事実と違うことは言わなくてもよい」と明確に告げてからA少年の供述を求めていることを理由に、毒樹の果実の理論の適用はないとして証拠能力を認めた。A少年が本件を犯したことを結びつける直接の証拠は、この検察官調書以外にないのである。

井垣裁判官が、検察官調書に竜樹の果実の理論の適用はない→

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と判断したことには大きな疑問が残るものである。

ところで本件の弁護方針について、非行事実なしとして終局的に不処分を求める方向で行くのか、付添人らの間では激論が交わされたということである。これが成年であれば当然事実を争うことになるが、少年法の目的から逸脱するのではないかという考えもあるとして、付添人らは、結局、少年の意思によりどちらの方針を選択するか決めることにしたところ、A少年は、第2回審判の後、「理由はよく分らないが」、疲れた、事実を争わず、早く審判を終了してほしいと言い出したので、非行事実について争わず、事実をすべて認めることにし、本件決定についても抗告をせずに確定させてしまったというのである(この点については、少年の付添人らが公表しているところである(たとえば本上博丈弁護士の『季刊刑事弁護No14』掲載の「神戸事件の自白排除例」)。

まことに残念な判断といわざるを得ない。いうまでもなく証拠能力の認められない自白を事実認定の証拠から排除する重要な根拠の一つは、その「自白」が真実を述べていない危険性があるからにほかならないからである。A少年の付添人らは、A少年が逮捕前から「自白」をしていたことから、予めA少年が犯人であるとの予断を抱いてしまっていたものと考えざるを得ない

(3) このようにA少年の「自白」(検察官に対する供述)を事実認定の証拠とするには重大な疑問があるうえに、申立人らが知りうる検察官調書には、第6で詳しく指摘するとおり、客観的な事実と決して相容れることのできない幾多の重大な疑問が存する。これらの疑問を具体的に検討していくならば、誰しもがA少年が本件の犯人ではないのではないかとの強い疑いに行き着かざるを得ないと考える。

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このようなA少年が本件の犯人であると認定するには、極めて重要かつ合理的な疑問があるにもかかわらず、この疑問を氷解させることなく、座して見過ごし、A少年に本件の犯人のレッテルを冠せたままにすますなどということは社会正義に著しくもとるものと申立人らは考えるものであり、申立人らにおいて到底なしえることではない。

(なおもとより申立人らは、A少年の検察官調書を直接知る立場にない。しかしながら文藝春秋社発行の月刊誌『文藝春秋』1998年3月号に「少年Aの犯罪の全貌」と題して「A少年の検察官に対する供述調書」11通が掲載された。申立人らは、諸般の事情から、同誌掲載の文書は、実際の検察官調書とそれほどかけ離れていないのではないかと考えるものである。申立人らは、この『文藝春秋』誌上に掲載された「検察官調書」をもとに以下の主張を進めるものである。)

2
(1) A少年の両親は、1999年4月、『「A少年」この子を生んで』(文藝春秋社刊)という著書を著した。その中で、両親、とりわけ母親は、A少年が逮捕されて後も、A少年が犯人ではないとの思いにとらわれていた心情を吐露している。それはたんに母親として信じたくないとの心情からの思いからくるもののみではない。それは、日常的に接している母親としては、本件事件の当日および事件後のA少年の挙措動作、様子などから、A少年が本件の犯人であるとの心証を得ることに強い違和感を覚えさせたことによるものであることが随所に窺えるものである。両親は、A少年が「自白」をしたこと、裁判所が「有罪」と認定したこと、そして付添人らが抗告をしなかったことなどをもって無理に「有罪」を納得させてしまっていることがその文章などか→

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ら垣間見ることができるものである。

両親としては、かなうことなら、A少年のために、本件について、再審査の機会があることを願っているものと申立人らは、確信するものである。

(2) また、A少年自体は、審判開始後、警察官によって騙されて自白をしたということを知って、珍しく感情を露にして激怒したという。しかしその後、A少年は、「疲れた」として事実を争わず、審判の早期終了を意思したのだと言う。騙されて犯人に仕立て上げられたA少年が、やけになってしまったと考えられる(捜査官によって自分が犯人だと思い込まされてしまったということも十分考えられるところである)。ほかならぬA少年自身、本件審理のやり直しを願っているものと申立人らは考えるものである。

(3) 申立人の一部は、この4年間、親族やA少年の付添人らを介して、両親と接触をとろうと幾度となく試みた。本件は冤罪ではないかと考えていることとその根拠について伝え、ご子息の事件の真実を明らかにするために、裁判所に再審査(保護処分の取消申立)を求めることを勧めるためであった。

しかしこの申立人らの面会の願いは、理解できないさまざまな妨害のために、残念ながら今日まで実現していない

A少年が逮捕されて後、本件の残虐性や猟奇性などから、A少年に対するはもとより、両親に対するバッシングはすさまじいものであった。両親は、まるで、全国民から“非国民”として、集中砲火を浴びせかけられているかのような感を呈した。両親・家族は、社会から身を隠し、名も変え、社会の片隅で逼塞して暮らすことを余儀なくされた。息子が犯人ではないなどということを声に出していうなどということなどとてもできる→

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ような状況ではなかった。それは今も変わりはない。両親としては、心底においては、もしかなうものなら、本件の審理をやり直してほしい、本当にA少年が犯人なのか再検討してほしい、このように切望しているものと申立人らは、確信する。

申立人らは、本申立は、このA少年本人はもとより、両親の意にかない、そして社会正義の実現のために絶対に必要なものであると信ずるものである。

A少年や両親・家族とも一面識もない申立人らが、あえて本申立をなす所以である。

第4 申立人らが本申立をなしうる法的根拠について

1 少年法27条の2第1項は、「保護処分の継続中、本人に対し審判権がなかったこと、又は14歳に満たない少年について、都道府県知事若しくは児童相談所長から送致の手続きがなかったにもかかわらず、保護処分をしたことを認め得る明かな資料を新たに発見したときは、保護処分をした家庭裁判所は、決定をもって、その保護処分を取り消さなければならない。」と規定する。この取消事由には、非行事実の不存在も対象になるとされている(昭和58. 9. 5最高裁決定「みどりちゃん事件」)。したがって、この保護処分の取消申立の規定は、再審的性格をも有すると解されている。

2 ところでこの保護処分取消の申立は、少年本人及ぴ親権者、そして付添人でもない第三者においても、裁判所に保護処分を取り消す職権の発動を促すことをなしうると解すべきである。以下その理由を述べる。

(1) 前記最高裁決定以後、非行事実の不存在を理由とする少年法27条の2第1項の申立権は、少年と法定代理人にあるとされ→

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ている。しかしこれは、非行事実の不存在を理由とする少年法27条の2第1項の申立権が権利として認められたことを言うものである。

(2) もともと、同法27条の2第1項の手続きは、職権発動を促すにとどまるものとされてきた。右最高裁決定以降でも、非行事実の不存在以外の理由(審判条件の欠如等を理由とする場合)に基づく取消の申立は、裁判所の職権発動を促すにとどまるとされている。(「家庭裁判所が職権をもって手続きを開始する事件と解されている」一『少年法実務講義案』372頁、「職権発動を促すにとどまり、裁判所が職権で内容を検討したうえ立件して調査を開始することになる」一『注釈少年法』304頁、「58. 9. 5最高裁決定までは、少年側に保護処分取消しの申立権はなく、たとい少年側から「申立」がなされた場合においても職権発動を促すものに過ぎないとして扱われてきたが、今後は、少年側に非行事実の不存在を理由とする保護処分取消しの申立権が認められるとの前提で処理するのが妥当であると考えられる」一『少年法実務要覧』291頁、「保護処分の執行機関の長からの通知は、これまでどおり職権発動を促すものとして扱うことになる」一同298頁)。

(3) 同条の申立権者については明文の根拠規定はない。

これに対して刑事訴訟法の再審申立は、申立権者が、439一条で限定され明記されている。この対比は、少年法の取消申立は、申立権者が限定されていないこと、すなわちこの申立は、何人もがなしうることを示しているといえる。

(4) さらに少年法および少年事件における家庭裁判所の保護的、後見的役割からしてこのように解するのが相当である。この点に関して、東京高裁第2特別部平成10年6月15日→

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決定の理が参考にされるべきである。同高裁は次のように説示した。

「家庭裁判所は、保護処分等の決定をした場合、少年院等に対して、少年に関する報告又は意見の提出を求めることができるし(少年法28条)、保護処分の決定をした裁判官は、当該少年の動向に関心を持ち、随時、その成績を視察し、又は家庭裁判所調査官をして視察させるように努めなければならない(少年審判規則38条1項)。また、保護処分の決定をした家庭裁判所は、必要があると認めるときは、少年の処遇に関し、少年院等へ勧告をすることができる(同条2項)。……このように、保護処分を決定した家庭裁判所は、当該保護処分が適正に執行されているかどうかについて常に注意していなければならず、必要に応じて執行機関に処遇に関する勧告をすることもできる。他方、少年院も当然少年の処遇について適切に対応する責務を負い、そのために相当の方策が講じられている。また、保護処分に付された少年の処遇に関心を持つ者は、事実上、家庭裁判所が十分に右の注意を払い所要の勧告をするよう促すこともできる(傍線引用者)。」

(5) 以上のような規定、解釈、および実務上の扱いから、第三者.が、裁判所に少年の保護処分を取り消す職権の発動を促す申立をすることは可能であるというべきである。裁判所は、申立を受け付け、その申立の是非について判断をし、申し立てに理由があると判断されるときには、立件し、保護処分取消の可否についての審査(再審)を開始するべきである。

第5 原決定の要旨

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神戸家庭裁判所が、本件に関して、A少年に科した処分および認定した非行事実は次のとおりである。

1 主文
少年を医療少年院に送致する。
(ただし、本件一連の事件を総合した処分である。)

2 認定した非行事実
「少年は、

5 同年(1997年)5月24日昼過ぎごろ、自宅を出て自転車で走っているとき、同区内の小学校付近の路上で、小学校6年生の男児(当時11歳)と偶然出会い、とっさに、同児ならば、タンク山頂上付近まで連れて行き、そこで殺せると思い、同児を「向こうの山に亀がいるから、一緒に見に行こう」と言って誘い、同日午後2時過ぎごろ、タンク山頂上のケーブルテレビアンテナ基地局施設の入り口前に連れて行き、同所で、殺意をもって、後ろから右腕を同児の首に巻き、締め付けながら同児を倒し、次いで、あおむけにし、馬乗りになって手袋をした両手で首を絞めた後、自分の履いている運動靴のひもを抜き、そのひもで同児の首を絞め、よって、即時同所において、同児を窒息により死亡させ、もって、同児を殺害した

6 同月25日午後1時ごろから午後3時ごろまでの間に、上記施設の中で、床下から上記男児の死体を引き出し、金のこを用いて上記男児のけい部部分を頭部と胴体部分とに切断し、同月27日午前1時ごろから3時ごろまでの間に、その頭部を中学校正門前に投棄し、もって、死体を損壊し、遺棄したものである。」

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第6 申立の理由一保護処分決定取消事由

先に述べたように、神戸家庭裁判所井垣裁判官は、A少年の「自白」を基に、本件非行事実を認定した。しかし、A少年が犯人とされることそれ自体、さらにその「自白」の内容(前述のとおり、文藝春秋社発行の月刊誌『文藝春秋』1998年3月号掲載の「検察官調書」による)は、客観的事実などと大きく矛盾し、A少年を本件の犯人であると認定するには重大な疑問が存するものである。

その矛盾することは枚挙にいとまのないところであるが、以下主な点を指摘しておく。

1 原決定に対する疑問
(1)「自白」内容の不自然・不合理

A少年の自白は、それ自体、極めて矛盾に満ち、一見にして不自然・不合理であり、このような「自白」をもってしては、A少年に非行事実を認定することはできないこと---むしろ、この「自白」を虚心坦懐に検討するならば、「自白」は、A少年が、本件非行事実の犯人ではないことを明確に示すものであることが誰の目にも明らかである。裁判所は、この点だけからしても、本件非行事実の存在に疑問を抱き、本件保護処分について、見なおすべきである。以下顕著な例を摘示する。

ア 1997年5月24日、A少年は「人を殺したいという欲望から、殺すのに適当な人間を探すために」昼過ぎ頃自宅を出たら、B君と会った。「B君ならば、僕よりも小さいので殺せる」と思い、よく知っている「タンク山」の頂上付近にあるケーブルテレビアンテナ施設の入口前付近のところに連れ込んで、いきなりB君を絞め殺そうと手を尽くしたが、なかなか死なない。そこで「僕は、ナイフでB君を殺そうと思い、右手でB君の首→

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を絞め付けながら、左手で僕がはいていたジーパンのポケットを探しました。この時、初めて僕は、ナイフを持ってきていなかったことに気付きました」と7月5目付調書の第6項にある。A少年は、ナイフを「大体家を出る時には持ち歩いていた」のである(7月7日付調書第5項)。当初、絞殺を考えていたにしても、「人を殺したいという欲望から、殺すのに適当な人間を探すために」出かけたというのに、その日に限ってナイフを持っていなかったというのはおかしいではないか。「自白」によれば、現にナイフの使用を迫られたというのだ。

イ 「自白」によれば、殺人場所は、「タンク山山頂付近にあるケーブルテレビアンテナ施設」の入口前付近で、ここは小さな空地になっており、人も通り、A少年のよく知っている場所である。アンテナ施設は、フェンスに囲まれ、その施設の入口には、南京錠がかかっていて中に入ることができない。むろん、殺害した死体を、入口前の人の通る空地から中に運び込んで隠すこともできない。その辺りをよく知っているA少年が、フェンスの入口の南京錠を壊さなければ施設の中に入れないことを知らないはずがない。ところがA少年は南京錠を壊す道具を用意していなかったというのである。そこで、「僕は、南京錠を壊すための糸ノコギリと付け替える南京錠を手に入れるにはL(注・店名)に行けば、手に入るだろうと考えました。」「『L』に行けば、何でも売っていると知っていたので、『L』で糸ノコギリと南京錠を万引きすることにしました」(7月5日付調書第7項)。これではまるで蒲焼屋の亭主が、客が来てから鰻をとりにゆくようなものではないか。しかも、その店は→

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A少年のよく出入りする店で、同級生仲間と万引きしたこともあり警備員にも顔を知られている。新品の糸ノコギリと南京錠を、入れ物もないのにどのようにして盗み去ることができるの.か。糸ノコギリを腹のところに入れて持って行くとかさばって疑われるおそれがある(7月5日付調書第10項)。万引きは危険極まりないカケだ。見つかったら万事窮すである。

なぜこんな危険を犯すのか。「そのままケーブルテレビアンテナ施設の出入口前に死体を放置しておくと、すぐ死体が発見されてしまうと思ったのです」と「自白」にはある(7月5日付調書第7項)。それでアンテナ施設内の建物の床下に死体を隠すために、入口の南京錠を壊す糸ノコギリを万引きしに出かけたというわけだ。ちょっと考えれぱわかることだが、危険を犯し、時間をかけて運よく万引きに成功して戻ってきたとしても、その間に死体が発見されていないという保証はどこにもない。ないどころか、「死体を放置しておくと、すぐに死体が発見されてしまうと思った」ほどの場所なのだ。死体が発見された現場にノコノコ戻って来たら忽ち犯人と疑われること必定である。真犯人ならこんな危険で愚かなことをするわけがない。直ぐその場から立去って逃げればいいのだ(この時点では首を切り取ることなどまったく念頭になかったことになっている)。

ウ 「自白」によると、A少年はその日、夜中に目覚め、糸ノコギリがあることを思いだし、それで人間の首を切ってみたいという衝動にかられたという。翌25日昼過ぎ頃B君の首を切るために家を出た。血を現場に残さないように黒色のビニールのゴミ袋を二つ持ち、ケーブルテレビアンテナ施設の局舎の床下→

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に隠していたB君の遺体を引っ張り出し、血がこぽれないように黒いビニール袋の口を開けて敷いて、糸ノコギリで首を切り、地面の上に置いて鑑賞し、「ビニール袋の中に溜まったB君の血を」「ビニール袋の口を僕の口のところまで持ってきて、ロ一杯分の血を飲」んだ(7月9日付調書)。

この日は、B君が行方不明になった翌日である。B君を捜し出すために、警察はもちろん、学校の先生、PTAの親達、自警団、自治会の人々などで、付近一帯に大がかりな捜索が行われている。タンク山は市街地に囲まれた小さな山だが、子供が迷い込めば出られなくなりそうな所だから、B君捜索のため人々がタンク山に入った。警察は朝の十時頃警察犬を連れてここに出動している。B君の家はタンク山の南西麓にあるから、一夜明けても行方がつかめないということになると、タンク山のその日の様子がこのようになるだろうと、この辺の地理を熟知するA少年にはすぐわかったはずだ。

こんな状況の中で昼過ぎ頃、午後1時から3時までの間に自宅を出てタンク山の中に入り込み、B君の頭部を切断し、それを鑑賞し、更にナイフで両目や口を切り裂き、ビニール袋に溜まったB君の血を口一杯飲むということを、誰にも気づかれずに実行できるだろうか。B君の首を切ろうと思いついたとしても、当日のタンク山は、実行を断念せざるをえない状況だったのである。

エ 「自白」では、A少年はそれから付近の入角ノ池の畔に行ってB君の首を至近距離から鑑賞した後、穴にB君の首をビニールの袋ごと隠し、更に向畑ノ池に行ってその中に糸ノコギリを→

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投げ捨て、タンク山の下の近くに置いていた自転車に乗って家に帰った、という。

翌5月26日、A少年は昼過ぎ頃に家を出て、入角ノ池の畔からB君の首を家に持ち帰ったことになっている。家に帰ったときは、誰もいなかった。A少年はすぐ風呂場でビニール袋からB君の首を出しタライの中に入れ、タライの中に立てて置いたB君の首にホースで水をかけて頭や顔や首の切り口を丁寧に洗った。風呂場にあったタオルでB君の顔や頭の毛を拭き、髪の毛を洗面所にあったクシかブラシでとかしてやった。その後B君の首を入れていたビニール袋とその袋に入れていたB君の血を入れたビニール袋を風呂場で洗い、B君の首を入れていたビニール袋に再びB君の首を入れ、二階のA少年の部屋の天井裏に隠した。その間は誰の邪魔も入らなかった(7月9日付調書)。

誰の邪魔が入らなかったにしても、いつ家人が帰ってくるかわからない。家人が帰って来たらどうするか、犯行が直ちに露見するだろう。家人が帰って来なかったのは、僥倖中の僥倖だったにしても、いつ帰って来るかわからない、その間の不安は深刻なものがあったはずだ。その不安が全く調書に現れていない。家人が帰ってくれば風呂場の異様な屍臭に気づかぬはずはない。5月下旬の梅雨先の蒸す気候の中に殺害後二日を経た遺体の首である。ホースの水で洗い流したとしてもその異臭は容易にとれるものではない。あやしまれなけれぱおかしい。その不安も調書に現れていない。これらのことはA少年にその体験も事実もないことを示している。

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オ そのほか、「自白」では、(ア) 少年が、B君に抵抗されながら、片手で(しかも、利き手ではない左手で、さらにしかも)手袋をした手で)【ママ】、履いていた左足の靴の靴紐を解いたということであるが(7月7日付調書6項)およそ考えられないこと、(イ) A少年が首を絞めて殺そうとした際、B君は抵抗し、上になったり下になったり格闘状態になったということであるが(同)、B少年の着衣には汚れもなく、遺体には格闘した跡が残っていないこと、(ウ) A少年は、首を切断した後、切断するのに使った糸ノコギリを補助カバンの中に入れ、その補助カバンを折り畳んで、腹の中に入れ、首をビニール袋に入れて長距離---しかも多くの人がB君を探している中を---運んだということであるが(7月9日付調書3項以下)、不自然極まりないこと、切断し、ノコギリと一緒に投棄したという南京錠は池ざらいをしたというのに発見されていないこと等々きわめて不自然で合理的な説明のできない、矛盾や不自然さがある。

(2) 客観的証拠について

自白調書を裏づけるきめてとなるような客観的証拠はない。早い話が、「自白」の中で犯行後A少年が辿ったという道筋や、首を切断したとされる「糸ノコギリ」ないし「金ノコギリ」や、犯行時A少年が身につけていたとされる衣服などから、被害者B少年の血痕が発見されたという事実があるだろうか。むろん、B君の首が置かれていた中学校の正門前と、首を切られた遺体が隠されていたアンテナ施設付近は別だ。ここでB君の血痕が発見されても、B君が殺害され首を切られたという証拠とはなっても、A少年が犯人だという証拠にはならない。

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そもそも逮捕の前に、A少年が本件の犯人であるある【ママ】との客観的証拠はなかったのである。少年の自白調書が作成された6月28目の時点では、筆跡鑑定書が最高の証拠価値を持った証拠だったというのであるから、指紋の同定もない。少年を犯人と同定できる指紋の鑑定書もありえない。少年の作文・感想文と被害者の口に入れられていた文書及び声明文はすでに入手していたのであるからその比較・鑑定はやりえたはずである。

犯人と結びつく客観的証拠とされるものが二つある。A少年が、書いたとされる二つの文書一一【ママ】神戸新聞杜に送られた「声明文」と「懲役13年」という文書である。前者は筆跡と文章力の両面からA少年が書いたものとは考えられない。後者は東大の客員教授だった体験から立花隆氏も認めるように、「はっきりいって、これだけの文章を書ける人間は、大学生でも、そうはいない」。二つの客観的証拠は、自白を裏づけるところか、A少年と無縁であることを示している。

だからこそ、検察・警察は「証拠の女王」たる「自白」を得るべく、なりふり構わぬ手にでた。それが、前述した筆跡鑑定を用いての偽計捜査にほかならない。

そのほか、前述したとおり、A少年は、当初目撃者が述べていたという犯人「ブルーバードに乗った男」だとか「中年の男」などとは程遠い人物である。

(3)「自白」はA少年のシロの証拠である

自白に変化や矛盾がないか、それが合理的に説明されているか、このことは自白内容の真否を判断する上で不可欠の要件である。A少年の「自白」には、肝心要の点に、どうしようもない変化と→

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矛盾がある。頭部切断の凶器とされる「糸ノコギリ」から「金ノコギリ」への変化と矛盾である。その合理的説明がないばかりか、「自白」が逆にシロの証拠であることを示している。「糸ノコギリ」が登場するのは、5月24日にB君を殺害した後、遺体をフェンスで囲まれたテレビアンテナ施設内に隠すために、L店から万引きして施設入口の南京錠のツルを切って壊したという時と、その夜自室で目覚めた時に、B君の首を切ってみたい衝動にかられ、翌25日昼過ぎ頃家を出て、施設内に隠しておいたB君の遺体を引き出して首を切ったという時である。

検事調書を見ると、7月5日、7日、9日付の調書には、「糸ノコギリ」となっている。ところが7月17日付の調書では「金ノコギリ」と変わるのである。どうして変化したか。この変化にはどういう意味があるのか。

7月6目、警察が「糸ノコギリ」を捨てたと「自白」にある向畑ノ池を捜索した。そして「金ノコギリ」を発見した。「糸ノコギリ」でなく「金ノコギリ」である。両者は形も大きさも刃の巾も違う。だからこそ名称も違うのであって、刃と刃との間隔は「糸ノコギリ」は2ミリ程度、刃の厚さも細かく文字どおり糸のような刃である。「金ノコギリ」の刃は厚く、刃と刃との間隔も粗く、「糸ノコギリ」と呼べたものではない。「糸ノコギリ」を捨てたという場所を大捜索して出て来たのが「金ノコギリ」だったから、調書を変えざるをえない。しかし、変えると自白の真否が問題になる。なんとかして自白を裏づける物証が出現したような、しかもA少年の自白で初めて発見された「秘密の暴露」であるかのような、もっともらしい理屈をつけなくてはならない。向畑ノ池を→

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捜索した翌日の7月7日付調書にはまだ「糸ノコギリ」とある。「ノコの刃が細かった」とあるからまさに「糸ノコギリ」である。7月9日付調書でも「糸ノコギリ」となっている。やっと7月17日付調書で「金ノコギリ」と変わるのである。「金ノコギリ」の発見から「金ノコギリ」と表現を変えるまでに手間どったのは、自白の「糸ノコギリ」と捜索で出てきた「金ノコギリ」を同定できず、つじつまを合わせるのに苦心したからであろう。もともと違うものを同じだとするのは不可能なはずだが、警察と検察は不可能を可能とする調書作成技術をしばしば発揮する。7月17日付調書には、「今示された『金ノコギリ』は、向畑ノ池から発見されたというものですが、僕がB君の首を切断するのに使ったノコギリに間違いありません。このノコギリのことを、僕は、これまで糸ノコギリと言って話してきました」とある。苦心の作文だが真実はごまかし切れるものではない。

7月7日付調書には、「僕は、横たわったB君の右側に中腰か片膝を着いたかまでははっきり覚えていませんが、持っていた糸ノコギリの柄と先の曲がっている部分をそれぞれ持ち、一気に左右に二回切りました。すると、肉が引っ掛かったというような感じではなく、ノコの刃が細かったせいか、スムーズに切れ、切り口が見えました。それで、僕は、この糸ノコギリで、人間の肉が切れるのだと確認し、更に、左手でB君のおでこを押さえながら、右手で首を切っていきました」とある。

ここに「肉」というコトバが二度使われていることに注意されたい。糸ノコギリで二回左右に切ったというのは、皮膚と、せいぜい皮膚に接着する表層部の肉である。「切り口が見えました」→

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という程度の表層部の肉である。「それで、僕は、この糸ノコギリで人間の肉が切れるのだ」とある肉とは、人間の首の内部全体のイメージである。「確認し」とあるのは、試し切りした表層部と内部の肉が同質で、糸ノコギリで同様に「スムーズに」切れるというイメージである。このイメージは人間の首の内部の実態と違う。人間の首の内部は、皮膚に接着する部分と違って、均一性の組織ではない。骨があるのはもちろんだが、食道もあれば気管もあり、頚動脈、静脈などの血管、いろいろな神経、筋肉、靱帯など、種類の違う組織が入りまじっていて、神経や靭帯などの索条物が糸ノコギリの刃にひっかかって、チョットやソットで切れるものではない。調書には、誰でも気がつく骨を除けば、これらのことが出ていないことに注意されたい(この点については次項で、専門家の意見を基にさらに敷衍する。)。このことはA少年がB少年の首を切った経験がないことを示している。「僕は、この糸ノコギリで、人間の肉が切れるのだと確認し、更に、左手でB君のおでこを押さえながら、右手で首を切っていきました」という検事調書の記載は、検事によるA少年の幻想の表現にほかならない。

自白は普通クロの証拠と見られているが、A少年の「自白」は、犯行の体験と事実がないことを示すシロの証拠であることを自ら物語っているのである。なお、自白がシロの証拠であることを自ら物語る場合について、目白分析【ママ】の多くの実績をもつ法心理学者である浜田寿美男教授は、次のように指摘されている。「無実の人が悩みに悩んでみずから『犯人になって』想像で語った自白には、その自白内容自体の中に、その当人が事件のことを知らない→

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という徴候が現れる。それは非体験者の想像の限界を露呈した結果である」。これを「秘密の暴露」との対比で「無知の暴露」と名づけられた(岩波新書「自白の心理学」)。まさに、本件検事調書の記載はA少年の「無知の暴露」を示すものに他ならない。しかも、「秘密の暴露」とされたものが、実は「無知の暴露」に他ならなかったのである。

2 非行事実がなかったことを認め得ることが明らかな新たな資料一一内藤道興氏の回答

はじめに

以上指摘したように、A少年が本件の犯人であるとされたことそのものや、「自白」の内容のみによっても、A少年が本件の犯人であるとされるには多大の疑問が残るところであり、裁判所はこのことからだけでも、本件保護処分の是非について職権をもって再審査をなすべきといえる。

しかしこれにとどまらず、法医学者内藤道興氏がこのたび作成した新規証拠たる「照会事項についての回答」(甲3号・以下「回答」という)によればA少年のB君殺害の状況に関する「自白」の内容は、ありえないことを述べているか、B君の遺体の状況と決定的に矛盾することが明らかとなる。

この矛盾は、A少年が、自らが体験していない事実を述べたがゆえに生じたものという以外に合理的に説明することは決し.てできないものである。

「回答」に照らせば、A少年の「自白」は、A少年が本件の犯人であることを否定する証拠以外の何ものでもないことが明白になる。

以下具体的に指摘することにする。

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なお、内藤道興氏は、昭和23年北海道大学医学専門部を卒業以来、一貫して法医学を専門とし、爾来1300余件の死体解剖、1200余件の検視・検案に従事し、さらに、裁判所等からの委嘱で70件に及ぶ鑑定の経験(最近ではいわゆる「山形マット事件」の鑑定で有名である。)のある法医学の権威であり、その内容の信用性は著しい。

(1) 切断の難易について

ア 「自白」と問題点

A少年は、B君の遺体を切断したときの状況について次のように述べる(平成9年7月7日付検察官調書6項)。

「そして、僕は、横たわったB君の右側に中腰か片膝を着いたかまでははっきり覚えていませんが、持っていた糸ノコギリの柄と先の曲がっている部分をそれぞれ持ち、一気に左右に二回切りました。/すると、肉が引っ掛かったというような感じではなく、ノコの刃が細かったせいか、スムーズに切れ、切り口が見えました。/それで、僕は、この糸ノコギリで、人間の肉が切れるのだと確認し、更に、左手で、B君のおでこを押さえながら、右手で首を切っていきました。/(略)/首の骨は、肉を切るときの手応えとは違い、硬いというか、ノコの刃は進んでいるのだけど、なかなか切れないといった感じでした。/段々と首を切っていく内に、段々と頭の安定が悪くなくなったので【ママ なお1997.7.7.調書該当箇所参照では「安定が】、最後に僕は、B君の首の皮が一枚になった時に、左手で、B君の髪の毛をんで【ママ】、上に引っ張り上げ、首の皮を伸ばして、一気にその首の皮を切りました。」
この「自白」によると、骨の部分を除いては、スムーズに切断できたということである。またこの「自白」からは、A少年→

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が首を切断するに当たって、頚部が決して均質ではなく、さまざまな組織、器官等が存することに遭遇したとか、刃がひっかかるなどして難儀をしたことなどまったく窺えない。果たしてそのようなことはあるのであろうか。

イ「回答」

この点について「回答」によって次のことが窺える。

@頚部の組織は、皮膚、皮下組織、筋肉、頚部器官、頚椎等で、その間に血管、神経が走行する複雑な構造であること(第1項)。

A皮膚は、均質ではなく、筋肉にはこれを覆う筋膜、腱等があり、頚部には強い靱帯があり、これらは繊維性結合組織が多く、弾力に富むこと(第1項)。

B頚部器官には、舌骨、喉頭の軟骨、甲状腺、気管等があること(第1項)。

C頚部は、均質な固いものと異なり繊維が切断し難く、鋸の歯に引っかかって目が詰まり、滑ってしまうと思われ、また、動物性繊維は、木材などに比し切断しにくく、引ききることになると思われ、頚部を糸鋸もしくは金鋸でスムーズに切断できるとはいえないと思われること(第2項(2))。

ウ「自白」の矛盾

(イ)で示されているよう、頭部を糸鋸もしくは金鋸で切断するとスムーズには切れないというべきであるが、A少年は、「自白」でスムーズに切断をしていったように述べており、法医学的見地からありえないことになる。

また、頚部は、「回答」にあるとおり、複雑な構造をしており、はじめて人の頚部を切断するならば、その状態が強く印→

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象に残るはずであるが、A少年の「自白」にはそのようなことはまったく出てこず、まるで均質な物体を切断しているかのような供述になっている。まったくリアリティがない。この矛盾は、A少年が実際には頚部の切断などしていなかったと考えれば合理的に解決できる。

(2)皮膚の断端部の状態について

ア「自白」と問題点

A少年は、B君の頚部を、糸ノコギリまたは金ノコギリで切断したと述べており、ナイフ等の鋭利な刃物は使わなかったことになる(7月7日付検察官調書6項)。

糸ノコギリまたは金ノコギリで遺体を切断した場合、皮膚の断端部が整の部分と不整の部分(ギザギザの部分)が混在することがありうるだろうか。

イ「回答」

「回答」によれば、人体の切断面が「整」であるということは、次のような状態を示すということである(第3項)。

@皮膚の切断面が整鋭であれば、鋭利な刃物による切断とみられること。

A鋸による切断では不整となるはずであること。

B整と不整の両者が混在する場合には、鋸と刃物の2種類の凶器を使用したか、使用した刃物(鋭利なもの)の切れ味が悪く、刃こぽれがあったりすると生じると思われること。

ウ「自白」の矛盾

B君の遺体の切断面に「整」の部分が存するということは、少なくともノコギリ以外の鋭利な刃物も使用されたことを示すものであり、A少年の前記「自白」とはまったく矛盾している。このこともまた、A少年が自ら遺体の切断などしていな→

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いことを示すものである。

(3) 索条痕について【ママ】

ア「自白」と問題点

A少年の「自白」では、B君を殺害した様子は次のようになっている。

「そこで今度は、左足の靴の紐で、B君を絞め殺そうと思ったのです。/僕は右手でB君の首を締め付けながら、左手で僕が履いている左足の運動靴の紐を少しずつ解いていきました。/靴紐を靴から解き終わると、僕は、その靴紐を地面に置いて、左手で輪っかを作りました。/その輪っかは、一重で、強く引けば結び目が出来るようにしたのです。/(略)/そして、僕は、一瞬B君の首を絞めている右手を放し、両手でその輪っかを作った靴紐を持ちました。/その靴紐の輪っか部分をB君の頭から入れて首のところまで持ってきました。/その前後頃でしたが、B君に馬乗りになっている僕の体が浮いたせいか、B君の身体は仰向けになった状態からうつ伏せ状態になったのです。/それで、僕は、うつ伏せになったB君の腰付近に馬乗りになり、B君の首に回した靴紐を力一杯両手で引いて持ち上げるようにしました。/その結果、B君の身体は、エビ反りのような状態になりました。/しかし、靴紐がねじれていたためか、なかなか首を絞めることが出来ず、まだB君は呼吸を続けていました。/その時、僕は、僕が一生懸命にB君を殺そうとしているのに、なかなか死んでくれないB君に腹が立ちました。/そのため、B君の首を絞めながら、B君の顔や頭を両足の踵で蹴ったり、またB君の首を絞めている靴紐を左手で持ち、右手でB君の顔を殴ったりもし→


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ました。/そうしている内、B君の首を絞めている靴紐がねじれているのに気付いたのです。/(略)/その時、うつ伏せだったB君がコロンと仰向けになりました。/それでB君の腹の上に馬乗りの状態になったのですが、その状態で、B君の首に巻き付けた靴紐の両端を、両手で、力一杯引きました。/最初の時と異なり、この時は、B君の首の肉に靴紐がギュッと食い込むような手応えがありました。/しばらく締め続けていると、その内、B君の呼吸している音が止まりました。(7月5日付検察官調書)

靴紐で絞め殺したというのである。「扼殺」ではなく、「絞殺」であろうし、遺体には索状痕が残るのではないか。

イ「回答」

「回答」によれば、首を絞めた痕は次のようになるということである。

@スニーカー等の靴のひもは表面に編み目が存在し、スニーカーの靴ひもで首を絞めると表皮剥脱を伴う明瞭な索状痕を生じること(編み目の残ることもあること)(4項(2)イ)。

A絞頚によってできた索状痕に沿ってまっすぐ鋸で切断することはほとんど不可能であること(4項(2)ア)。

Bスニーカーのひもで絞殺した場合、検案、解剖の際、法医実務家ならば、(絞殺と)認定できないはずはないと思われること(4項(3))。

C解剖の結果「扼殺」となっていれば、スニーカーの靴ひもで絞殺されたのではないと認められ、ひも状の物で締められたと推定される索状痕が認められず、手指による圧痕があったのではないかなと思われること(同)。

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ウ「自白」の矛盾

「自白」によれば、靴ひもの索状痕は、何箇所にもできていることになる。B君の首に、索状痕がなかったり、「扼殺」と判定されていれば、「自白」の内容は、客観的事実=遺体に残っている痕と明らかに矛盾する。A少年は、体験していない事実を述べているというほかない。

(4) 切断面について

ア「自白」と問題点

A少年は、糸ノコギリもしくは金ノコギリで首を切断したが、骨まではスムーズに切断でき、切断後、「首を地面の上に置いて鑑賞した」旨述べる(7月7日付検察官調書6項、7項)が、法医学上問題がないか。

イ「回答」

「回答」によれば、ノコギリによる切断断面は、次のようになる。

@皮膚の内部に皮下脂肪組織があって、皮膚は容易に伸縮するため、鋸で頚部を切断する場合、切り口がまっすぐ一條に形成されることは殆ど不可能であると思われること(4項(1))。

A刃物による切断でも、切れ込みができて、頚部断面は同一平面を生じ難いと思われること(同)。

B気管上端部(輪状軟骨直下部)の直後方部はおよそ第6頚椎椎体に相当するのが普通であり、したがって気管上端部を切断して第2頚椎椎体に達するには、気管より上方に存在する頚部器官(喉頭)を頚椎前面で剥離して咽頭に及んでから切断しなければならないこと。このため、気管の上端部第2頚椎椎体が(同じ高さで)水平に切断というこ→

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とは人体の構造上生じ得ないと思われること(5項ア、イ)。

極端に斜め上方に向かって切断したとすれば、第3〜第5頚椎にも切断面を生ずるはずで、首を離断する目的に沿わず、第2頚椎椎体を水平に切断するには項部から鋸を入れれば不可能ではないが、更に深く進めば下顎に当たることになること(5項イ)。

ウ「自白」の矛盾

A少年の述べるような切断方法では、遺体のような切断面はできないことが明白であり、A少年がB君の頚部を切断した事実はないことが認められる。

(5)切断の際の出血について

ア「自白」と問題点

A少年の「自白」によれば、A少年は、B君の頚部を切断後、コンクリートの上に切断した頭部を置いて鑑賞したということである(7月7日付検察官調書7項)。

その供述などから、頭部を置いたコンクリート上に血痕の跡がついたことは窺えないが、そういうことがありうるだろうか。

イ「回答」

「回答」からは次のようになることが分る。

@死後、約1日後の死体の首を切断した場合、断面の血管から多少なりとも血液が流れ出るが、特に首を締めた窒息死体の場合、頭部にうっ血を生じるとともに血液が凝固しないので、頭部側の切断面からかなりの出血があると思われること。

Aしたがって、切断面を下にして頭部を安置すると、置いた場所に血痕として残ることになること。

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ウ「自白」の矛盾

コンクリート上に血痕の跡が認められないということは、切断後の頭部をコンクリート上に置いて鑑賞したというA少年の供述は事実ではないことを述べたこと、すなわちA少年は自己の体験しない事実を述べていることを窺わせる。

(6)死斑について

ア「自白」と問題点

「自白」によれば、A少年は、B君の遺体の置き方について、次のように述べる。すなわち、A少年は、殺害後、B君の遺体を、ケーブルテレビアンテナ施設内の建物の床下に仰向けにして放置したこと(7月5日付検察官調書9項、7月7日付検察官調書6項)。翌日首の切断のために赴いたときも「仰向けの状態」(同)だったこと、および首を切った後でも、そのままの状態(仰向け)で再び胴体部分を「局舎」の床下に押し込んだこと(7月9日付検察官調書1項)。

この場合、死斑はどのようになるか。

イ「回答」

「回答」によれば遺体の死斑から次の事実が判明するという。すなわち、死斑が死体前面に生じ、指圧により褪色しないならば、死後長時間(少なくとも半日以上)、うつ伏せに放置されていたことを示すとみられること。

ウ「自白」の矛盾

B君の死斑の状態から、B君は「うつ伏せに」放置されていたものであることが認定され、「仰向けに」置いたというA少年の「自白」とは決定的に矛盾する。A少年は、ケーブルテレビ施設の局舎の床下から発見されたB君の遺体を放置したものではないということを認定しうる。

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(6)  以上、内藤博士作成の「回答」に照らし合わせて検討すると、A少年のB君の殺害および死体の遺棄に関する「自白」の内容は、B君の遺体の状態とは絶対に相容れないものであることが明らかになった。この矛盾を合理的に説明できるのは唯一、A少年が実際にはやってもいないことを述べているからという以外にない。

A少年には、神戸家裁が認定した本件非行事実が存在しないというべきである。

第7 結語

以上詳しく検討してきたとおり、新規明白証拠である内藤博士の「回答」を旧来の証拠と総合すれば、A少年が神戸家裁が認定した本件非行事実を犯していないことは誰の目にも明らかになったと確信する。

現在のA少年およびその家族をめぐる社会的状況からして、A少年の両親などが本件保護処分の取消を申し立てること、すなわち再審を請求することは至難の業である。しかし、このように少なくとも、非行事実が存在しない疑いが極めて濃厚な本件について、その疑いを放置し、A少年を本件の犯人のままにしておくことは著しく社会正義に反し、人権の侵害になると考える。

幸い、少年法の解釈からして、A少年とは第三者であるものも、裁判所に保護処分の取消をなす職権発動を促す申立ができるものと解される。

申立人らは、以上に述べた趣旨から本件の申立に及ぶものである。裁判所は、すべからく、誠意をもって本申立を熟読吟味し、記録を再検討し、本件事実の見直しに着手するべきである。

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第8 証拠方法

1 甲第1号証 検察官調書(『文藝春秋』1998年3月号に掲載されたもの)

2 甲第2号証『ご照会』(申立人後藤昌次郎作成)

3 甲第3号証『照会事項についての回答』(内藤道興作成)

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