羽柴修弁護士(神戸事件対策協議会代表)による当会への中傷に抗議する


掲載者解説 
 神戸事件では、付添人(弁護士)団の活動が膨大であったため、それをサポートする目的で、現地および近隣県の弁護士が神戸事件対策協議会というグループを立ち上げました。
 以下の記事は、この協議会の代表である羽柴修弁護士が、神戸事件の真相を究明する会に対して取った対応についての、重要な証言です。

 A少年の裁判が判決間近になった時期に、羽柴氏は、究明する会の現地調査を知り、この裁判で、弁護団、マスコミが抜かしていた大事な点を補うものとして高く評価した、ところが、判決が下ったのち、抗告期間(判決後10日間ほどの間に被告は抗告ができる)の間に、言うことが逆転して、同会を忌避し、法曹団体の機関紙に中傷記事を書くまでに至った、というのです。

 とりわけ重要なのは、同会の活動を評価していた時期の同弁護士の言動からみて、どうやら、弁護団の中に、少年の犯罪事実そのものを問おうとする動きがあったと見られることです。
 付添人団長だった野口善國弁護士は判決翌年、少年法改悪を阻止するため、『それでも少年を罰しますか』(共同通信)という本を書き、その中で、彼の名を一躍高からしめた神戸事件の酒鬼薔薇ことA君についても多くの頁をあてていますが、それは以下のの羽柴弁護士の言葉と、著しくずれているので、当サイトとしては、今後くわしく検討して掲載しようと考えています。

 なお、1997年10月17日の神戸家裁決定が出るまでの間に、付添人団はかなり複雑な状況に直面していたと考えられますが、当サイト掲載者は、党派的意図からこの証言をとりあげるわけではないことを、お断りしておきます。


一九九八年二月六日

神戸事件の真相を究明する会

「自由法曹団通信」の一月二十一日号に、神戸事件の対策協議会(神戸弁護士会須磨・友が丘事件対策協議会)の代表をつとめた羽柴修弁護士の「神戸須磨・友が丘事件弁護団の活動と『神戸事件の真相を究明する会』について」という一文が掲載されています。

この文章は、北九州第一法律事務所事務局長の澤幸男氏から「北九州における『神戸事件の真相を究明する会』なる団体の諸活動について経緯の報告」が昨年末に自由法曹団本部に届いたので、本部が兵庫県支部に問い合わせたところ、団員の羽柴修氏が寄稿したもの、というように自由法曹団事務局は説明しています。

私たち「神戸事件の真相を究明する会」について論じた羽柴氏のこの文章を読んで、私たちは唖然としました。一体これが、いやしくも社会正義の守護者であるはずの弁護士の言なのでしょうか? あきれた事実の歪曲、見えすいたスリカエ、恥知らずな二枚舌、そして見苦しい自己保身で全文が埋めつくされているからです。

神戸事件の真相を究明する運動を前進させるためにも、私たちは、当会に加えられた羽柴氏の中傷を座視することはできません。以下、具体的に反論し、羽柴氏にこの一文の撤回を要求するものです。

(1)

まず私たちは、羽柴氏の一文が、事実をいちじるしく歪めているものであることを明らかにしなければなりません。

羽柴氏は、「審判決定が出たあと、『究明する会』と名乗る男性や女性が事務所に押しかけ、弁護団の事務所に電話をかけたりして、抗告するべきだ、しないのなら我々が両親と接触するから弁護団は手を引けと要求してきた」「私に対しては、『両親は抗告したいのに弁護団がさせないのではないか』と非難する」「〔A少年のご両親に対して〕弁護団の活動(無能)についてさんざん悪口を言い、工作する」等々と書いています。あたかも私たちが、羽柴氏や弁護団に対して“殴りこみ”でもかけたかのように描きだし、会への不信をさかんに煽っているのです。

だが、「ご両親にお会いして抗告の意味についてお話しし、抗告する意志の有無を確かめてみたい。そのため羽柴さんといっしょに一度ご両親に会わせてもらえませんか」という或る心ある弁護士の方のメッセージを伝えるために、昨年十月二十七日に会員の一人が羽柴氏の事務所(中神戸法律事務所)を訪問した、というのが事実なのです。この会の趣旨からしてまったく当たり前の、しかもきわめて正当な私たちの行為が、どうして「押しかけ」なのでしょうか? しかも、このとき応接室で数十分にわたって応対した羽柴氏は、最後に、「私は付添人ではないから、付添人にあたってほしい」と言いました。そこで私たちは、弁護団に属する弁護士の事務所を訪問したり電話をかけたりしたのです(しかし残念なことに、「あれはもう済んだこと。結論が出たことなので、勘弁してほしい」という返事が返ってくるばかりでした)。

さらに、私たち会の者がご両親と電話で話をして、お会いする約束までしていたのに、羽柴氏らが横やりを入れてこれを妨害した、ということもありました。羽柴氏は、どうしてこんなことをする必要があったのでしょうか? それは、彼がご両親に対して、「いまお子さんが世間に出たら殺されてしまう。医療少年院にいるのが一番」というような理由をあげて、「抗告しないということでいいですね」などと“説得”していたこと、このことが明るみに出ることを恐れたからではないでしょうか?

抗告期限の十月三十一日にも、私たち会の会員二人(男女一人ずつ)は、最後のお願いをするためにもう一度羽柴氏の事務所に行きました。このとき、「羽柴さん、ご両親にちゃんと説明していないじゃあないですか」の一言を聞くや、羽柴氏は、脱兎のごとくに階段を駆けのぼり、倉庫の中にたてこもってしまいました。はては「一一〇番だ、一一〇番しろ」などと居並ぶ事務員にわめきちらしだしました。彼がこんなにも取り乱してしまったのは、右のことを自ら告白したようなものではないでしょうか。

このように羽柴氏が、私たち会のメンバーがご両親に会ったり話をしたりすることを必死になって妨害し、あたかもそれが「犯罪行為」ででもあるかのように騒ぎたてるのは、彼(および弁護団)が少年の弁護活動を放棄したこと、しかもご両親に真実を語っていないことの故なのではないでしょうか?〔これとは対照的に、なんと彼は、「A少年は治療不能のサイコパスだ」などと言って保安処分の必要性をさえ説くような某週刊誌には、ご両親をひき会わせようとしたといわれています。〕

(2)

そればかりではありません。羽柴氏はこんにち、<歴史の偽造>をさえ平然とやってのけています。このような弁護士にあるまじき行為を、けっして許すわけにはいきません。

周知のように、当会発行のパンフレット『続神戸小学生惨殺事件の真相』に、私たちは羽柴氏の「談話」を掲載させていただきました。もちろんこれは、羽柴氏自身の了解にもとづいてのことです。ところがこんにち、彼は突然つぎのように言いだしたのです。

「私は、加熱する報道、警察情報を鵜呑みにした報道について憂慮すべきであるという見解を表明したことはある」「私の『談話』がとられた経緯については、弁解がましくなるので詳しく触れないが、……この時点では、送致後の全ての記録の検討を終了していた時期であり、弁護団が『究明する会』の調査を参考にして活動するというような状況ではなかったことだけを指摘しておきたい」、と。

“なんというずるい書き方をする人なんだろう”というのが、私たちの正直な感想です。「パンフの『談話』は会が勝手に書いたものにすぎない」と言いたいのなら、はっきりそう言ったらどうでしょう。それとも、当時の自分の考えは間違っていたというのなら、そう言うべきでしょう。

だが羽柴氏は、自分が話したのはあたかも「報道の問題」についてだけであるかのように言い、また「弁解がましくなるので詳しく触れないが、……だけを指摘しておきたい」などという言い方をわざとして、あたかも反論すべきことが色々あるかのように匂わせています。そして自分の「談話」が会に勝手に「とられた」ものであるかのように押しだしてみせるのです。

しかし、「『談話』がとられた」などというのは、事実の歪曲もはなはだしいのです。私たちのパンフに羽柴氏の「談話」を載せることになったそのいきさつは、次の通りです。

昨年の九月三十日に、私たち会の二人のメンバーが、『続神戸小学生惨殺事件の真相』に載せる予定であった「A少年のご両親にお会いして激励」という文章(パンフの冒頭に掲載)を、弁護団には入っていないが事実上はその責任者的な位置にあり対外的な窓口をもつとめていた羽柴氏に、前もって読んでもらおうとして、中神戸法律事務所を訪れたのでした。すると羽柴氏はこの文章に目を通し、「会の思いがよく出ているものだから、まあいいでしょう。……十月の審判再開〔六日〕の頃に記者会見を行う予定なので出席してください。そこで会についても話すかもしれない。あなたたちとは、長いつきあいになりそうだ」と言ってくれました。それから、私たちの出したパンフをどう思っているか、また再開される審判にどう臨むつもりでいるか、などについて語ってくれました。そして私たちが「今の談話をそのままパンフに載せてもいいですか」と訊くと、「いいですよ」とこころよく答えてくれたのです。

そこで私たちは、羽柴氏の談話を正確に文章にして、翌十月一日に彼に見てもらったのです。私たちが事務所をあとにしたのち、羽柴氏から電話があり、「少し直したい」ということでした。それで同日午後、もう一度羽柴氏を訪れました。羽柴氏は、「『正直助かった』とか『私たちもマスコミに毒されていた』とかと言うと、弁護団がちょっとだらしなく見えるので、『参考になった』程度にしてくれないか」と言い、私たちの目の前で自ら原稿に朱を入れました。この羽柴氏が筆を入れたものが、そのまま私たちのパンフに載ったものなのです。羽柴氏はいったい、健忘症にでもかかられたのでしょうか? 私たちは事実をはっきりさせるために、羽柴氏の談話がどういうものであったか、これに氏自身がどう筆を入れられたか、を明らかにしたいと思います。〔羽柴氏談話/削除訂正

(3)

自分は「報道の実態について憂慮すべきであるという見解を表明した」だけであり「その意味で……〔パンフは〕マスコミがやらないことをした訳で評価していた」にすぎない--このようなことをこんにちの羽柴氏は臆面もなく言いだしたのですが、これが<歴史の偽造>であることは、資料を見れば一目瞭然です。当時の彼は、「〔パンフが〕出されていたということは、事件の問題点を整理するうえで正直助かった」「私たちもマスコミに毒されていたところがありましたから」というように、なによりも「非行事実の認定」にとってこそパンフは意義がある、ということを語っていたのだからです。

同様に、「この時点〔九月三十日〕では、……弁護団が『究明する会』の調査を参考にして活動するというような状況ではなかった」というのも、まったく事実に反しています。なぜなら羽柴氏はこの時点で、「〔パンフは〕今後の審理をすすめていくうえで非常に参考になる」「みなさんの努力を法廷でぜひ生かしたい」「第一回の審判〔八月四日〕においては、非行事実の認定についてはまったくなにも答えていないんですけども、どの記者も興味がないみたいですね」等々と語っていたのだからです。

対策協議会の代表である羽柴氏がこのように語っていたことからすれば、明らかに羽柴氏も弁護団も〔「付添人もそうだったと思いますよ」という羽柴氏の言葉を参照〕、A少年の非行事実の認否そのものを争う姿勢を、この時点では捨ててはいなかったはずです。おそらくは、私たちが出した最初のパンフ(八月一日発行、弁護団や対策協議会にはただちに届けた)に触れて、それまでの自分たち自身が「マスコミに毒されていた」ことに気づかされていたに違いないのです。事実、付添人団長であった野口善國弁護士は、こんにち次のように語っています--
「……〔弁護団は〕男児殺害事件については、最終段階まで事実の認定を留保した。しかし、審判の最終段階で〔十月九日の第三回審判〕少年がもう事実は全て認めて、早く審判を終わらせたいとの意向を示したので、……事実は争わないことになったのである」と〔「青法協・大阪支部ニュース」一月二十五日号、野口善國「神戸須磨事件を終えて」より〕。

ところが羽柴氏は、今回の一文では、「非行事実については……争わなかった。そして家裁で採用された精神鑑定結果等も踏まえて弁護団声明の結論〔A少年を医療少年院に送るという十月十七日の家裁決定に同意したこと〕に至ったのである」と言うのです---警察調書だけでなく検察調書もすべての物証も排除すべきことを、一度は家裁に要求しようとしていたにもかかわらず〔十月二十七日の羽柴氏の発言〕。そしてまた九月三十日の談話では「精神鑑定の意見書には対応しないことにしています」と明確に述べていたにもかかわらず。

あきらかにこんにちの羽柴弁護士は、かつての自らの談話についても、またそこに示されていた対策協や弁護団の弁護活動の姿勢についても、それら一切をなかったことにしようと、躍起となっているとしか言いようがないのです。それにしても、これはいったい何故なのでしょうか?

(4)

羽柴氏はこの一文の中で、「弁護団は家裁送致後、少年の自供によることなく膨大な記録を検討する中で、この事件が冤罪であるという結論には到達しなかった」などと言っています。しかし弁護団の検討した「膨大な記録」とは警察や検察によって強要されたA少年の「自白調書」(警察・検察の作文!)等にすぎず、これを裏づける物証の検証をなおざりにしたものでしかありません(私たちの明らかにした、「犯行声明」の筆跡、取り扱った郵便局の特定、池から引き上げられた金ノコの血液反応、南京錠の切り屑、頭部の切断の仕方と使用された凶器の特定、首の置かれた時間および位置についての目撃証言の検証、などについて、弁護団はいっさい語っていません)。だから「少年の自供によることなく」などと言ってあたかも十分に検証したかのように装おうとしても、それは子供だましにもならないのです。

さらに彼は、「神戸家庭裁判所の審判決定があり、少年が抗告せず確定した」などとうそぶいてさえいます。これこそは、抗告すべきことを訴えつづけた私たち「真相を究明する会」や多くの弁護士および市民の方々の訴えを、羽柴氏らが無視し、むしろそれを押しつぶすことに奔走していたことを、“少年自身の意志”の名のもとにおし隠し正当化しようとするものではないでしょうか。

もはや明らかではないでしょうか。十月上旬の一定の時期までは(おそらく六日の第二回審判まで)---その内部に意見の相違をかかえながらも---彼らがある程度は抱いていたA少年の非行事実の認定についての疑問。---対策協および弁護団の弁護士諸氏は、この疑問をさえ自ら投げ捨ててしまい、弁護団の「意見」として「医療少年院送致」を求めるというような、実にあからさまな少年弁護の放棄をおこなったこと、この単に「無能」と言うにとどまらない決定的な犯罪行為をごまかすためにこそ、「談話」にあったような当時の見解(事件の認識や弁護の姿勢)が、そもそも存在しなかったかのように言いくるめようとしているのに違いないのです。

付け加えるならば、羽柴氏自身が九月の初め頃には、「○○先生〔ある高名な法学者〕から、冤罪の可能性が強いことを念頭において活動するようにと、示唆されている」と、私たちに述べていたのです。このことからするならば、かれ羽柴弁護士は、冤罪の可能性をも一応は追求する立場から、A君の「有罪」を不動の前提として「医療少年院送致」を求める立場へと、明確な転換をはかった---しかも弁護団内部の反対意見を押しきってまで---のであり、そうであるからこそ、彼は、この自らの変身を正当化するために<歴史の偽造>に狂奔しないわけにはいかないのです。

(5)

では、羽柴氏がこれほど苦しい「弁解」を述べたててまで、自身の立場の転換をはからなければならなかったのは、いったい何故なのでしょうか?

最初に述べたように、羽柴氏のこの一文は、北九州の自由法曹団員から「真相を究明する会」についての報告を受けた自由法曹団本部が、羽柴氏に説明を要請し、これに応えて羽柴氏が寄稿したものです。この北九州の報告によれば、「北九州では、この問題について民主団体のなかで取扱に混乱が生じており、知らないままに協力者となったり、『なぜ救援会が取り上げないのか』という意見が寄せられてもいる」とのことです。

しかし、この「報告」はきわめて奇妙なものではありませんか。あたかも神戸事件を取り上げることそれ自体が、とりわけ「冤罪の可能性」を押さえつつ「真相の究明」を訴えることそのものが、「民主団体」に混乱を持ち込むことであり、犯罪的なことででもあるかのように言われているのだからです。このような態度はしかし、「民主団体」にふさわしくないものではないでしょうか。

周知のように、当会は「神戸事件の真相を究明すること」を唯一の目的にした集まりであり、そこに参加しあるいは協力する個々人の思想や信条や支持政党などについては、これを問うものではありません。だから当然にも、日本共産党を支持している人の中からも、あるいは党員の方からも、実に多くの人々がこの運動を広めるために尽力してくれているのです。当該の北九州地域においてもまたそうです。

ところが、日本共産党の中央はこのかん、これらの人々に対して、会の活動に参加することはおろか、神戸事件について「冤罪の可能性」を云々することそのものに対してさえも、厳しい統制を加えているようなのです。

そもそも、家裁決定の翌々日の党機関紙「しんぶん赤旗」十月十九日付「主張」欄(「社説」にあたるもの)で、「少年の犯した罪はあまりにも大きく……」などという見解を公然と明らかにしたのが、彼らでした---「家裁決定」で明らかにされた、警察が偽計をもちいてA少年に自供を強要し不当逮捕したという衝撃の事実には、ひとことも言及することさえなく。そしてこれ以降、共産党の中央および各県委員会は、「冤罪の可能性」を訴えたり救援会への要請を行ったりしていた党員や党の影響下にある諸団体の人々に対して、「第三者でもそれをえん罪事件 として断定でき」るとき以外は「冤罪事件」を取り上げてはならない、とする一九七五年の党中央の「見解」(「一般『刑事事件』と民主的救援運動」と題した「赤旗」無署名論文)を送りつけたりして、「真相を究明する会」に協力しないように圧力をかけてきたのです。〔ある共産党員の人は、「見解」が送られてきたときに、「あなたがどうすればいいかは、これを読めばわかるはずだ」と言われ、「究明する会の人間と会ってはならない」と言われたとのことです。また、先に紹介した羽柴氏に「冤罪」という示唆を与えた「○○先生」は、十月二十九日の時点で私たちに、「自分は今でも冤罪だと思っている。しかし、今の自分に出来ることはない。うかつに発言すれば民主法律家協会幹部としての自分の首が飛ぶ」と、声を荒げて語っておられたのです。

このような情況と重ねるとき、共産党の影響下にある自由法曹団本部に寄せた羽柴氏の一文の役割と本質は、もはや明白です。羽柴氏はいまや、共産党員として党中央に従順を誓いつつ、私たち「真相を究明する会」を中傷しその運動を妨害するために、積極的な役回りを演じ出したのです。既にみた彼自身の豹変が、そしてこの彼がこんにち行っている当会への<歴史の偽造>をまじえての中傷が、そのことをはっきりと物語っているのです。けれども、彼のこの一文は同時に、彼が先頭に立って、A少年を医療少年院へ送り込み事件の真相を闇に葬るために懸命に立ち回ったことを、自己暴露したものといわねばなりません。

私たちは、羽柴氏による当会へのためにする中傷に抗議するとともに、羽柴氏がこの一文を潔く撤回されることを求めます。

私たちのたたかいの道は、確かにいばらの道です。けれども、どんな妨害がたちはだかろうとも、私たちは不屈の精神をもって前進してゆくことを、あらためて誓うものです。真実が闇のなかに隠されることを肯じないすべての皆さん、真相究明の願いをひとつにし、ともに頑張りましょう。

参考 「神戸事件の自白排除事例」
(付添人団の一人、本上博丈弁護士による記事)

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